チョコレートばんざい
2月14日(早朝)
英荘・玄関
キキー
まだ夜も明けて間もない早朝。
英荘の玄関にいつものブレーキ音が響く。
そして一人の青年が顔に笑顔を貼り付けて自転車から颯爽と降りてきた。
新聞配達「おはようございます。朝刊です」
そう、彼はこの山の上にある英荘まで毎朝新聞を届けている新聞配達員であった。
フォル「おはようございます。毎朝ごくろうさまです」
そんな彼をフォルは毎日玄関まで出迎えに出ていた。
そして、なぜかその手には湯呑の乗ったお盆がある。
新聞配達「いえ、こちらこそいつも配達が遅くなってしまって・・・。ここは場所柄、配達は一番最後になってしまうもので・・・」
フォル「いいえ、こんな所まで配達してもらってるんですから、お礼を言うのはこっちですよ。はい、お茶でもどうぞ」
差し出された湯呑には今日は緑茶が入っていた。
新聞配達「はい、いただきます」
彼は照れたように湯呑を受け取ると一口、ずずっと飲む。
新聞配達(くーーっ!うまい!!毎朝フォルさんのいれてくれたお茶が飲めるなんて俺はなんて幸せ者なんだーー)
この瞬間こそが彼の毎日辛い新聞配達中での最大の至福の時だった。
フォル「そんな大袈裟ですよ、ただの緑茶で・・・」
新聞配達「えっ?」
フォル「あっ!いえ、何でもありません」
フォルは彼のそんな心の声に思わずこたえてしまい、慌ててかぶりを振った。
フォル(あんまり強く想うので思わず心を読んでしまいました。気をつけないといけませんね・・・)
新聞配達「はぁ・・・そうですか」
彼はそんなフォルに一瞬だけ訝しげな顔をする。
しかし彼にはそんなことよりもこの後もっと気がかりな事があったため気にはしなかった。
新聞配達(今日こそは聞かなくては・・・)
彼はフォルに初めて会ったその日から胸にある想いを秘めていた。
しかし今まで機会と勇気がなかったために今日まで言い出せないでいたのだ。
だが今日ならそれを聞き出すための絶好のイベントがある。
新聞配達(よし!!)
彼は自分の胸の内で密かに気合を入れた。
新聞配達「そ、そそ、そういえば今日はバレンタインですね。フォルさんは誰かにチョコをあげたりするんですか?」
そして緊張しまくりながら切り出した。
フォル「はぁ?バレンタインってなんですか?」
だがフォルにはバレンタインが何のことか解からず、きょとんとした顔をしている。
それは彼にとってまったく予想外の返事であった。
彼の中で今日にために用意してあった言葉の数々が瞬時に霧散してゆく。
新聞配達「えっ、あの・・・バレンタインデイですけど・・・。ひょっとして知らないんですか?」
フォル「はい、すみません・・・」
フォルは無知な自分に恥じ入るかのように少し沈んだ表情になる。
新聞配達「い、い、いや、いいんですよ。
えっと・・・今日はバレンタインデイといって好きな相手にチョコレートを渡して告白する日なんですよ」
そんなフォルの顔を見た彼は、まるで自分がフォルをいじめてしまったかのような罪悪感に駆られ、慌てて説明をし始める。
フォル「まぁ、そうだったんですか」
新聞配達「はい、そうなんですよ」
その甲斐あってかフォルはポンと手を胸の前で打ち合わせるとうれしそうな笑顔を浮かべてくれた。
そのため、彼はようやく落ち着きを取り戻すことが出来、そしていよいよ本題を切り出すことが出来るようになった。
新聞配達「フォ、フォ、フォルさんは誰かチョコレートをあげるような、す、好きな人っているんですか?」
彼は心のうちで何度も深呼吸を繰り返した後、無け無しの勇気を振り絞って聞いた。
すると、
フォル「はい、いますよ」
笑顔の即答が返ってきた。
ガーーーン
この時の彼の精神的衝撃はどれほどのものであっただろうか。
今、彼の脳裏には今までのフォルとの思い出(すべて朝の挨拶程度)が走馬灯のように廻っていた。
ただ、そんな状態であったにも関わらず、彼の表情にその衝撃による変化がほとんど見られなかったのは立派である。
衝撃で固まっていただけなのかもしれないが。
新聞配達「そ、そうですよね。はは・・・そりゃ当然いますよね・・・。じゃ、じゃあ、あっしはこのへんで失礼しやす・・・」
ただし口調には(なぜか時代劇風になって)その衝撃具合が現れてはいた。
そして彼は意外としっかりとした足取りで自転車にまたがると下山してゆく。
フォル「はい、今日もごくろうさまでした」
しかしフォルはそんな彼の心情にまったく気づいた様子もなく、いつものように笑顔で見送っている。
新聞配達(くっそーー!フォルさんには好きな人がいたのかよーー。ちっくしょーーー!!)
そして彼は猛然と土煙をあげながら自転車で道を駆け下りて行く。
行き場のない想いペダルに込め、苦い想いを胸に残したまま。
フォル「新聞配達屋さん、今日は元気いっぱいですね」
その姿を見送りながら、そんな風に勘違いをするフォルだった。
英荘・食堂(朝)
一同「『いただきまーす』」
英荘の食堂にいつもの声が響き、皆箸をとってそれぞれの朝食を開始する。
リリアナ『今日は和食ですね』
セフィ「ふぁ〜・・・」
納豆をこねているリリアナの隣で同じく納豆をこねていたセフィが小さくアクビをもらす。
リア「セフィって朝はいつも眠そうね」
セフィ「ワタシって低血圧なのか朝は弱いんです」
セフィは目をしょぼしょぼさせながらも納豆を混ぜ続けている。
その姿はどこか滑稽であるが、かわいらしくも見える。
クレア「堕天使が低血圧になるわけないでしょうが。ただ寝ぼすけなだけよ」
そんなセフィをクレアはシャケを箸で切り分けながらジト目で睨む。
セフィ「えー、そうなんでしょうか・・・」
クレアに睨まれてしゅんとなりながらもセフィは納豆を口に運んだ。
ジゼル「あたしやっぱり納豆って好きになれないな・・・」
ジゼルは器と箸の間に垂れている納豆の糸を少し顔をしかめながら見ている。
ベル「だめよ。納豆は体にいいんだからちゃんと食べなきゃ」
ジゼル「は〜い」
ベルにたしなめられてジゼルは仕方なく納豆を少しだけ口に含む。
途端に彼女の顔が歪む。
ジゼル「う〜」
ラオール「俺はけっこう好きだけどな」
そんなジゼルの隣ではラオールがご飯の上に納豆をかけて豪快に食べている。
メル「兄妹なのに嗜好は違うのね」
ジゼル「お兄ちゃん。だったらあたしのも食べていいよ」
ラオール「ああ」
こうしてジゼルの納豆はいつもラオールの2杯目のご飯の上に乗せられてゆく。
ミリ「フォル姉ちゃん、おかわり」
そんなジゼルの隣でミリが勢いよく空の茶碗をフォルへと差し出している。
フォル「はい」
それをフォルは笑顔で受け取ると炊飯器の蓋を開ける。
英荘の炊飯器は家族が増えたため今では業務用の特大のものに変えてある。
その巨体ゆえに開けると湯気がもくもくと上がってきて周りに炊き立てご飯のにおいが漂ってゆく。
ラム『ミリはほんとによく食べるよね。ボクは絶対そんなに食べられないよ』
メル「そんなに食べて、太ってもしらないわよ」
ミリ「アタシ育ち盛りだから大丈夫だも〜ん」
周りのあきれ顔やからかい顔に胸を張って返すミリ。
彼女の顔からはダイエットなどの心配ごとなどは微塵もうかがう事はできない。
フォル「はい、ミリ」
フォルは茶碗に並盛を盛って返す。
ちなみにラオールのときは山盛りだ。
ミリ「ありがとうフォル姉ちゃん」
ここまではいつもの食事風景が流れていた。
フォル「そういえば今日新聞配達屋さんからいいことを聞いたんです」
しかし彼女の一言が朝の風景を変えることとなる。
貴也「へ〜。いいことってなんだいフォル?」
フォル「今日はバレンタインデイといって好きな人にチョコレートをあげる日なんだそうですよ」
リア「好きな人!」
ベル「好きな人・・・」
ミリ「好きな人ねぇ・・・」
セフィ「好きな人?」
ラム『好きな人・・・か』
メル「好きな人!!」
クレア「なんでこっちを見るのメル」
フォルの言葉に過敏に反応した者達がそれぞれがおもいおもいの方を向く。
ジゼル「へ〜。日本ではそうなってるんだ」
貴也「そうだね。日本では日ごろお世話になっている人にもあげたりしているみたいだけどね」
セフィ「お世話になっている人にですか・・・」
フォル「そうしたらいっぱい用意しないといけませんね」
貴也「それだと大変だから渡せる人の分だけでもいいと思うよ」
フォル「そうですか?」
セフィ「そうなんですか・・・」
珍しく頭を悩ませていた様子のセフィがふむふむと頷いている。
ラム『ああ、それで昨日からデパートで臨時のアルバイトがあったのかな』
一足先に朝食を食べ終わっていたラムが湯飲みを手で弄びながら口を挟んでくる。
ラムは食べる量が皆より少ないせいか、いつも最初に食べ終わっている。
リア「臨時のアルバイトってなに?」
ラム『うん、昨日からデパートに臨時でバイトに行ってるんだけど、チョコレートしか売ってないのにすごい人手でさ』
リア「そんなにすごいの・・・」
ラム『昼間はそうでもないけど、夕方からは学生の女の子が群れをなしてやって来たからね〜・・・』
ラムはその時の事を思い出したのか、げんなりとした顔になった。
ミリ「じゃあ、あまったチョコレートってタダで貰えたりしないかな?」
ラム『仕事で行くんだから貰えるわけないよ』
ミリ「そうかな?」
ラオール「ところでおまえら学校はいいのか。遅刻しちまうぞ」
その一言に学生組が一斉に時計に目を走らせた。
そして途端に食堂は慌しくなる。
ベル「えっ。うわっ、もうこんな時間。リア早く支度して」
リア「ま、待ってベル」
メル「ほらミリ、早く食べちゃいなさいよ」
ミリ「せ、せかさないでよ」
一人最後まで食べていたミリは急いでご飯を掻きこみだす。
ミリは身体のわりには食べる方なのに食べるのがそれほど早くないため、大抵は最後に食べ終わっていた。
リリアナ『では行きましょうかジゼル』
ジゼル「うん、じゃあ行ってきます」
ベル・リア「「行ってきまーす」」
リリアナ『行ってきます』
ミリ「ま、待ってよ〜」
最後のおかずを食べ終え、湯のみのお茶を一気にあおったミリはカバンを引っ掴むと急いで皆の後を追いかける。
ミリ「いってきま〜〜〜す」
フォル「いってらっしゃーい」
そんなミリを笑顔で送り出すフォル。
いつもの朝の風景であった。
自室で身支度を整えたラムが台所へと顔を出すと、そこではフォルとメルが朝ご飯の片づけをしていた。
フォルが食器を洗う係、メルが濡れた食器を拭き取る係での流れ作業をしているらしい。
ちなみにクレアはなにも手伝わずに共同リビングでテレビを見ている。
ラム『じゃあ、ボクもそろそろ行くよ』
ラムが声をかけると二人は手を止めてこちらに振り返った。
ちょうど洗い物が終わったところなのかフォルが水道の蛇口をきゅっと止める。
フォル「あ、ラム。私、後でお店のほうに寄りますので」
メル「あれ、フォル。何しに行くの?」
フォル「今日のバレンタインのために私もチョコを買おうと思いまして」
ラム『そうなんだ。うん、じゃあ待ってるよ』
メル「ふ〜ん。フォルはチョコ買うんだ・・・」
メルはタオルで手を拭いながら思案顔になる。
そして次の瞬間には‘うふふ’といった笑みを作っていた。
ラム『(何考えてんだか?)じゃ、いってきます』
ラムはメルの笑みに一抹の不安を覚えたが、時間もないのでそのまま出かけることにした。
フォル「いってらっしゃい」
メル「いってらっしゃ〜い♪」
そうしてラムが出かけようと玄関で靴を履いていると、後ろから貴也とラオールもやって来た。
貴也「待ってよ、ラム。途中まで一緒に行こうよ」
ラム『うん、いいよ』
靴をはき終わったラムが玄関のたたきを2人に譲る。
その間にフォルが台所からこちらまで出てくる。
そして2人が靴をはき終わるのを待ってラムは玄関を開いた。
貴也「じゃ、行ってきます」
ラオール「行ってくる」
ラム『いってきます』
フォル「はい、いってらっしゃい」
3人はわざわざ玄関の外まで出てくれたフォルに見送られて下山して行った。
英荘・共同リビング(昼前)
フォルは買い物籠を手に持ちながら共同リビングにやって来た。
共同リビングではソファーに座りながらテレビを見ているクレアと、
何故か仕事に行く時の格好をしているセフィと
ソファで丸くなって眠っているミゥの姿があった。
フォル「クレア姉様、わたしお買い物に行ってきますのでお留守番お願いしますね」
クレア「わかったわ」
クレアはテレビから目を離さないまま答える。
べつに熱中しているわけではない。
振り返るのが面倒なだけなのだ。
セフィ「フォル、ワタシも買い物について行っていいですか?保育園の園児達のためにチョコレートを買いたいんですけど・・・」
セフィはフォルにつつつと近寄ってくると申し訳なさそうに言ってくる。
フォル「いいですよ。では一緒にいきましょう」
セフィ「はい」
フォルから快諾を得て、セフィの顔から不安の色が吹き飛びその後ろから笑顔が現れる。
フォル「では、いってきますね」
セフィ「いってきまーす」
クレア「はい、いってらっしゃい」
クレアはやはり視線はテレビ向けたまま手を振って二人を見送った。
セフィ「どんなチョコ買ったらいいんでしょうかねぇ?」
フォル「そうですねぇ・・・」
二人はそんなクレアの様子をまったく気にした様子もなく、楽しそうに話をしながら出て行った。
その後、しばらくすると共同リビングにメルがやって来る。
そして台所と食堂を覗きこんだり辺りをきょろきょろと見回したりした。
メル「ねぇ、クレアさん。フォルはもう出かけちゃったの?」
クレア「フォルならついさっき買い物に行ったわよ」
やはりテレビから目を離さず答えるクレア。
メル「ふぅん。じゃあアタシも出かけようかなぁ・・・」
メルは唇の下に指を置きながら横目でクレアを見る。
その姿にはどこかわざとらしさが見え隠れしている。
クレア「どこに行く気?」
しかしテレビに視線がいっているクレアにはそれが見えないためか、あっさり誘いにのってきた。
メル「そんなの決まってるじゃない。クレアさんのためにチョコを買いに行くのよ」
クレア「いらない」
クレア、テレビを見たまま即答。
メル「えーー、そんな〜、クレアさんのイケズ」
メルは体をくねらせながらクレアにしなだれかかる。
そしてクレアの首に自分の腕を巻きつけた。
クレア「あ〜、うっとうしい!」
メル「ねーー、チョコレートぐらい受け取ってよー、ね〜クレアさんってばー」
クレアはメルを跳ね除けようとしたがメルは首にしがみついたまま離れない。
離れないどころかますます絡み付こうとしているようだ。
クレア「あーーあー、も〜、わかったわよ。受け取ってあげるからさっさと行ってらっしゃい!」
メル「ありがとう、クレアさん!愛してるわ。るんる、る〜♪」
メルは満面の笑みを浮かべてクレアを解放するとスキップを踏みそうな足取りで出て行った。
クレア「は〜〜・・・」
そんなメルの後ろ姿を眺めながらクレアは重い重いため息をつく。
そんな騒ぎで目を覚ましたミュウが、
ミゥ「くふぁ〜・・・」
と、大口をあけてアクビをした後、クレアの膝にのり、再び丸くなって眠りにはいる。
クレア「あんたは気楽でいいわね。ワタシも猫になりたいわ・・・」
クレアはミュウの背中を撫でてやりながら、そう嘆息した。
デパート・特設お菓子売り場
デパートの一角で今日の日のために設けられた店舗でラムは忙しく立ち回っていた。
ラム『ありがとうございました』
ラムは今日何十人目かのお客にチョコを手渡し一息つく。
ラム『ふ〜、しかし昨日からすごい人手だな。特設売り場を作る訳がわかるよ・・・』
アルバイト「ふふっ、でも昨日はもっとすごかったけどね」
ラムが疲れた首筋をコキコキと鳴らしていると隣のアルバイトが笑って話かけてくる。
彼女とは昨日から隣同士で売り子をしていて、いわば昨日の激戦を共に生き抜いた戦友のようなものだった。
ラム『そうだよね。女の子が群れをなして来た時はどうしようかと思ったよ・・・』
アルバイト「学生にとってはバレンタインは一大イベントだもんね」
ラム『はぁ、バレンタインってすごいね・・・』
今までラムはこんなにもたくさんの女の子達が一つの事で大騒ぎをする姿を見たことなどはなかった。
そのため(ときには目が血走っていそうな危ない女の子もいて)正直そのパワーに圧倒されていた。
アルバイト「ところであなたはもう自分の分は用意したの?」
ラム『えっ、なにを?』
アルバイト「なにって、チョコレートよ。渡す相手ぐらいいるんでしょ」
ラム『えっ!や、やだなぁ。ボ、ボクにはそんな人いないよ』
真っ赤になって否定するラム。
しかし自分が赤くなっていることには気づいていない。
アルバイト「隠さないの。ちゃんと顔にいるって書いてあるもの」
ラム『えっ!そ、そんな・・・』
顔を指差されて、ラムは思わず顔を手で押さえてしまう。
そのため彼女には
アルバイト「ふふん、やっぱり」
と、余計に笑われてしまうこことなった。
ラム『ち、違うよ!ボ、ボクは、そんな・・・』
お客「すみませーん」
慌てて弁解しようとしたラムの元にお客からの声が届く。
アルバイト「あ、はーい」
そのお客さん応対に彼女が行ってしまったため、ラムはそのお客さんに救われるような形になった。
しかし、誤解は解けていないので本当の救いにはなっていない。
ラム『好きな相手・・・か』
そしてその後もその言葉がラムの耳について離れなかった。
フォル「ラム」
ラム『えっ?』
そんな時、突然名を呼ばれ、深く考え込んでいたラムははっと我にかえる。
見ると、目の前にはフォルとセフィが立っていた。
二人とも少し不思議そうな顔をしてラムのことを見ている。
ラム『フォル、それにセフィも来てくれたんだ』
ラムは瞬時に頭の中を切り替えると笑顔を二人を迎えた。
セフィ「はい、でもどうしたんですか?ぼーっとしてたみたいでしたけど」
しかしうまく誤魔化すことは出来なかったらしい。
2人の顔から心配そうな表情を消し去ることは出来ていなかった。
ラム『な、なんでもないよ。少し疲れただけだから』
フォル「まぁ、大丈夫ですか。そういえば顔が少し赤いようですけど」
ラム『だ、大丈夫だよ。それよりセフィもチョコレート買いにきたの?』
さらに誤魔化すための咄嗟の嘘がさらにラムを追い詰めることになり、ラムは強引に話題を変える作戦にでた。
セフィ「はい。保育園のみんなにあげようと思って買いにきたんです」
ラム『そう、じゃあ好きなの選んでよ。フォルはやっぱり貴也の分を買いにきたの?』
今度はうまくいったのだが、話の流れから出た自分の言葉。
その言葉が自分でもひどく気にかかり、何故だか胸にちくりとした痛みを生んだ。
フォル「いいえ。みんなのためにチョコレートケーキを焼こうと思いましてその材料を買いにきたんですよ」
そしてフォルが言った言葉でほっとしている自分。
なんだかひどく気恥ずかしい。
ラム『そう、そうなんだ・・・。それならここで買うよりも普通の店のチョコレートを買った方がいいと思うよ』
フォル「そうなんですか。それならそっちへ行ってみますね」
セフィ「フォル、ワタシはここで買っていきますから」
フォル「はい、それでは」
フォルは小さく頭を下げると二人に背を向ける。
ラム『うん。チョコレートケーキ楽しみにしてるから』
フォル「はい、楽しみにしててください」
ラムがフォルの後ろから声をかけるとフォルは一度振り向いてにっこりと微笑んだ。
セフィ「ねぇラム。みんなにはどんなチョコがいいでしょうかねぇ〜」
ラム『えっ?ああ、これなんかどうかな?』
セフィ「あ、おいしそうですね。でもたくさんいりますから、もう少し小さいのでないと。ワタシそんなにお金持ってないですし・・・」
ラム『そっか。じゃあ、こっちかな?』
セフィ「あ、でもこっちのも捨てがたいですし・・・。あ、それならこっちのも・・・」
それからラムはしきりに頭をひねっているセフィのチョコ選びに長い間付き合わされる事となった。
学校・屋上(昼休み)
ベルとリアは学校の屋上で向かいあってお弁当を食べている。
2人が食べているのはフォルお手製のお弁当。
お昼を食べるときは2人だけだったり3人だったり4人だったり5人だったり色々なのだが今日は2人っきりだった。
女の子たちは皆バレンタインということもあって、ゆっくりお昼も食べていられないからであろうか。
ベル「ねぇリア、どうするの?」
リア「うん、なにが?」
もぐもぐ
ベルは一旦箸を休めると朝からずっと気にかかっていた事をリアに問いかけた。
しかしリアには何の問いだか分からずにお弁当を食べ続けている。
ベル「だから貴也さんにチョコレートをあげるの?」
リア「う!」
呻き声と共にリアの箸を持つ手がピタリと止まる。
ベル「どうするの。あげるの?」
リア「・・・・・・」
ごっくん
数瞬の間の後、リアはのどに詰まりかけたおかずを飲み込むと、恥ずかしそうにしながら箸でおかずをつんつん突付く。
リア「う、うん。でもその後に告白しなきゃいけないんでしょ・・・。そんなのまだ出来ないよ・・・」
ベル「リア、あたしが聞いた話だと必ず告白しなきゃいけないってわけでもないらしいわよ」
ベルが休み時間を費やして女の子達から集めた情報を総合すると、そういう結論に至っていた。
その他にも、義理だとか3倍返しだとか色々聞いたが、それは今のところ関係ない。
リア「そうなの?」
ベル「そうらしいわよ。で、どうする?」
しかし女の子達‘だけ’から得た情報であるだけに信憑性は薄いかも?と、ベル自身は思っていたがそれは言わなかった。
リア「う、うん。・・・。でも貴也受け取ってくれるかな・・・」
それを聞いて安心をしたのかリアもだんだんその気になってきたらしい。
だが、その表情はまだ不安そうに曇っている。
ベル「大丈夫よ。貴也さんなら受け取ってくれるわよ」
リア「うん、でもベルは買わないの?」
ベル「えっ、あたし?あたしはいいわよ。特にあげるような人もいないもの」
リア「そうなの、でも・・・」
ベル「それにあたしは聖母じゃないし・・・」
リア「・・・ごめんねベル・・・」
リアの胸に深い罪悪感がよぎる。
マリアだけに与えられた人から愛される特権。
それを当たり前の事のように振舞ってしまった自分の迂闊さが恥ずかしかった。
ベル「リアが謝るようなことじゃないでしょ」
しかしベルはなんでもないかのように笑ってすませた。
ベルにとってはそんなことよりもリアの笑顔の方がずっと大事なのだ。
その甲斐あってか、すぐにリアの表情から暗いものが消えてくれた。
リア「うん・・・。ありがとうベル」
ベル「じゃあ、放課後すぐ買いに行って、大学で直接貴也さんに渡しましょ」
リア「ええ!!貴也の大学まで行くの?」
ベル「英荘じゃみんながいるから渡しにくいでしょ。それに大学なら2人っきりになれるじゃない」
リア「う、うん。そうだね」
リアは貴也にチョコを手渡す時の事を想像したのか、少し頬を赤く染めながら頷いた。
そんなリアの様子がうれしいのかベルの方もにっこりと微笑んだ。
保育園
セフィは大量のチョコレートの入った袋を抱えて保育園を訪れた。
それはラムと一緒に頭を悩ませながら、どうにか予算内で人数分をそろえた努力の結晶だ。
しかし、そのためセフィの持つ残金は83円となっていた。
そのことで
セフィ(はぁ・・・この先お給料までどうしましょうか・・・)
と、悩んだり‘しない’のはセフィのいいところである。.
そんなことよりも子供達がよろこんでくれる方がずっとうれしいのだ。
セフィ(ま、なんとかなるでしょう)
と、あまり思い悩んだりしないのがセフィだったから。
ただ、あまり考えなしで行動するのはいいこととは言えないけれど。
セフィ「みんなこんにちは」
園児1「あっ、セフィ先生だ!」
園児達「セフィせんせーい」
セフィが玄関から中に声をかけると、声に気づいた園児達がわらわらと駆け寄ってくる。
馨「セフィさん!今日はどうしたんですか?たしか今日はお休みのはずじゃ・・・」
そして目ざとくセフィの姿を見つけた馨も走りよってくる。
セフィ「あっ、馨さんこんにちは。今日はバレンタインデイだそうなので子供達にチョコレートを持ってきたんですよ」
園児1「えっ、チョコレート!」
園児2「早くちょうだいセフィ先生!」
チョコレートの言葉に、たちまち目を輝かせた園児達にセフィは取り囲まれる。
セフィ「ハイハイ。今あげますから、ちゃんとならんでくださいね」
園児達「はーい」
そして素直に一列にならんだ園児達にチョコレートを配り始める。
セフィ「はい」
園児1「ありがとうセフィ先生」
そんな様子を馨はセフィの少し後ろから頬をゆるめっぱなしで眺めていた。
馨(セフィさんはなんて優しい人なんだ。やっぱり保育園の仕事をお誘いしたことは間違いではなかった!!)
そして園児達全員にチョコレートが配り終わる。
馨「さぁみんなセフィ先生にちゃんとお礼を言いなさい」
園児達「「「セフィ先生ありがとう」」」
園児達は笑顔を浮かべるとそろって頭を下げた。
セフィ「いいえ、どういたしまして」
セフィもそれにとびっきりの笑顔で返す。
園児達「わ〜〜い」
そしてそれぞれに散って行く園児達。
さっそく袋を開けて食べ始めたり。
大事そうにカバンに仕舞い込んだり。
ふざけて取り合ったり。
皆それぞれに楽しそうに眩しい笑顔を振りまいている。
馨「どうもすみません。わざわざこんなにたくさんのチョコを用意してもらったりして・・・」
セフィ「いいえ、いいんですよ。アタシが好きでやったことですから。はい、どうぞ」
そう言ってセフィが差し出したその手にはチョコレートが握られている。
馨「これは?」
馨の目にはたしかにセフィの手にあるチョコレートが映っている。
しかし、馨はそのチョコレートと自分をイコール(=)で結ぶ事が出来なかった。
なぜなら彼は今日までバレンタインとは、ほぼ無縁の世界を生きてきたからだ。
だからセフィの行動に ? を浮かべていた。
セフィ「馨さんの分ですよ」
馨「え・・・・・・・・・」
そのため馨は最初、セフィに何を言われたのかを正確に把握することが出来なかった。
馨「えええっ!!じ、自分にですか!?」
数瞬の後、馨の脳がセフィの言葉の意味をようやく理解した時、馨は驚愕の声をあげていた。
そして驚愕の表情ままセフィの手の中にあるものを凝視する。
その顔には‘信じられない’という思いがありありと浮かんでいた。
セフィ「はい」
セフィはくったくのない笑顔を浮かべて即答し、さらにチョコを差し出してくる。
その笑顔でようやく馨は現実を受け入れる事が出来た。
馨「か、か、感激です!あ、ありがとうございます!じ、自分は、自分は・・・」
馨は今にも涙を流さんばかりの歓喜の表情を浮かべると、今にも震え出しそうな手をどうにか押さえながらチョコを受け取った。
セフィ「馨さんには日ごろ何かとお世話になっていますから・・・」
ぴたっ
しかし、その一言が馨の動きをピタリと止める。
馨「お世話になっているから・・・」
セフィ「はい」
そしてセフィの一言一言が馨の声から力を奪ってゆく。
馨「じゃあ、これは義理ですか」
セフィ「義理ってなんですか?」
馨「えっ、義理じゃないんですか?」
セフィ「はい」
しかし、この一言によって馨の声に力が蘇ってきた。
馨「義理じゃないんですね!!」
そして喜びが胸の内からこみ上げて来る。
セフィ「はい、義理っていうのがよく分かりませんけど・・・」
セフィは少し困り顔でこう言ったのだが、
馨「うおおぉぉぉーー。感激です!自分は今最高に幸せ者であります!!」
喜びのあまり、すでにセフィの話をちゃんと聞けていない馨であった。
セフィ(こんなによろこんでもらえるなんて、馨さんってチョコレートが大好きだったんですね)
ころころと表情を変え、ついには雄叫びをあげて喜んでいる馨と、そんな馨を見ながらずれた誤解しているセフィ。
そんな2人を園児達は楽しそうに眺めていた。
英荘・台所
そのころフォルは
フォル「トロトロ、トロトロ、溶かしましょう♪ チョコレートを溶かしましょう♪」
チョコレートケーキを作りながらチョコレートの歌を歌っていた。
クレア「ふぅ・・・今日はお昼抜きかしらね・・・」
ミュウ「ニャ〜」
そんなフォルを見て、ついため息をついてしまうクレアとミュウだった。
チョコレート売り場(放課後)
ミリとリリアナとジゼルは、とあるお店のチョコレート売り場に来ていた。
午後の授業が終わった後、ジゼルが
「リリアナ。この後、ちょっとチョコレートを買うのに付き合ってくれないかな?」
とリリアナに頼み。
『ついでですからミリネールも誘いましょう』
という、リリアナの提案によりあまり乗り気ではないミリも連れて来らされていた。
ジゼルは最初ラムの所へ買いに行こうと思っていたのだが。
「わざわざそんな遠い所まで行かなくてもいいじゃない」
というミリの意見により近場で買う事となった。
そしてここにやって来たのだが、
もともとチョコレートの種類にはこだわっていなかったのかジゼルの買い物はすぐに済んでしまう。
ジゼル「ねぇ、ミリちゃんは買わないの?あたしはお兄ちゃんと貴也さんの分を買ったけど」
見ると、ジゼルの手には小さく可愛らしい紙袋が2つ乗せられている。
ジゼルは大きさよりも可愛らしさを基準に選んだようだ。
ミリ「なんでアタシが貴也やラオールのためにおこづかいを使わなきゃならないのよ」
ジゼル「そ、そうなの・・・。じゃあリリアナは誰かチョコあげる大切な人はいないの?」
ジゼルはミリのストレートな意見に少したじろぎながら、今度はリリアナの方に顔を向ける。
リリアナ『大切な人ですか?』
ジゼル「うん。あっ、別に男の人じゃなくてもいいよ」
リリアナ『いますよ』
リリアナは即答を返してきた。
しかしその表情はどことなく悲しそうに見える。
ミリ「でも、チョコレート買ってないじゃない」
リリアナの手にあるのはカバン1つだけであり、何処にもチョコレートを持っている様子はない。
リリアナ『今はまだ会えないんですよ。ですから今はチョコレートは手渡せないんです』
ミリ「どういうこと?」
リリアナ『でもきっとまた会える。そう信じていますから。ですからわたしはここにいるんです』
ジゼル「・・・今は遠いところにいるから会えないってこと?」
ジゼルはリリアナの不思議な物言いに勘を働かせて聞いてみた。
リリアナ『そうですね。ですからジゼルや貴也さんにはがんばってもらわないと』
しかしリリアナはその問いに対して くすくす と可笑しそうに笑う。
ミリ&ジゼル「??」
そんなリリアナの態度に2人はさらに困惑を深めた。
リリアナ『ふふっ、もちろんジゼルやミリ、英荘のみんなも大切な人ですよ(それに他の娘たちも)』
そんな2人の様子が可笑しかったのか、さらに楽しそうに微笑んでいた。
大学(研究室)
大学構内にある研究室。
そこの1つに一人研究室にこもっている貴也の姿があった。
貴也は顕微鏡を覗き込んでいたかと思うと、目を離してノートにメモを取る。
そしてまた顕微鏡を覗き込むという作業を延々と繰り返していた。
双葉「あっ、こんなところにいた。貴也くん!」
そんなところへ風見双葉がやって来て声をかけてくる。
そこで貴也はようやく顕微鏡から顔をはなした。
貴也「あれっ双葉さん。どうしたの?」
双葉「どうしたのじゃないわよ。探しちゃったわよ。ひょっとしてずっとここに篭ってたの?」
貴也「はは、そうだけど・・・」
貴也は苦笑いでそれに応える。
そこで貴也は自分の肩がずいぶんとこっていることことに気づき、首をコキコキと振る。
ついでに疲れている目頭も揉みほぐした。
双葉「もう、それじゃあお昼も食べてないんじゃないの?」
貴也「はい。そうです」
空腹、肩こり、目の疲れ。
そんな貴也の様子に双葉は呆れ顔になって溜め息をつく。
双葉「はぁ・・・。も〜、フォルさんがいないとすぐこうなっちゃうんだから・・・」
貴也「ははは、面目ない。ところでなんの用なの?」
貴也は少し恥ずかしそうに笑うと‘今日は双葉さんと何か約束をしていたかな?’などど考えながら問い返す。
双葉「あっ、そうそう。例の双子達が貴也くんのことを学内で探してたわよ」
双葉はあまりの貴也のだらしなさに当初の目的を忘れかけていた。
貴也「えっ、ベルとマリアが。なんの用だろう?」
今度は‘あれ?2人と何か約束してたっけ?’と頭をひねらせたが心当たりはなかった。
双葉「そんなの決まってるじゃない」
貴也「?」
双葉の当然という態度にも貴也はまるで検討がつかない。
同時刻・大学内
そのころベルとリアは貴也を探して学内をさまよっていた。
リアの手には綺麗にラッピングされたチョコレートが握られている。
リアが(恥ずかしいのであえてラムの売り場は避けた)長い時間考えて悩んで選び抜いた一品である。
2人は心当たりをあちこち見て回ったのだが、どこにも貴也の姿を見つけられないでいた。
実は2人は貴也がいた研究室にも行っている。
しかし運悪くその時貴也は機材を取るため奥へと引っ込んでいた。
そのため2人には見つけられず、貴也も気づかなかったのである。
リア「貴也、見つからないね・・・」
そうつぶやくリアの顔は不安そうに曇っており、手に持っているチョコを胸に当てている姿が実に痛々しく見える。
そんなリアの姿を見ていられなくなったベルは最後の手段に出る決意をした。
ベル「ねぇ、もうこうなったレヴィテイションで貴也さんのところへ行っちゃえば、焦点はあわせられるでしょ」
リア「だめよ、そんなの・・・」
リアは予想外のベルの提案に驚くと、両手を振って反対した。
Psiの使用はクレアにより非常時でなければ一応は禁止されている。
とてもではないが今は使えるような事態ではない。
ベル「でも、早くしないと貴也さん英荘に帰っちゃうかもしれないじゃない」
しかし、そんなことで引き下がるようなベルではない。
リアのウィークポイントを確実に攻めてその気にさせようとする。
リア「うん、でも・・・」
その攻撃はとても効果的であった。
ベルからの誘惑はとても魅力的でリアの心は揺れ動いてゆく。
ベル「大丈夫よ今なら誰も見てないし」
リア「う、うん・・・」
そして貴也にチョコを一刻も早く渡したいという想いのためか、ついにリアはベルの誘いにのってしまう。
大学(研究室)
一方、そんな2人の想いなどは露とも知らない貴也は
ぐーー
と、お腹の虫を盛大に響き渡らせていた。
貴也「あっ」
貴也は思わずお腹を押さえるたがすでに遅い。
双葉にはバッチリその音を聞かれていた。
双葉「ふふっ、そりゃあお昼を抜けばお腹もすくでしょうね」
貴也「ははっ」
双葉にくすくすと笑われてバツの悪そうに苦笑いを浮かべる貴也。
誤魔化すためにか頭をかいてみたりしたがあまり効果はない。
双葉「余りもののチョコレートでよかったらあるけど食べる?」
双葉はきちんと綺麗な包装までしてあるチョコレートを取り出すと貴也のほうに差し出してくる。
貴也「うん、ありがとう。いただくよ」
今さら恥を隠す必要などない貴也はその申し出をありがたく受けることとした。
ヴンッ
そんな所へタイミング悪く、リアがレヴィアウトしてくる。
リア「あっ、貴也。やっと見つけた」
やっと会えた貴也の姿にリアの表情がぱっと明るくなる。
しかしそれは一瞬のこと。
リア「えっ・・・」
すぐにその表情は驚愕と困惑の色に染まってゆく。
その時リアが見たのは今まさに双葉からチョコを受け取ろうとする貴也の姿だった。
チョコを受け取り包みを開けようとしていた貴也はふと何か気配のようなもの感じてそちらを見てみた。
すると、そこには何時の間にかリアがいることに気づく。
貴也「あれっ、マリア。いつ来たの?気がつかなかったよ」
リアが立っている場所は少し光のあたりにくい場所で貴也からはリアの表情がよく見えていなかった。
だから貴也は双葉のチョコを手に持ったまま、いつもの調子でリアに声をかけた。
それが貴也にとってもリアにとっても不運であった。
リア「ねぇ、貴也・・・そのチョコレート・・・」
貴也「ああ、双葉さんに貰ったんだよ。それよりマリアは・・」
しかし貴也は最後までセリフを言えなかった。
リア「貴也のバカッ!!」
ガララッ
リアは貴也に罵声を浴びせ掛けると、扉を力任せに引き開け、研究室を飛び出して行く。
貴也「マリア?」
いきなりのリアの罵声に呆然とする貴也。
その表情はリアが何故怒っていたのか、まるで分かっていないことを顔に貼り付けていた。
双葉「バカッ、早く追いかけなさい!」
そんな貴也に再び、今度は別の方向から同じような罵声が浴びせられる。
貴也「えっ?」
しかし、鈍い貴也には自分が何故双葉にまで怒られているのかさっぱり分かっていない。
双葉「もうっ、今日はバレンタインでしょうが、あの子は貴也くんにチョコを渡しに来たに決まってるでしょ。
彼女きっとあたしのこと勘違いしたのよ。早く追いかけてあげなきゃ」
貴也「あっ!」
鈍い貴也に業を煮やした双葉が核心部分を伝えると、やっと貴也の顔に理解の色が浮かんできた。
そして‘まずい’という、とても分かり易い表情になる。
貴也「ごめん双葉さん、ありがとう」
貴也は双葉に謝るとすぐさまリアの開けた扉をくぐって部屋を出て行った。
そして研究室には双葉と彼女のチョコレートだけが残された。
双葉「ふぅ・・・。やっぱりあたしじゃダメか」
双葉は自分があげたはずのチョコレートを掴み取る。
双葉「これ、せっかく用意したのに・・・。無駄になっちゃったな」
そして静かにカバンの中へと仕舞いなおすと、研究所の明かりを消して部屋を後にした。
大学内(渡り廊下)
ただ走るだけならば普通の女の子とまるで変わらないリアの脚力に、貴也はすぐに追いついて捕まえることができた。
リアが心の内で無意識に貴也が追いかけて来てくれることを期待してて、本気で走っていなかったというのもあるだろう。
貴也「待ってよマリア」
貴也は追いついたリアの腕を捕まえ動きを止めさせた。
リアも特には逆らわず、走るのを止める。
しかし、背は向けたままで貴也の方を向いてくれない。
リア「いやっ、貴也なんて大嫌い!」
貴也はリアからの罵声を無視すると肩をつかみ正面を向かせる。
リアはされるがままに貴也の方を向くが顔はそらしたままだ。
貴也「マリア、話を聞いてよ」
リア「いやっ!聞きたくない」
貴也はリアの顔を覗き込むように話しかけたが、リアは顔をそらしつづける。
そこからちらちらと見えるリアの表情はすねているようなふくれっつらだった。
貴也(うわ・・・これはかなり怒ってるかも・・・)
貴也は内心はそう思ってはいたけれど、それを顔に出すことなく優しい声で語りかけた。
貴也「あれはお腹がすいたから双葉さんにあまったチョコをもらっただけで深い意味はないんだよ」
リア「・・・」
リアは身動き一つせず顔色一つ変えないまま貴也の声に聞き入っていた。
しかし肩に置いた手からリアの体からだんだんと力が抜けてきているのが感じられた。
貴也「マリアは俺にチョコレートを持って来てくれたんだよね。渡してはくれないの?」
リア「受け取ってくれるの?」
その言葉でようやくリアは貴也の方を見てくれた。
その眼差しには懐疑と期待と不安が入り混じって見える。
貴也「マリアのチョコレートが欲しいんだ」
リア「じゃあ貴也、アタシからのチョコレート受け取って」
優しい微笑みで告げた貴也のその一言がついにリアの笑顔を取り戻させた。
そして満面の笑顔でチョコを差し出すリア。
それを笑顔で受け取る貴也。
その瞬間、リアの頬がバラ色に染まる。
貴也「ありがとうマリア。うれしいよ。ねぇ今食べていいかな?」
リア「うん、食べて」
貴也「それじゃ」
包装をといて現れたのはハート型チョコレート。
ドキドキとリアが見守る前で貴也はそれを食べた。
口の中にとろけるチョコの甘さが広がってゆく。
貴也「うん、おいしいよマリア」
リア「うん、ありがとう貴也」
貴也の言葉に夢見心地で恍惚とした表情になるリア。
そんなリアをいとおしそうに見つめる貴也。
ベル「良かったわねリア」
そんな2人の耳に唐突にそんな声が届く。
2人は焦ったように声の方を同時に向く。
そこには‘うふふ’といった笑みを浮かべながら2人を見ているベルの姿があった。
リア「ベル!見てたの?」
驚きで目を見開いているリアはベルの前で頬を急速に赤く染めていった。
ベル「うん、「マリアのチョコレートが欲しいんだ」あたりからだけど」
リア「やだ、恥ずかしい・・・」
頬ばかりか耳まで赤く染めたリアは恥ずかしそうに頬に手を当てて小さくなっている。
隣にいる貴也も照れたように頬をかいている。
ベル「ふふっ、それじゃあそろそろ帰りましょうよ。英荘ではフォル姉様がチョコを用意して待っているはずだから」
そんな2人の微笑ましい様子を十分に堪能したベルはいつまでも照れている2人の手をとった。
貴也「そうだね。じゃあマリア行こうか」
リア「うん」
2人は照れくさそうに微笑みあうと、ベルを伴って英荘への帰路についた。
デパート・出口
デパートからラムが出てくると外はすっかり真っ暗になっていた。
チョコレート売り場のほうは盛況で完売とまではいかないが、売れ残りも少なく、お店側も大喜びであった。
だからといってミリが予想したように余ったチョコが貰えるなんて事はなかった。
ラム(今日も疲れたなぁ・・・。バレンタインがこんなに大変だなんて知らなかったよ)
ラムは今日のことを振り返りながら、その疲れをとるかのように ‘う〜ん’と伸びをする。
アルバイト「お疲れ様」
そんなラムに隣で働いていたアルバイトが声をかけてくる。
彼女も疲れているのかその顔には疲労の色が見て取れた。
ラム『あ、お疲れ様』
アルバイト「はい、これ」
彼女はいたずらっぽい笑みを浮かべると唐突にチョコレートを差し出してきた。
ラム『なに、これ?』
ラムには彼女の意図が分からず、不思議そうにチョコレートを眺める。
アルバイト「その様子じゃちゃんとチョコレート用意してないんでしょ。これあげるから、ちゃんと想い人にあげるのよ」
ラム『な、だからそんな人いないって・・・』
その一言でようやく彼女の意図を察したラムが慌てて否定してきたが、
どうやったのか、その時にはすでにラムの手にチョコレートが握らされていた。
アルバイト「いまさら照れないの。じゃ、あたしはこれから彼の家に行くから。ちゃんと渡すのよ。じゃあねー」
そして彼女は笑顔で手を振ると鼻歌を歌いながら去って行った。
ラム『どうしよう・・・これ・・・』
一方残されたラムはチョコを手に途方にくれていた。
2月のまだ冷たい風が突っ立ったままのラムの足元を吹き抜けてゆく。
英荘・玄関
ガラガラ
貴也&ベル&リア「「「ただいまー」」」
3人が大学から仲良く帰ってきて玄関を開け、帰宅の声を中へかける。
すると、奥からフォルと滅多には出迎えには出てこないクレアが顔を出した。
フォル「おかえりなさーい」
クレア「おかえり」
フォルは笑顔で。
クレアは少し不機嫌のそうな顔で出迎える。
ベルとリアはそんなクレアをまるで珍獣でも見つけたかのような目で見る。
ベル「クレア姉さんが出迎えるなんてめずらしい」
リア「どうしたの?」
クレア「あんた達が帰ってこないとご飯にありつけないからよ」
クレアはそう言い残すと肩をいからせながらリビングに戻って行く。
貴也&ベル&リア「「「?」」」
3人はそんなクレアを‘よくわからない’といった顔で見送った。
3人にはクレアがお昼抜きでミュウと一緒に空腹を抱えながら皆を待っていた
などとは想像もつかないのだろう。
フォル「さぁ早くあがってくださいな。チョコレートケーキが用意してありますから」
そんなやり取りなどはお構いなしにフォルは上機嫌で3人を食堂へと案内する。
リア「へー、チョコレートケーキなんて作ったんだ」
貴也「ありがとうフォル」
フォル「いいえ、おいしく出来てるといいんですけど・・・」
ベル「フォル姉さまが作ったんだったら大丈夫よ」
3人はフォルの笑顔に期待と想像を膨らませながら台所へと足を踏み入れた。
英荘・食堂
台所ではクレア、ミリ、セフィ、リリアナ、ラオール、ジゼルがそれぞれ自分の席に座って入ってきた4人の方を向いていた。
そして皆が囲うテーブルの上には直径40cmはありそうな2段重ねの巨大なチョコレートケーキが乗っている。
フォルが昼前から夕方までかかって作った力作である。
貴也「これはまた・・・」
リア「おっきい・・・」
ベル「食べきれるのかな・・・」
3人はそれを見てそれぞれの感想を述べたが、3人とも唖然とした表情は共通している。
クレア「じゃあ、いただきましょうか」
そして3人が席に着くのを見計らってクレアが待ちかねたかのような声を上げる。
フォル「待ってください。まだメルさんとラムが帰ってませんよ」
クレア「もう!あの2人はなにやっているのかしら、まったく」
クレアはカリカリとした様子でテーブルをとんとんと叩いた。
よほどお腹がすいているのであろう、不機嫌丸出しである。
ちなみにミュウはフォルがケーキを作りあげた時点でご飯を貰っており、今はソファで夢の中だ。
メル「たっだっいまー♪」.
ちょうどそこへタイミングよくメルの声が響いてくる。
よほど機嫌がいいのか、その声はとても弾んでいるように聞こえた。
フォル「おかえりなさいメルさん」
その声を受けてフォルが玄関に迎えに出る。
そこには満面の笑顔のメルが立っていた。
メル「ただいまフォル。クレアさんはいる?」
フォル「はい、みなさん食堂に集まってますよ」
メル「そう」
メルは‘ととと’と軽い足取りで玄関から食堂へと入ってくる。
そして皆がそこで見たものは。
両手で持たれた全長50cmはあろうかという巨大なハート型チョコレートの威容だった。
メル「おまたせクレアさん。町で一番おっきいチョコを買ってきたわ。アタシの愛と一緒に受け取ってぇ!」
メルはチョコレートを頭上に掲げると真っ直ぐクレア目掛けて迫ってくる。
ジゼル「これもおっきい・・・」
ラオール「すごいな・・・」
セフィ「こんなおっきなチョコレート初めて見ました・・・」
チョコレートが風を切って横を通って行くたびに感嘆をもらす一同。
ミリ「メル姉ちゃん・・・なに考えてるのよ・・・」
ただ、ミリだけは額を押さえてうめいていた。
クレア「はーーー・・・・・・」
目の前までやってきたメルとチョコレートを見て、クレアはげんなりとした重いため息を吐いた。
しかしそんなクレアの様子に構わずメルはニコニコと笑顔を振り撒いている。
メル「ほらほら、クレアさん。うけとって、うけとって♪」
クレア「まぁ、約束だからチョコは受け取ってあげるわ。愛はいらないけど」
メル「え〜、愛も受け取ってよー」
と、メルは不満そうな声を上げたが、チョコを受け取ってはもらえたのでうれしそうにしている。
しかし受け取ったクレアの方は渋い顔をしている。
クレア「それよりもこんなおっきなチョコレートどうしろっていうのよ!」
メル「食べてよクレアさん」
事も無げにサラリと言うメル。
メルの顔には
‘どうしてそんな当たり前の事を聞くのだろうか?’
とでもいうような表情が浮かんでいる。
クレア「無理言わないでよ、こんなの食べきれるわけないでしょうが!」
メル「愛があれば食べられるはずよ」
クレア「だから愛なんてないってば」
即答で答えたメルに対して、即答でスパッと斬れそうなほどするどく切り返すクレア。
メル「そんなクレアさん。アタシはこんなにクレアさんのこと愛しているのに・・・」
よよよ・・・
メルはそう言って泣き崩れたが、どこか嘘臭い。
クレア「泣き真似なんて通用しないわよ。ほんとに・・・こんなチョコなんて迷惑なだけよ」
メル「そ、そんな・・・」
今度は‘ガーン’という効果音が付きそうなほど本気で悲しそうな顔になった。
フォル「まあまあ、クレア姉様。メルさんも悪気があってやっているわけじゃないんですから・・・」
クレア「そうは言ってもねフォル。モノには限度ってものがあるでしょ」
そんなメルを見かねてかフォルがフォローを入れてきたがクレアにはいまいち通じていない。
ラム『ただいま』
そんなところへ玄関の方からラムの声が聞こえてくる。
フォル「あっ」
貴也「いいよ、俺が出るから」
その声に反応したフォルが腰を上げようとしたが、彼女よりも先に席を立っていた貴也が手で制して出迎えに行く。
英荘・玄関
貴也が玄関まで行くと、そこにはちょうど靴を脱ぎ終わったらしいラムの姿があった。
貴也「おかえりラム」
ラム『えっ!貴也』
貴也はいつものように普通に声をかけたのだが、ラムは何故か貴也の姿に過剰な反応をしめした。
ラム(どうして貴也が1人で?いつもならフォルも出てくるはずなのに・・・)
ラムは瞬時に目だけで周囲を見渡す。
目の前には貴也1人。奥からは他に人が出てくる様子はない。
ラム(もしかして・・・ふたりっきり・・・?)
予想外の事態にラムの心に動揺が走る。
ラムは無意識にコートのポケットを手で上から押さえた。
そこには貰った物ではあるが、ラムのためにとわざわざ用意してくれたチョコレートがある。
ラム(ど、ど、どうしよう。ま、まさか貴也が一人で出迎えにくるなんて・・・。でも、今ならチョコを渡せる・・・)
英荘に帰ってくるまでは自分で食べてしまおうかとも思っていた。
しかし、今日はバレンタインデイである。
このチョコレートも本来の使われ方をしてもらいたいはずだ。
ラム(たかがチョコレート。別にバレンタインのチョコだからって深い意味なんてない。軽く渡してしまえばいい!)
ラムは意を決してポケットに手を入れると、ぐっとチョコを掴んだ。
そして一気にチョコを取り出そうとした。
が、
ラム(な、なんて言って渡そう・・・)
何の心積もりもしていなかった事をいきなりやろうとしているのだ。気の利いたセリフなど用意しているはずもない。
そのためラムは貴也の前でまるで凍り付いたように動けなくなってしまう。
貴也「どうしたのラム?早くあがりなよ」
いきなり固まってしまったラムを怪訝そうに見る貴也。
しかし、今のラムには貴也の様子を気にしている余裕はない。
ラムの頭の中はどうやってチョコを手渡すかを考えるだけで精一杯だった。
しかも、今はいつ奥から誰かが出てきてもおかしくない状況だ。
悠長に考えている時間すらも無いに等しい。
ラム『た、貴也!あ、あのね・・・』
結局、ラムは考えのまとまり切らないまま話し出してしまう。
口に出た言葉は震えてはいなかったが、何故かチョコを持つ手は震えてきた。
貴也「なに?」
ラム『あ、あのね・・・あ、アルバイト先で余ったチョコもらったんだ。良かったら食べてよ・・・』
そうしてポケットから取り出したチョコレートは貴也の手へと移ってゆく。
ラム(違う!!何言ってるんだよ!この言い方だとボクからのチョコレートじゃなくなるじゃないか)
でもそれは自分が言いたかった事、思っていた事とはまったく違うセリフであった。
何故こんな事を言ってしまったのかはラム自身にも分からない。
いや、ただ自分の中にある気持ちを認めてしまいそうで怖かったのかもしれない。
後悔が胸の中で急速に渦巻いてゆくが、今更後悔してももう遅い。
1度口から出た言葉は元には戻ってくれないし、もう言い直す事も出来ないのだから。
そのため、無事にチョコを渡せたというのにラムの表情は暗かった。
貴也「いいのかい。ラムがもらったものだろう」
ラム『い、いいんだよ。ボクはもう食べちゃったから・・・』
そしてラムは話をあわせるため、さらなる嘘をつかなくてならなくなった。
その事がさらにラムの心を重くする。
貴也「そう・・・。うん、ありがとう。いただくよ」
そんなラムの心中とは裏腹に貴也はうれしそうに微笑んでくれた。
その笑顔は少しだけラムの心を軽くしてくれた。
それで少し冷静になれたラムはある事に気づく。
チョコの渡し方1つで一喜一憂する。
これでは自分がまるで、‘ごく普通’の‘ただの少女’のようではないか。
その事に気づき、ラムは急に自分のした行為が恥ずかしくなってきた。
恥ずかしさで顔が急速に火照ってくるのが分かる。
ラム『じゃあボク着替えてくるから・・・』
ラムはそんな自分が恥ずかしくて、顔を見られないように伏せながら貴也の横を通り抜ける。
貴也「あ、着替えたら食堂においでよ。フォルがチョコレートケーキを用意して待っててくれてるから」
ラム『うん、わかった』
ラムは貴也の声に振りかえらずにそのまま答えると早足で自分の部屋へ向かった。
そして部屋に入ると、急いでドアを閉める。
ラム『ふぅ・・・』
それからドアに背を預けてもたれると小さく息を吐いた。
それと同時に胸に手を当ててみると鼓動が早く、ドキドキと高鳴っている。
ラムはそのまま背中をずるずると滑らすと床に座り込んだ。
ラム『ボク、いったい何やってるんだろう・・・。本当は・・・何が、したいんだろう・・・』
英荘・食堂
しばらくすると着替えを終えたラム食堂にやってくる。
こうして英荘の住人全員がようやくここに顔をそろえた。
クレア「これでやっと始められるわね」
クレアはラムの姿に深い安堵の吐息を吐くと、ようやくその顔に笑みを浮かべた。
時はすでに夜の8時をまわっている。
クレアにとってはほぼ12時間ぶりの食べ物だ。
笑みも浮かぼうというものである。
フォル「それでは、みなさん、ハッピーバレンタイン」
一同「ハッピーバレンタイン」
パンパンパンッ
フォルの声と共にクラッカーの打ち鳴らされ、パーティーの開始を告げらせる。
フォル「それでは日頃の感謝をこめて、わたしからみんなにチョコレートケーキを贈ります」
パチパチパチッ
拍手が終わると共にフォルがケーキを切り分け皆に配っていく。
その横ではメルが紅茶を入れ、双子たちがそれを配ってゆく。
ジゼル「でも、なんでバレンタインがパーティーになってるんだろう?」
ラオール「さあな。フォルがまたどこかで変な話を聞いて勘違いしたんじゃないか」
リリアナ『でもいいんじゃないですか。このほうが英荘らしくて』
ジゼル「そうかもしれないね」
皆が談笑する中をチョコレートケーキが手渡しで廻されてゆく。
クレア「みんなケーキは行き渡ったわね」
クレアは皆の頷いたり、返事したり、手を上げたりで、ケーキがあることを確認するとフォルに向かって小さく頷いた。
フォル「では、いただきます」
一同「いただきます」
翌日
2月15日(早朝)
英荘・玄関
キキー
新聞配達「おはようございます。朝刊です」
今日も朝から英荘にいつものブレーキ音と声が響く。
しかし今日の声にはいつもの元気さが足りないだろうか。
フォル「おはようございます。毎朝ごくろうさまです」
今日もお盆片手に玄関まで出迎えに出てくるフォル。
フォル「今日はお茶とお菓子をどうぞ」
そうして差し出されてきたお盆の上の物体に彼の目は釘付けとなった。
新聞配達「こ、こ、これはチョコレートケーキ!!も、も、もしやこれは・・・」
そして、どこか生気のなかった彼の目が見開かれ、瞳に生き生きとした光が戻ってくる。
フォル「はい、昨日の残りで申し訳ないのですけど、よろしければどうぞ」
新聞配達「き、昨日の残りということは・・・」
フォル「はい、バレンタインのチョコレートです」
‘バレンタインのチョコレートです’というフォルの言葉が彼の耳の奥で何度も何度もリピートされる。
この時の彼の精神的衝撃はどれほどのものであっただろうか。
今、彼の脳裏には一瞬、この後自分とフォルが恋人になり、デートし、結婚するまでの‘妄想’が走馬灯のように廻った。
新聞配達「うおおぉぉぉーー!!めちゃくちゃうれしいっすー!いただきます!ええ、いただきますとも!!」
その妄想から覚めた瞬間、彼は感動のあまり雄叫びを上げながら、涙を流さんばかりによろこんだ。
そして興奮のあまり小躍りしだしような自分をどうにか抑えると、フォルからお盆を受け取った。
そしてケーキの脇に置かれたフォークを握り締めると、一口分に切り分け口へと運ぶ。
チョコレートの甘味とふんわりとした口当たりが口腔内と脳を直撃する。
それは、
新聞配達「うまい!!」
と、思わず叫び声を上げてしまうほどの衝撃であった。
新聞配達「めちゃくちゃうまいっすよー!こんなうまいチョコレートケーキは初めてっす〜!」
フォル「まぁ、ありがとうございます」
その後はもう涙も流さんばかりの勢いでチョコレートケーキを食べ出す。
そして瞬く間に食べ終わとお茶を飲み干し、さっきまでの甘美な世界の余韻に浸る。
新聞配達「いや〜・・・ごちそうさまでした。ほんっとにおいしかったですよ。じゃ、あっしはこれで」
彼は先程の衝撃の余韻が残っているのか、今回も時代劇口調でシュッタっと手をあげ、ヒラリと自転車にまたがり去って行く。
フォル「はい、今日もごくろうさまでした」
しかし、フォルはまったくそんな事などには気にとめず、ニコニコと微笑んでいる。
チョコレートケーキをおいしそうに食べてくれたのがうれしかったのだろう。
フォルはそのままニコニコと微笑みながら彼を見送った。
新聞配達「やっほーーい!!(フォルさんにバレンタインチョコ貰っちまったぜ、ちっきしょーー。おれっちは幸せもんだー)」
今日も土煙と雄たけびをあげながら彼は自転車で道を駆け下りて行く。
胸とお腹に幸せをいっぱいに詰め込みながら。
フォル「新聞配達屋さん、そんなにチョコレートケーキが好きだったんでしょうか?今日も元気いっぱいですね」
その姿を見送りながら、やはり勘違いをしているフォルだった。
<おしまい>
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