ある澄んだ秋晴れの日に 裏の巻
ちゅん ちゅん ちゅんちゅん ちゅん
窓の外で小鳥達が楽しげにさえずっている。
窓から差し込む陽の光はまだ早朝ゆえに柔らかく、目に優しかった。
そんな優しい陽の光を浴びて、リアは穏やかに目を覚ました。
リア「うぅ〜〜ん・・・・・・」
寝ぼけ眼をこすり、枕もとの目覚まし時計を見る。
針はいつも起きる時間のちょうど1分前を指していた。
パチ
リアは目覚まし時計が鳴り出す前に切ると、上半身を起こして‘うーーん’と手を上に伸ばす。
リア「ふぁ〜・・・」
そして一度大きくあくびをしてから布団から這い出した。
それから簡単に身支度を整えてからパジャマを脱ぎ、学校の制服に手を伸ばしたところで妙な事に気づいた。
リア「あれ?コレ、アタシのじゃない」
壁にかかっている制服が何時もの高等部の制服ではなく、ミリが通っている中等部の制服になっていた。
昨日寝る前は確かに自分の制服がかかっていたはずなのに、である。
リア「なんでミリのが?」
リアは不思議に思いながら、もう一度パジャマに着がえ、中等部の制服を持って部屋を出た。
すると、
ベル「あっ、おはよう、リア」
部屋を出た所でバッタリとベルと出会った。
リア「あっ、ベル。ちょうどよかった。あのね・・・」
リアは制服の事を聞こうと、そこまで言って声を失った。
なぜなら制服のことよりも、もっと気になる事が目の前にあったからだ。
リア「ベル・・・。アナタ、何時の間に髪切ったの?」
そう、昨日は腰まであったベルの髪が今では肩にすら届かないくらい短くなっていたのだ。
ベル「えっ?」
ベルは不思議そうな顔をすると、自分の頭に手を当てて髪に触れてみた。
ベル「・・・・・・べつに、切ってないわよ」
そして、しばらく髪をいじってから、ごく当然のような顔でそう言う。
リア「えぇー!?そんな事ないでしょ。昨日は腰まであるロングヘアーだったじゃない」
ベル「なに言ってるのよ。そんなはずないでしょ。あたしはずーっとリアと同じでショートヘアーよ」
リア(そんな・・・。そんなはずない。昨日までベルは絶対にロングヘアーだった。いったいどういう事なの?)
リアは頭を悩ませながら改めて目の前にいるベルの事をよーく見てみた。
すると、違いは髪の長さだけでなく、他にも幾つかあることが分かった。
まず、着ている制服が違う。
ベルが着ているのは今自分も持っているミリが通っている中等部の物だった。
そしてなによりベルの顔立ちや体つきが昨日まで見ていたベルよりずっと幼くなっている。
リア(なんで?どうして?)
訳の分からない異常事態にリアはぐるぐると頭を悩ませたが、それで答えが出るはずもない。
ベル「もーー、リアったら変な夢でも見て寝ぼけてるんじゃないの。
さぁ、早く着替えて食堂に行きましょ。フォル姉様が作ってくれた朝ご飯が冷めちゃうわよ」
リア「う・・・うん」
リアは未だ釈然としない思いを抱えていたが、とりあえず部屋に戻り、ベルに言われたとおり服を着替えた。
リア(中等部の制服がぴったり・・・)
そして、着替えている最中、自分の身体もベルと同様に縮んでいる事が分かった。
リア(いったいどうなってるのぉ〜〜!!?)
その事がますますリアの混乱に拍車をかけた。
リアは頭を抱えて途方にくれながらも食堂へ向かって歩き出す。
そんな混濁した精神状態でも身体だけは今までの習慣でちゃんと動いてくれるものなのだった。
「いただきまーす」
そして、英荘の食堂では何時ものように朝食の時間が訪れていた。
しかし、その光景は今のリアにはとても違和感のあるものだった。
なぜなら、クレアの髪がロングになっていたり、
逆にメルやミリの髪がショートになっていたりする事もあるが、
何より違うのは住人の顔ぶれだろう。
今までは12人+1匹の大所帯だったのに、今はセフィ、ラム、リリアナ、ラオール、ジゼル、ミュウの姿はなく、
代わりに見知らぬ女子高生が1人いる。
馨子「ねぇ、リアちゃん。お醤油とってくれない」
リア「えっ!あっ、はい」
その見知らぬ女子高生に声をかけられ、リアはかなり焦りながらも醤油を手渡した。
馨子「ありがと」
女子高生はそんなリアの心情に気づいた様子もなく、ごく自然に醤油を受け取った。
リア(アタシはこの人のこと知らない・・・。でもこの人はアタシと初対面って感じじゃない)
おかしな事であるが、目の前の見知らぬ女子高生はリアとずっと一緒に暮らしていたような自然さがあった。
リア(どうしよう・・・。ここは間違いなくアタシがいた世界とは別の異世界だわ・・・)
リアはその事実を改めて再認識し、青い顔で箸を握り締めた。
フォル「どうしたんですか、リア?お箸がまったく動いていませんし、顔色も悪いですよ」
そんなリアの様子に気づいたフォルが心配そうに声をかけてくる。
貴也「具合でも悪いのかい?だったら今日は学校は休んだ方がいいよ」
リア「・・・ううん。そうじゃないの」
ミリ「そうなの?でも本当に顔色悪いよ」
ベル「そうよね。起きた時も様子がちょっとおかしかったし。本当に大丈夫なの?」
メル「何か変なものでも食べた?」
馨子「そうなの?じゃあ、お薬飲んでおいた方がいいわよ」
リア「ぅ・・・」
リアはみんなから一斉に心配そうに注目され、身を硬くした。
みんな既にリアの様子がおかしい事には気づいている。
もう何事もなかったような素振りをして事実を隠し通す事は不可能だろう。
でもリアは本当の事がなかなか言い出せなかった。
なぜなら本当の事を話しても信じてもらえるかどうか分からない。
それに本当の事を話したら、みんなから奇異の目で見られたり、阻害されたり、
最悪、英荘から追い出されたりするかもしれない。
そう思うとリアは怖くて本当の事が言えなかった。
リア(うわぁーーーどうしようどうしようどうしようどうしよどうしよどうしよどうしよどうしよぉ!!!)
リアは心の中で頭を抱えてのた打ち回ったが、それでも良い解決策などはちっとも浮かばない。
ただ、焦りに比例して大量の汗だけがだらだらと顔を流れ落ちてゆく。
ベル「どうしたの、リア?すっごい汗よ。やっぱりどこか悪いんじゃないの?」
リア「えっ・・・・と、あの・・・その・・・・・・」
嘘をついて逃れるという選択肢はとれない。
なぜなら天使は嘘がつけないから。
それならばどうすればよいか?
実はその答えをリアは既に知っていた。
考えるまでもない事なのだ。
そもそも最初から答えは一つしかないのだから。
それは、
本当の事を正直に話してしまう事。
嘘のつけないリアにはそれしか道はないのだ。
しかし、それを実行するには勇気がいる。
それは、本当の事を話してもみんなが自分の事を嫌わないでいてくれると信じる勇気だ。
リア(・・・)
リアは不安そうな面持ちでみんなの顔を見渡した。
みんな心配そうに自分の事を見ている。
みんなの眼差しからは本当にリアの事を心配している想いがひしひしと伝わってくる。
リア(うん!)
リアはそんなみんなの想いを信じて心を決めた。
リア「みんな聞いて!!!」
リアは意を決して、叫ぶような声をあげると椅子から立ち上がった。
ベル「な、なに?どうしたの?」
クレア「いきなり立ち上がったら驚くじゃない」
唐突なリアの行動に、みんな驚きながらリアに注目する。
リア「アタシ・・・アタシは・・・。アタシ本当はみんなが知っているリアじゃないの。別人なの!!」
リアは自分の正体を明かすとドキドキと緊張しながらみんなの反応をうかがった。
すると、
ミリ「はぁ?」
ベル「なに言ってるのよ、リア」
メル「そうよ。どこが別人なの?。どこからどう見たってリアちゃんじゃない」
クレア「リアじゃないって言うなら、アナタはいったい誰な訳?」
みんなの反応は呆れ、とまどい、冷笑といったもので、誰も自分の言った事を信じているようには見えない。
てっきり驚かれると思っていたリアはちょっと拍子抜けに思いながらも、さらに詳しく説明する。
リア「アタシはこことは違う別の世界のリアなの。
肉体はこの世界のリアのものだけど、精神だけは別の世界のアタシなの。
たぶん、精神だけが入れ替わったんだと思うんだけど・・・」
その事に関してはリアにも確証はないため、少しだけ口調が弱くなる。
フォル「別の世界のリア・・・」
馨子「って、言われても・・・。ねぇ、貴也くん。どう思う?」
貴也「どう思うって言われても、その・・・あまりにも突拍子のない話だし・・・」
馨子も貴也も必死なリアの様子から嘘をついているとは思えない。
しかし内容が内容だけに、すぐに信じる事もできなかった。
馨子「そうよね。俄かには信じられないわよね。でも、リアちゃんが冗談を言ってるって事は・・・」
クレア「ないわね」
メル「アタシたちは嘘がつけないから」
クレアとメルが馨子の仮定をキッパリと否定する。
さっきまでは呆れ顔だった2人も今では真剣な表情になっていた。
リア「嘘じゃないわ。本当よ。だってアタシは元の世界では高校生だったもの。こっちではアタシは中学生でしょ」
貴也「うん。そうだけど・・・」
リア「だから、そもそも年号から違うと思うの。
アタシが元いた世界では1997年だったけど、こっちでは今何年なの?」
貴也「1994年だよ」
リア「1994年・・・。やっぱりそれぐらい前なんだ・・・」
リアは改めてここが過去の異世界だという事を実感した。
リア「それに、英荘にいる住人も違うわ。アタシの世界ではもっと人数が多いし、こんな人いなかったもの」
馨子「うわっ!こんな人って言われちゃった・・・。なんかショック・・・」
リアに指を差されながらこんな人呼ばわりされて、馨子は傷ついた。
リア「あっ、ご、ごめんなさい・・・。名前が分からないかったから、つい・・・」
馨子「あはは・・・。いいのいいの。名前知らないんじゃ仕方ないし・・・」
馨子は苦笑を浮かべながらヒラヒラと手を振る。
リア「あの・・・じゃあ改めて名前を教えてもらえますか?」
馨子「うん。いいけど・・・。でもなんか、こうやって改めて自己紹介するのもなんだか変な感じ。
それに、リアちゃんが妙にしおらしいのもちょっと変だし」
リア「えっ?こっちのアタシって今のアタシと違うんですか?」
馨子「うん。こっちのリアちゃんはそんな女の子女の子した言葉使いはしてないもの」
リア「そうなんですか。それじゃあ、どんな言葉使いをしてるんですか?」
馨子「そうねぇ・・・。一人称は‘アタイ’で、ちょっと男の子っぽい話し方をしてるかな」
リア「‘アタイ’で‘男の子っぽい’ですか」
リアは自分がそんな口調で話しているところを想像しようとしたが、うまく想像できなかった。
リア(こっちのアタシってどんな子なんだろう?)
ミリ「もーーー!!そんな事はどうでもいいから、話を先に進めてよ!!」
リア「あっ、ごめんなさい」
ミリの怒鳴り声で話が脱線している事に気づいたリアは思わず謝った。
メル「それで、そもそもどうしてこういう事になったの?」
リア「それは、アタシにもさっぱり分からないの。朝起きたらいきなりこうなっていたから・・・」
フォル「じゃあ、どうすれば元に戻れるかも」
リア「さっぱり分かんない」
リアがそう断言すると、食堂内では重苦しい空気が流れ、誰のものともつかない溜息も聞こえ始めた。
クレア「リア。幾つか確認したい事があるんだけど。いいかしら?」
そんな空気の中、ずっと黙ったまま何か考え込んでいたクレアが口を開く。
リア「なぁに?クレア姉さん」
クレア「アナタは第二天使のリアムローダ・アルキオネ・ヒアデス。で、間違いないわね?」
リア「そうだけど・・・。今更どうしたの?」
クレア「いいから、素直に質問に答えなさい。
次に、ワタシとフォルがアナタの姉でベルはアナタの双子の姉妹。そうね?」
リア「そうよ」
クレア「自身のお役目をPsiでワタシにだけ聞こえるように教えて」
リア『‘素因’と結ばれて、光の子‘ネオミック’を生むこと』
クレア「じゃあ、最後。自身の片割れであるアルデバラムを呼び出しなさい」
リア(あっ!)
リアはそう尋ねられて、ようやくクレアの意図を理解した。
クレアは自分が本当にリアムローダであるかどうか試そうとしているのだ。
リア(アルデバラム・・・。来てくれるかな?)
リアは自分がリアムローダ本人である事を当然確信している。
しかし、それと同時に自分がこちらの世界のリアとは別人である事も確信している。
そんな曖昧な存在である自分をこっちの世界のアルデバラムが自身の片割れだと認識してくれるか。
正直、今のリアにはこの世界のアルデバラムも自身の半身だと断言できるだけの自信はなかった。
ごくっ
リアは緊張で渇いた咽に唾を送り込む。
リア「・・・来たれ、我ら御使いが主より賜りし鳳駕、我を守護する牡牛座の神機、アルデバラム!」
そして少し硬い口調ながらもアルデバラムを召喚する言葉を紡ぐ。
ズン
すると英荘が振動で微かに揺れた。
窓から外を見ると、そこには召喚に応じたアルデバラムの姿がある。
リア(ふぅ・・・)
リアはアルデバラムの姿を見て、心の中でだけ安堵の吐息を吐いた。
これで少なくともアルデバラムは自分の事を自身の半身のリアムローダだと認めてくれた事になる。
リア「これでいいの?クレア姉さん」
クレア「ええ、いいわ」
クレアは召喚されたアルデバラムの姿を見て満足そうに頷いた。
ベル「それで、結局クレア姉さんは何がしたかったの?」
クレア「ちょっとした確認よ。このリアがお役目を果たせるだけの資格を持っているかどうかの。
結果はマル。アルデバラムまでもがリアだと認めたのなら何の問題もないわ。
だからみんなも気にせず今までどおりにしてちょうだい」
リア「えっ?」
馨子「えっと・・・。そんなにあっさり決めちゃっていいのかしら?」
貴也「う〜ん・・・。よくはないような気がするけど・・・」
ベル「あのぉ〜・・・クレア姉さん。さすがにそれは、ちょっと無責任じゃ・・・。
もう少し真剣に考えてあげた方が・・・」
クレア「いいのよ。少々中身が違っていようとリアはリアでしょ。それに・・・」
一同が戸惑いの表情を浮かべる中、クレアだけが平然としたままでいる。
ベル「それに?」
クレア「今はこうでもしておかないとアナタたちが遅刻しちゃうでしょ」
学生組一同「えっ?」
学生組が一斉に壁にかけてある時計に目を向ける。
時計の長針はとってもデンジャラスな位置を指していた。
それを見た瞬間、さーっと学生組の血の気が引いてゆく。
ベル「キャーーーー!!!もうこんな時間!!」
リア「うわわっ!!遅刻しちゃうぅーーー!!」
フォル「あらあら」
馨子「これって、走らないと間に合わないわよ!」
貴也「みんな、急いで仕度して!」
食堂は一転して騒然となり、皆ばたばたと仕度を始める。
貴也「みんな準備はできた?」
ベル「大丈夫よ」
フォル「では、クレア姉様。メルさん。行ってきます」
クレア「はい。いってらっしゃい」
メル「後片付けは任せておいて」
フォル「はい。お願いします」
馨子「フォルさん!そんな暢気に挨拶してないで早く!!」
そうしてばたばたと学生組が食堂を出ていった。
しかし、途中でミリだけが立ち止まって食堂に戻ってくる。
ミリ「ねぇ!レヴィテイション使っちゃダメ?」
メル「ダメ。Psiは緊急時以外は使っちゃダメって決めたでしょ」
ミリ「今緊急事態じゃない!!」
メル「ダメよ!まだ走れば間に合うわ。走っていきなさい」
ミリ「もーー!!ちょっとぐらいいいじゃない!!メル姉ちゃんのけち!鬼!!悪魔!!!」
ミリはありったけの罵詈雑言をメルに叩きつけてから再び食堂を飛び出していった。
メル「なんですって!!」
ミリ「いってきまーす!」
ミリの言葉に激昂したメルは椅子から立ち上がったが、その時には既にミリは走り出していた。
メル「こらっ!!待ちなさい、ミリ!!」
ミリ「走れって言ったのメル姉ちゃんでしょーー」
ミリはメルの静止を無視し、そう言い置いて玄関を飛び出して行った。
キーン コーン カーン コーン
始業のベルが学校に鳴り響く。
ガラララ
そして、それと同時にベルとリアの2人が自分の教室の中に駆け込んでくる。
そんな2人の姿は教室中の生徒から注目を集めたが2人にはそんな事を気にしている余裕はない。
ベル「はー・・・はー・・・。ギリギリ・・・間に・・・合った・・・わね・・・」
リア「そ・・・そうね・・・」
ここまでずっと全力で走ってきたため、2人とも息が絶え絶えだ。
クラスメートA「どうしたの?ギリギリセーフで駆け込んでくるなんて珍しいね」
クラスメートの1人が2人の事を笑いながら話しかけてくる。
ベル「あー・・・。今朝はえ〜と・・・、ちょっとした事件があって・・・その〜・・・」
本当の事など言えるはずもないベルは困り顔になって言葉を濁らせた。
ガララ
その時、教室のドアが開いて担任の教師が入ってくる。
教師「ほらー。みんな席に着けぇー」
そして教師が入ってきた事でクラスメートの興味がベルたちから反れてくれた。
ベル(ラッキー)
ベルはその隙にクラスメートをかわして自分の席へ行こうとする。
しかし、
リア「ベル」
リアがベルの服の裾を摑んで引き止めた。
ベル「なに?」
ベルが怪訝そうな顔で問いかけると、リアは少し困ったような顔でベルの耳元に口を寄せた。
リア「アタシの席ってどこ?」
そう聞かれて、ベルはリアがこのクラスの事を何も知らない事を思い出した。
ベルにとっては何時もの教室でも、今のリアのとっては初めて来る場所なのだ。
当然、リアは自分の席が何処なのか知るはずもない。
ベル「リアの席は窓際の後ろから2番目よ」
リア「ありがと」
ベルも小声でそう教えると、リアはそそくさと窓際の席へ行く。
そして、リアが席に着くのを見届けてからベルも自分の席についた。
キーン コーン カーン コーン
学校に響き渡る鐘の音がお昼休みになった事を皆に告げてゆく。
お昼休みになるまでに間にリアはクラスメートたちに
「なんだか今日のリアちゃんって雰囲気が違わない?」
とか
「リアちゃん、元気ないわね。何か悩み事でもあるの?」
とか
「なんで‘大野さん’なんて呼び方するのぉ?いつもみたいに‘のりちゃん’って呼んでよぉ〜」
とか、色々と怪しまれたり、心配されたり、変に思われたりしたものの。概ね問題なく過ごしていた。
リア自身もこんな事になった理由とか。
これからどうしたらいいのかとか。
まったく見知らぬクラスメートとのやりとりなど、色々と心配事や悩み事や苦労があったのだが、
今朝、クレアに自分の事を受け入れてもらえる旨を貰っていたので、それほど思い悩まずに済んでいた。
少なくとも、英荘のみんなからは拒絶される事だけはないのだから。
ベル「リア。お昼食べましょ」
ベルは午前の授業が終わるとすぐにお弁当の包みを持参してリアの席までやってきた。
リア「うん」
リアは鞄を探って自分の分のお弁当の包みを机に上に取り出した。
ベル「じゃ、行くわよ」
ベルは自分の分のお弁当を持って教室を出て行こうとする。
リア「あれ?ねぇ、ベル。いったい何処に行くの?」
てっきり教室で食べると思っていたリアは慌ててベルの後を追った。
ベル「屋上だけど・・・。ああ、そうだったわね。ゴメンゴメン。今のリアは知らないのよね。
外見は全然変わってないから、すぐに忘れちゃうわ。
あのね。あたしたちはいつもフォル姉様たちと一緒にお昼を食べてるのよ」
リア「へぇ〜。そうなんだぁ〜」
納得したリアはベルと共に屋上を目指して歩き出す。
ベル「あっちではそうしてなかったの?」
リア「うん。だって、向こうだとフォル姉様も貴也も大学生だもの。
学校が違うからお昼を一緒に食べるなんてできなかったわ」
ベル「そっか・・・。向こうでは3年経ってるのよね」
リア「うん。でも、そうかぁ〜・・・。こっちじゃ一緒にお昼食べてるんだ。
あっ!じゃあ、もしかして放課後に校門で待ち合わせて一緒に帰ったりとかもしてるの?」
ベル「うん。してるわよ」
リア「そうかぁ。してるんだぁ〜・・・。いいなぁ〜・・・。アタシそういうのにずっと憧れてたから・・・」
リアはそう呟くと夢見る乙女の顔になった。
おそらく、自分と貴也が一緒にお弁当を食べたり校門で待ち合わせをしてる姿を夢想しているのだろう。
ベル「うふふ」
そんなリアの姿を見て、ベルは思わず含み笑いをあげる。
リア「な、なぁに?ベル。いきなり笑い出して?」
ベル「あはは。ごめんね。でも、乙女チックな事を言ってるリアがなんだか新鮮で可笑しくなっちゃったの?」
リア「えっ?そうなの?こっちのアタシって、こういうこと言わないの?」
ベル「うん。心の中では思ってるのかもしれないけど。恥ずかしがってぜーーったい口にはしないわね」
リア「そうなんだぁ・・・」
リアはこっちの世界の自分と今の自分との違いを再認識させられた。
リア(アタシ以外の人はみんなほとんど違わないのに。どうしてアタシだけこんなに違うんだろう?)
そんな疑問が頭の中に浮かんできた。
リア(向こうにいるこっちのアタシ。今頃どうしてるのかな?
やっぱりアタシと一緒でとまどったり悩んだり不安になったりしてるのかな・・・)
そして、自分と入れ替わっているだろう、こちらの世界の自分の事が気になりだした。
しかし、気にしたところで今のリアにはどうする事もできず、もどかしさだけが募ってゆく。
ベル「ねぇ。なんなら今日してみる?」
リア「えっ。なにを?」
リアはベルの声で自分の思考から現実に引き戻された。
ベル「校門で待ち合わせ。したいならあたしが貴也さんに頼んであげるわよ」
リア「えぇーー!!!」
願ってもないベルの提案にリアの頬がポッと染まる。
ベル「どうするの?する?しない?」
ベルはニヤニヤとした笑いを浮かべながらリアに選択を迫ってくる。
リア「あの・・・。えっと。それは、その〜・・・。お、お、お、お願いします」
リアはしばらく悩んだが、脳裏に浮かんだ甘美な夢想の誘惑に負けてお願いしてしまう。
ベル「うん。分かったわ。任せておいて」
リア「うん」
リアは恥ずかしそうに頬を赤らめながらもうれしそうに頷いた。
ベル(こっちのリアもこれぐらい素直になればいいのに。いつまで経っても煮え切らないんだから・・・)
そんなリアの姿を見ながら、ベルはそんな事を思っていた。
ガッチャン
リアとベルは屋上へと繋がる重い扉を押し開ける。
扉が開かれると同時に目に飛び込んできた景色は屋上を覆うフェンスと真っ青な空。
今朝起きた時から続いている秋晴れの空だった。
そして少し顔を巡らせると、そこには既にフォルと貴也と馨子、それとリアの見知らぬ女生徒の姿があった。
ベル「お待たせー」
ベルはその見知らぬ女生徒の事をまったく気にした様子もなく、その4人に声をかけた。
だから馨子と同様に今のリアが知らないだけで、こっちの自分にとっては馴染みの人物なのだろう。
フォルや馨子と同じ制服を着たショーットカットの女子高生。
リア(誰だろ?)
リアはその見知らぬ女生徒を訝しげに見て、今日は何度も浮んだ疑問を再び頭に思い浮かべた。
3人と一緒にいる事から、たぶん誰かの友達なのだろうと予想がつくが、それ以上の事はさっぱり分からない。
真理「この人誰だろう?って顔してるわね」
すると、その女子高生がニヤニヤと笑いながら、いきなりそんな事を言ってくる。
リア「えっ!?」
図星を指されたリアは思わず言葉を詰まらせた。
真理「話は聞いてたけど、本当に中身は別の世界のリアちゃんなのね。
外見は全然変わってないから見た目じゃ全然分かんないけど」
リア「えっ・・・と・・・」
貴也「リア。この人は僕たちのクラスメートの川崎真理さん」
訳知り顔で話しかけてくる真理にリアが戸惑っていると貴也から助け船が流れてくる。
真理「初めまして。って、言うのもなんか妙な感じなんだけど。よろしくね」
リア「はい。初めまして、リアです」
そう言われてもリアには初めましてとしか言いようがなかったので、そう挨拶した。
一同「いただきまーす」
各自のお弁当を広げ、みんなで手を合わせて箸を持った時
ピュー
と、北風がみんなの身体を撫でてゆく。
馨子「うぅ、さむっ!ねぇ、ちょっと今日は寒くない?」
真理「そうね。さすがに11月ともなると、ちょっと屋上で食べるのは無理があるかも」
馨子がブルルと身体を震わせるのを見て真理も寒そうに身体を縮める。
周りを見てもこの寒さのせいか自分たち以外には誰もいない。
貴也「ははっ、そうだね。明日からは中で食べようか」
ベル「さんせー」
フォル「馨子さん。熱いお茶をどうぞ」
馨子「ありがとう、フォルさん」
馨子は魔法瓶から入れたお茶をフォルから受け取ると、さっそく一口飲んだ。
熱いお茶が咽を滑り落ちてゆき、身体を中から暖めてゆく。
馨子「う〜。あったまるわー・・・」
馨子はお茶を飲んだ後‘ほー’っと気持ちよさそうな息を吐く。
真理「フォルさん。あたしにも一杯ちょうだい」
フォル「はい」
真理もフォルからお茶を受け取ると、ふーふーと息を吹きかけてから飲む。
真理「う〜ん、おいしい。やっぱりフォルさんの淹れてくれたお茶は格別だわ」
フォル「うふふ。ありがとうございます」
フォルは満足顔の真理に褒められて、うれしそうに微笑み返す。
ベル「フォル姉様。あたしにもちょうだい」
リア「アタシもー」
貴也「フォル。ボクにも貰えるかな」
フォル「はいはい。ちょっと待ってくださいな」
みんな寒いと思っていたのか、今日はフォルのお茶が大人気だ。
そうしてみんなにフォルのお茶が行渡り、ようやくみんなお弁当を食べ始める。
リア(やっぱりお弁当も同じ味・・・)
朝食の時にも感じた事だが、やっぱりお弁当も元の世界のフォルが作ったものと同じ味がした。
そんなお弁当を食べながらリアはチラリと貴也の姿を盗み見る。
リア(学生服姿の貴也ってなんだか新鮮。顔も少し幼い感じだし。ちょっと可愛いかも)
リアがそんな事を考えながら、ちょっとニヤニヤとした笑みを浮かべて貴也を見ていると、
貴也「ん?どうしたの、リア」
貴也に見ている事を気づかれてしまう。
リア「う、ううん。なんでもない!!ただ、学生服を着ている貴也が珍しかったから見てただけ」
慌てて首を振って言い訳をする。
貴也「そうか。リアが元いた世界ではボクはもう大学生・・・なのかな?まさか浪人生じゃないよね」
貴也がちょっと不安そうな表情で尋ねてくる。
リア「うん。ちゃんと大学生よ」
貴也「そうなんだ。よかった。ちゃんとボクは大学に合格してるんだ」
貴也はそれを聞いてうれしそうに微笑んだ。
リア「でも、あっちの世界での話だから、こっちの貴也も合格するとは限らないわよ」
貴也「やっぱり・・・そうだよね」
リアがちょっと意地悪心でそう言うと、貴也はちょっとだけ残念そうな顔をしてはははと笑った。
馨子「大丈夫よ、貴也くん。貴也くんは頭がいいから、ちゃんと合格できるわよ」
これは馨子のお世辞ではない。
実際、貴也は成績がよく、テストの順位も上から数えた方が早いくらいの学力を持っているのだ。
貴也「ありがとう、馨子さん」
真理「そうそう、貴也くんの成績なら全然大丈夫よ。むしろ危ないのは馨子よね〜」
馨子「うっ・・・」
馨子は言葉を詰まらせて押し黙った。
なぜなら、今ここにいる面々の中で馨子が一番成績が悪いからである。
馨子「うぅ・・・。もーー!!真理のいじわるーー!!」
真理「あはは、ゴメンゴメン」
真理はポカポカと手を振り上げる馨子を抑えて笑いながら謝った。
貴也「ところで、リア。3年後のボクってどんな感じなのかな?」
リア「う〜ん・・・。そうねぇ・・・・・・・・。今とそんなに変わってないかな」
リアは貴也の姿を上から下まで眺め、最後に顔をまじまじと見てからそう言った。
貴也「それって・・・全然成長してないって事かな?」
リア「あっ!ううん。そうじゃないの。ちゃんと見た目は今より大人っぽくなってるわ。
でも、性格とか雰囲気とか、そういうのは全然変わってないの」
貴也「そっか。でもそれって内面が全然成長してないって事じゃ・・・」
貴也はうれしいような残念なような、ちょっと複雑な顔でそう言った。
リア「あぅ・・・。えっと・・・その・・・そ、そんな事はないと、思う・・・けど・・・」
リアとしてはフォローしたつもりだったのだが、あまりうまくはいかなかったらしい。
真理「その点。リアちゃんはちょっと雰囲気違うわよね」
リア「えっ。そうなんですかぁ?」
そう言われても、そもそもリアはこっちのリアの事を知らないのだから、その違いが少しも分からない。
真理「うん。今のリアちゃんはこっちのリアちゃんよりしおらしい感じがするわ」
リア(あっ、馨子ちゃんと同じこと言ってる)
2人の人から同じ事を言われ、リアはますますこっちの自分に興味が沸いてくる。
今まで聞いた話から想像すると、こっちの自分はずいぶんと活発な性格の持ち主のようだ。
真理「でも、貴也くんを見る時の眼差しだけはぜーんぜん変わらないわね」
真理がいたずらっぽい口調でそう言うと
貴也「えっ?」
貴也は意外そうな声をあげ
リア「えっ!」
リアは驚きの声をあげて顔を瞬時に赤らめた。
真理「やっぱりアナタもこっちのリアちゃんと同じで貴也くんの事が好」
リア「キャァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
リアは真っ赤になりながら大声を上げて手をばたばたと振り回しながら真理のセリフを遮った。
リア「ま、ままま真理さん!!い、いきなり、な、なに言うんですかぁ!!?」
真理「くっくっくっ・・・。あははっ、ごめんごめん。
やっぱりアナタもリアちゃんね。そういう反応はそっくりだわ。あははっ・・」
真理はお腹を押さえて笑いを堪えながらリアに謝る。
リア「もーーー!!!」
そんな真理の様子を見て、リアは怒った顔でほっぺをぷーっと膨らせた。
リア(アタシ、なんだかこの人苦手〜)
この瞬間、リアの真理の第一印象は意地悪で苦手な女の子に決定した。
ベル「ところで貴也さん。ひとつお願いがあるの」
リア(きたっ!!)
リアは直感的にベルがさっきの約束の事を貴也に話すのだと悟り、身を堅くして耳を澄ませた。
貴也「なに?ベル」
ベル「あのね。リアが元いた世界とこっちの世界じゃ町並みも少し違うと思うの。
だからリアに町を案内してあげて欲しいんだけど。ダメかな?」
貴也「いいよ。リアもそれでいい?」
リア「う、うん」
リアは緊張のあまりほぼ無表情で言葉少なにコクコクと頷いた。
貴也「じゃあ、放課後に校門前で待ち合わせしようか」
リア「うん!」
リアは相変わらず無表情で頷き、その後は指先をもじもじとさせているだけだったが、
内心では喜びのあまり
リア(やったーーー!!ベルえらーーーいっ!!)
と大歓声をあげて小躍りしていた。
この時、リアの事をよく見れば少し頬が紅潮しているのが分かっただろう。
しかし、そんなリアの様子に気がついたのは事情を知っているベルだけだった。
ベル(まったく、うれしそうにしちゃって・・・)
乙女チックなリアの姿を眺めながらベルは密かに微笑んだ。
貴也「じゃあフォル。今日はボクとリアで夕飯の買い物をしてくるよ」
フォル「はい。それでは放課後までに献立を考えて、お買い物リストを作っておきますね」
貴也「うん。頼むよ」
フォル「はい」
そして瞬く間に時は流れ、
キーン コーン カーン コーン
放課後の事に思いをはせていたリアには、ほとんど記憶に残らなかった午後の授業が終了した。
そう、リアが待ちに待った放課後がやってきたのである。
ガタッ
リアは最後の授業が終わると同時にカバンを手に取ってさっそく教室を出て行こうとする。
ベル「リア、待って」
そんなリアをベルは冷静に呼び止めた。
リア「な、なに?ベル」
ベルに呼び止められたリアは不思議そうな表情で振り返る。
リアがベルに向ける瞳からは早く校門に行きたくてうずうずしている事が容易に読み取れた。
ベル「まだホームルームが残ってるでしょ。そんなに慌てないの」
リア「あっ!そ、そっか。あ、あはは・・・」
リアはそう呟くと恥ずかしそうに自分の席に座り直して照れ笑いを浮かべる。
ベル「はぁ・・・」
ベルはそんなリアの姿を見て、呆れたように小さく溜息をついた。
それからまた少し時が経ち、ホームルームも無事終わるとリアは再び自分のカバンを取って立ち上がった。
リア「じゃあベル。アタシ行ってくるね」
ベル「うん。でも、そんなに慌てて行く事ないでしょ」
ベルは今にも駆け出して行きそうなリアを見ながらそう言った。
リア「うん。でもアタシ、貴也より先に校門に行って貴也のこと待っていたいから・・・」
ベル「・・・」
リアが少し恥ずかしそうにしながら言ったセリフを聞いてベルは思わず絶句した。
ベル(うわぁ〜。昨日までのリアだったら絶対に聞けないセリフだわ。
こっちのリアとは違って、この子はどう見ても恋する乙女って感じね。
なんだかちょっと違和感があるけど、こういうリアも可愛くっていいわね。
リアもこの子を見習って、もっと素直に貴也さんに甘えればいいのに・・・)
ベルは滅多に見られない照れるリアの顔を見ながらそう思った。
リア「じゃ、行くね」
ベル「分かったわ。それと、べつに少しぐらいなら帰りが遅れてもいいから、ゆっくりデートを楽しんでくるのよ」
リア「デ!デートなんかじゃないわよ!!ただ、ちょっと町を案内してもらって買い物するだけで・・・」
ベル「はいはい。そういう事にしておくわ」
リア「もーー!ベルのいじわる!!」
リアはくるりとベルに背を向けると、まだ喧騒の残る教室を駆け足で出て行った。
リア「はぁ、はぁ・・・」
リアは少し息を弾ませながら教室から駆け足で校門までやって来た。
校門付近に貴也の姿はなく、それどころかリアの他に下校する生徒の姿すらほとんどない。
明らかに早く到着し過ぎである。いくら貴也が時間に几帳面でもこんなに早く来ているわけがない。
リア「よかった。貴也より先に着いた」
それでも貴也より遅れる事を恐れていたリアは早く来れた事に安堵の吐息を漏らす。
そしてリアは校門に背を預け、じっと貴也を待ち始める。
リア(なんだかちょっとドキドキする。貴也、早く来ないかなぁ〜)
さっきまでの思いとは裏腹に今度は貴也が早く来る事を期待しながらリアは空を見上げた。
秋晴れの空にはこの季節特有の空を覆うような薄い雲が広がっている。
リア(・・・)
そうして少しだけ時が経ち、リアが貴也を待っている間、リアの目の前を何人もの生徒が通り過ぎてゆく。
なかにはじっと突っ立っているリアの事を不思議そうに見てゆく人もいた。
リアはそんな人と目が合いそうになる度に‘さっ’と恥ずかしそうに目をそらした。
なんだかリアを見てゆく全ての人がドキドキしている自分の心を見透かして笑っているよう思うからだ。
それはさすがに自分の気にせいだとはリア自身も分かっているのだが、それでもやっぱり気恥ずかしい。
リア(うぅ〜・・・。貴也ー早く来て〜。遅いよーー・・・)
リアは自分が早く来過ぎた上、まだ5分と待っていないにも関わらず、そんな勝手な事を思った。
そうしてリアがもんもんとしながら貴也を待っていると、
リア(ん?)
リアは視線の先に自分と同じように校門脇に立っている1人の女生徒の姿を見つけた。
見ると、その子は少し寂しそうな表情でじっと校舎の玄関を見つめている。
リア(もしかして・・・あの子も誰かと待ち合わせしてるのかな?)
そして、あの子も誰か好きな人を待っているんじゃないかとリアは思った。
なぜなら、その子もリアと同じようにそわそわとして落ち着きがなく、しきりに校舎の玄関を気にしているからだ。
そう思うとリアは急にその子に親近感を覚えた。
そしてそのままその子の様子を見ていると、不意にその子の表情がパッと明るくなる。
リアがその子の視線の先を目で追うと、そこには笑顔でその子を見ている男子生徒の姿があった。
リア(うふふ。とってもうれしそうにしてる。やっぱりあの子、好きな子と待ち合わせしてたんだ)
男子生徒はその子の前まで来ると足を止め、その子と会話を交わし始める。
リア(もしかして2人はもう付き合ってるのかな?)
会話を交わす2人の姿がとっても自然で、お互いにとてもうれしそうな笑顔を浮かべていたので、リアはそう思った。
そして2人は少し話した後、一緒に校門へ向かって歩き出した。
ほとんど密着しそうな程の距離に寄り添い、楽しそうにおしゃべりしながら。
リア(やっぱり、もう恋人同士なんだ・・・)
そして2人がリアの横を通り過ぎる時にリアが見たその子は顔はとても幸せそうな笑顔をしていて、
そんな仲睦まじいカップルをリアは少し羨ましそうに見送った。
リア(いいなぁー・・・。やっぱり今からデートなのかな?)
『べつに少しぐらいなら帰りが遅れてもいいから、ゆっくりデートを楽しんでくるのよ』
そう考えた時、リアの脳裏にさっきベルに言われた言葉が不意に蘇った。
リア(もしかして、今のアタシも傍から見たら恋人とデートの待ち合わせをしているように見えるのかな?)
そう思った瞬間、なんだかリアは急に恥ずかしくなった。
リア(もーーー!!ベルが変なこと言うから妙に意識しちゃうじゃない!!)
少し火照り始めた頬を押さえながら訳もなく辺りをきょろきょろと見渡し始める。
すると、ちょうどリアの事を見ていた男子生徒とバッタリ目が合い。リアは慌てて目を反らした。
その男子生徒はしばらく困ったように突っ立っていたが、しばらくすると気まずそうにその場を立ち去ってゆく。
リア(うわぁ〜恥ずかしいぃ!!きっと変な人って思われた〜・・・)
リアはますます赤くなった顔を押さえて自己嫌悪を陥りながらうな垂れる。
そんなリアの行動はますます周りの注目を集めたのだが、幸いリアはその事には気づかなかった。
そんなこんなで、ここに来るまでは貴也と一緒に過ごす放課後の期待感でドキドキしていたリアであったが、
今では貴也の事を想ってドキドキしているのか、
それとも周りの人たちに奇異の目で見られる事が恥ずかしくてドキドキしているのか、
なんだか色々な事がごちゃごちゃになってリア自身もなにがなんだか分からなくなった頃、
貴也「リア」
ようやくこの場に貴也が現れた。
貴也「ゴメン。待たせちゃったかな?」
リアよりも遅れてきた事で、ちょっとすまなそうな顔で謝ってくる貴也の顔を見た瞬間、
リアの頭の中で渦巻いていたごちゃごちゃしたものが、全てキレイさっぱり消え去っていった。
リア「ううん、大丈夫」
リアはすっきりと澄み切った笑顔でにっこりと貴也に微笑みかけた。
その表情には先程まで喜怒哀楽の百面相を浮かべていた面影は微塵もうかがえない。
本当はこのセリフの後に
‘アタシも今来たところだから’
と続けたかったのだが、それは嘘になってしまうため、リアには言えなかった。
それが少し残念だったけれど、今こうして
‘貴也と放課後の校門で待ち合わせをする’
という憧れのシチュエーションを満喫できているのだからリアは今十分幸せだった。
貴也「じゃ、行こうか」
リア「うん」
リアは歩き出した貴也の真横に並ぶと校門を抜けた。
そして2人はとりあえず商店街の方に向かって歩いているのだが、
リア(う〜ん・・・)
並んで歩いている2人の距離は近くもなく遠くもない普通の距離で、
どう見ても先程見た恋人たちの密接な距離とは程遠いものだった。
リア(どうやら、こっちのアタシもまだ貴也とは親密な関係にはなってないみたいね。残念・・・)
リアはこちらの自分と貴也との関係をそう予測し、軽い失望をおぼえる。
もしかしたら、こっちの自分は今の自分と違って既に貴也とラブラブに!!
と、少しだけ淡い期待をしていたのだが、その期待はけっこうあっさりと裏切られてしまった。
リア(どこの世界でもアタシは意気地と勇気のないアタシのままなのかなぁ・・・)
そして不甲斐ない自分自身に少しだけ気分が落ち込んでくる。
貴也「どう、リア?町並みにどこか違う所ってあるかな?」
リア「えっ」
貴也にそう尋ねられ、リアは一応貴也に町を案内されているのだという事を思い出した。
リア「え〜と・・・」
リアは改めて町並みを観察してみる。
左右に幾つもの商店が並ぶ行きつけの商店街。
八百屋、お肉屋、魚屋、薬局、本屋、スーパー、エトセトラ・・・。
ほとんどの日用品がここで買い揃えられてしまう、とても便利な商店街。
リアも何度となく足を運んでいるので見慣れた景色なので、何か違いがあればすぐに気づくだろう。
リア「・・・」
しかし、リアの瞳に映る町並みは昨日までリアが見ていた光景と寸分と変わらないものだった。
リア「・・・全然、変わってないみたい」
貴也「そうなんだ・・・。まぁ、町並みなんて2、3年でそう変わるものでもないのかな」
貴也はちょっとだけつまらなそうに言った。
貴也としては未来世界が今とどう変わっているのか興味があったのだろう。
リア「ん・・・」
そんな貴也の失望を感じ取ったリアは少しでも貴也を喜ばせようと違いを捜して辺りを見渡す。
すると、
リア「あっ。あそこって確かコンビニだったはずじゃ・・・」
ようやく見覚えのない景色を目にする事ができた。
貴也「えっ、どこ?」
リア「あそこ。あの角の駄菓子屋。アタシのいた世界だと、あそこはコンビニになってるの」
貴也「そうなんだ・・・」
貴也はリアの指差す駄菓子屋を見つめると感心した様子で呟いた。
でも、すぐにその表情は少し沈んだものになる。
貴也「そうか・・・。あの駄菓子屋、潰れちゃうのか・・・」
リア(あっ。貴也、なんだか寂しそう・・・」
貴也にはあの駄菓子屋に何か特別な思い出があるのかも知れない。
それが未来では無くなっていると知らされれば良い気はしないだろう。
リア(あんまりアタシの世界の事は話さない方がいいのかも。
あまり色々な事を教えてしまったら、この世界にも何か悪影響を与えてしまうかもしれないし・・・)
リアは貴也の寂しそうな横顔を見ながらそう決意した。
リア「それより貴也。早く夕飯の買い物すませちゃお。今日の夕飯はなんなの?」
リアは貴也の沈んだ気分を変えてあげようと思い、少し強引に貴也の手をとって引っ張った。
貴也「えっ?ちょっとリア」
リア「うふふっ。ほら、早く!」
そして手をつないだままで歩き出す。
こんな大胆な行動は普段のリアだったらできなかっただろう。
でも今リアは目の前にいる貴也を自分の知る貴也とは同一人物でありながらも別人だと認識していた。
その事が、少しだけリアの心の枷を外し、羞恥心を軽くさせ、リアを大胆にさせていた。
そのため、普段は恥ずかしくて絶対できない
‘貴也と手をつないだまま街中を歩く’
事まで可能とさせていたのだった。
リア「貴也の手って大きいね」
貴也「えっ、そうかな?」
リア「うん。それに暖かい」
そしてさらには、こんな恥ずかしいセリフまで言えてしまっている。
しかし、さすがにこれはリアも恥ずかし過ぎたのか、言った後に頬を少し赤らめた。
貴也「・・・きょ、今日はちょっと寒いからじゃないかな」
貴也の方も照れたのか、リアから目を反らして誤魔化すように言う。
リア「・・・うん。そうかも」
リアはそう言って貴也の手をきゅっと握った。
貴也「・・・」
貴也も恥ずかしそうに無言で握り返す。
リア「・・・」
貴也「・・・」
そして2人はお互いに照れくさい雰囲気を纏ったまましばらく無言で歩いていた。
そんな2人の耳に
い〜しや〜きいも〜〜 おいも!
なんともムードぶち壊しな音が飛び込んできた。
おいし〜いおいしい やきいもはいかがですか〜
道の前方から石焼き芋屋のトラックがゆっくりとこちらに向かってくるのが見える。
貴也「・・・」
リア「・・・」
その音でなんとな〜く気が削がれてしまった2人はどちらともなく顔を見合わせた。
貴也「・・・リア。やきいも、食べる?」
そして貴也はどこかほっとしたような救われたような顔になってそう言った。
この焼き芋屋。貴也にとっては照れくさくも気まずい沈黙を破る救い主であったが、
リア「・・・」
リアにとっては良い雰囲気を台無しにしてくれたお邪魔虫でしかなかった。
それでも、焼き芋を食べたいか食べたくないかと言われればリアとしても食べたい方だったので、
リア「・・・うん」
どこか不満そうなムッとした表情をしながらもリアは素直に頷いた。
貴也「じゃあ買ってくるからここで待ってて」
貴也はリアとつないでいた手を離すと焼き芋屋へと走ってゆく。
リア(もぅ!!せっかく良い雰囲気だったのに!!)
リアはまだ貴也の手の温もりの残る自分の手を眺めながら頬を膨らませる。
貴也「はい、おまたせ」
リア「ありがと〜」
それでも、貴也が熱々のやきいもを手に戻って来ると、その表情は一転して笑顔になった。
なんだかんだと言っても、おいしいものが食べられるとなると自然と笑顔が浮かぶものである。
そしてリアは貴也から熱々で湯気の出るやきいも受け取り、さっそく皮を剥いてほうばる。
リア「熱っ!!はふはふ・・・」
貴也「ほらっ。まだ熱いから、そんなに慌てて食べると火傷するよ」
リア「うん。でも熱くてもおいしいよ。ほらっ、貴也も早く食べたら」
貴也「そうだね」
貴也もリアと同じようにやきいもの皮を剥いてかぶりつく。
すると、やきものの熱と甘味が口内に広がってゆく。
貴也「熱っ!!はふはふ・・・」
リア「でも、おいしいでしょ?」
貴也「うん。おいしい」
リア「でしょ」
2人は熱いやきいもを持ったまま、お互いににっこりと微笑み合う。
そして2人は灼熱のやきいもを平らげる事に意識を戻した。
そうしてしばらくほくほくと焼きいもを食べていると、貴也の方が先に食べ終わり
手持ち無沙汰になった貴也はやきいもを食べているリアの横顔をぼんやりと見ていた。
リア「もぐもぐ・・・。ん?なぁに、貴也。そんなにアタシのこと見て、どうしたの?
あんまりじっと見てられると食べにくいんだけど・・・」
そんな貴也の視線に気づいたリアがちょっと恥ずかしそうにそう言う。
貴也「あっ、ゴメン。ただ、ちょっと・・・ね」
リア「ちょっと、なに?」
貴也は何か誤魔化すような言い方で言葉を濁したが、
リアは誤魔化された言葉のその先が気になったので、さらに追求してくる。
貴也「・・・うん。やっぱり、こっちの世界のリアとは別人なんだなって。そう思って・・・」
リア「そんなにアタシはこっちのアタシと違うの?」
馨子や真理にも言われた事を貴也にも言われ、リアはますますこっちの自分の事が知りたくなった。
貴也「うん。だって、ボクはこっちのリアにはどうも嫌われてるみたいだから・・・」
リア「ええぇ!!」
まったく予想もしていなかった事を言われ、リアは大いに驚いた。
こっちの自分は貴也の事を嫌っている。
まさか、そんな事がありえるだろうか?
たとえ異世界の自分の事とはいえ、そこまで自分と人格が違うとはリアには意外でならなかった。
リア「どうしてそう思うの?」
貴也「だって、時々避けられているように感じる時もあるし、話をしていてもどこか余所余所しい感じだし。
これはもうどう考えても嫌われているとしか思えないんだ」
リア(う〜ん・・・。それはまだ自分の気持ちがキチンと固まっていないからなんじゃないかな。
だから、顔を見合わせたら心がざわざわしてしまうから、つい避けてしまう。
話をしていても気持ちがもやもやして落ち着かないから余所余所しくなってしまう。
たぶん、そんなところじゃなのかな)
リアは自分自身も経験した事のある気持ちだったため、こちらのリアの心情が手に取るように分かった。
貴也「ボク、何かリアに嫌われるような事したのかなぁ・・・」
リア「そんな事ないわよ。こっちのアタシだって貴也のことを好きなはずよ。
でも、まだ照れてるから、うまく貴也と接する事ができないだけなのよ」
リアは沈んだ表情で呟く貴也を慰めるため、明るくそう言った。
貴也「そうかな・・・」
しかし、貴也はまだ懐疑的な様子でリアの事を見る。
リア「うん、絶対そうよ」
リアは貴也を納得させるべく、とびっきりの笑顔を浮かべる。
そして、
リア「だって、アタシは貴也のこと好きだもの」
決定的な一言を口にした。
貴也「えっ!?」
それを聞いた貴也は驚きで目を丸くし、まじまじとリアを見つめてくる。
リア(・・・・・・あっ!!)
そんな貴也の様子を見て、リアは自分が勢いに任せてとんでもない告白してしまった事に気づいた。
そして気づくと同時にリアの顔がものすごい勢いで赤く染まってゆく。
リア(キャーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
どうしようどうしようどうしようどうしよう!!!!
言っちゃった言っちゃった言っちゃったぁ!!!!!
うわぁーーーーどうしよぉーーーーーーーーーー!!!!!!!)
リアは頭の中が完全にパニックに陥り、真っ赤になったままカチーンと固まって硬直してしまう。
そして告白された貴也はというと、
貴也「・・・そっか。そうだよね」
どこか晴々としてすっきりした表情でにっこりとうれしそうに微笑んだ。
リア(えっ?)
その余りにもあっさりとした貴也のリアクションにパニックに陥っていたリアも少し冷静さを取り戻す。
貴也「ありがとう、リア。そうだよね。きっとこっちのリアも今のリアみたいにボクに甘えてくれるようになるよね。
何て言ったって、リア自身のお墨付きなんだから」
貴也はそう言うと可笑しそうに小さく笑った。
リア(あっ、そうか!きっと貴也はアタシの言った‘好き’を‘家族としての好き’だと思ったんだ。)
そんな貴也の様子を見てリアは貴也がうまく勘違いしてくれたのだと悟った。
リア(な〜んだ、そうだったんだ。あははっ、焦って損しちゃった。でも・・・)
リアは勘違いされて安心したような、ちゃんと気持ちが伝わらなくて残念なような、複雑な気持ちになった。
そして少しだけ冷えてしまったやきいもの最後のかけらを口に放り込んだ。
それから2人はフォルから貰った夕飯のメモを頼りに商店街をアチコチまわり食材を買い求めた。
貴也「これで最後かな」
そして、メモに書かれた食材を全て買った2人は一応確認をしていた。
リア「うん。そうみたい」
貴也「じゃ、帰ろうか」
リア「うん」
リアは頷くと買い物袋の半分を手に取った。
貴也「リア。荷物ならボクが持つよ」
リア「ううん。半分アタシが持つわ」
元の世界の貴也は工事現場のアルバイトで肉体労働しているため体力があるけれど、
こっちの貴也はそれ程たくましくは見えない。どちらかと言えば細い身体つきをしている。
さすがにこの荷物を全て持つのは無理だろう。
貴也「でも、重たいよ」
リア「平気平気。それに重たいのはお互い様でしょ」
リアは明るい口調でそう言うと、改めて買い物袋を手に持った。
すると、
リア(うっ・・・)
思っていたよりもその荷物はずっしりと重かった。
リア(けっこう重たいのね・・・)
それでも、もう持つと言ってしまった以上、今更貴也に持ってもらう訳にはいかない。
リア「じゃ、帰りましょう」
リアは痩せ我慢をしながら笑顔を浮かべ、英荘に向かって歩き出した。
貴也「・・・うん」
そんなリアの後を少し不安そうに顔を曇らせた貴也が続く。
そうして2人は英荘までの帰路についたのだが、
リア「ふぅ・・・ふぅ・・・」
途中からリアの歩みが遅れだし、息もきれ始めた。
貴也「リア。やっぱり少しボクが持つよ」
そんなリアの様子を見かねて貴也が手を差し出してくる。
リア「・・・」
リアは差し出された手をしばらくじっと見つめながら迷っていたが、
リア「・・・うん」
このまま意地をはっても貴也に迷惑をかけるだけなので、素直に自分の荷物を少し手渡した。
リア「ごめんね、貴也。アタシが持つって言いだしたのに・・・」
貴也「いいよ。そんなこと気にしなくても」
すまなさそうに謝ってくるリアに貴也は優しく微笑み返した。
貴也「ただいまー」
フォル「おかえりなさい。2人とも、ごくろうさまでした」
重い食材を持って長い山道を踏破したリアと貴也をフォルは暖かい笑顔で出迎えてくれる。
リア「ふぅ・・・ふぅ・・・重かったぁ〜・・・」
リアは英荘に着くなり疲労で玄関に座り込んだが、
貴也「ただいま、フォル。ちゃんと買ってきたつもりだけど、全部揃ってるかな?」
貴也は結構平気そうな顔でフォルに材料の確認を頼んでいる。
リア(こっちの貴也も意外と体力があるのね。細く見えてもやっぱり男の人なんだ・・・)
フォル「はい。ちゃんと揃ってますよ。ありがとうございました」
貴也「よかった。じゃあ、夕飯の仕度を頼むね」
フォル「はい」
フォルは頷くとリアの方に顔を向ける。
フォル「リア。よかったら御夕飯の支度を手伝ってくれませんか?」
リア「えっ・・・うん。いいけど」
フォル「うふふっ、よかった。なら、お願いしますね」
フォルはリアから快諾を得られて、とてもうれしそうに微笑んだ。
リアとフォルは台所までやってくるとエプロンをつけてシンクの前に立った。
2人の前には先程リアと貴也で買ってきた食材が並んでいる。
フォル「リアは向こうではお料理はしていましたか?」
リア「うん。向こうでも時々こうしてフォル姉さんのお料理を手伝っていたわ」
フォル「そうですか。実はこっちのリアはあんまりそういう事をしてくれないから・・・。
だから、さっきリアが‘うん’って頷いてくれて、わたしすっごくうれしかったんですよ」
リア「へ〜、そうなんだ。あっ、でもそんなに上手じゃないから、メインはフォル姉さんが作ってね」
フォル「はい」
フォルは包丁と大根を手に取ると大根を適当な大きさに切ってから皮を剥いた。
そして剥いた大根をリアに手渡す。
フォル「じゃあまず、この大根を摩り下ろしてくださいな」
リア「うん」
リアは下ろし金を手に取るとずりずりと摩り下ろし始める。
フォルはリアが作業を始めたのを確認すると、自分は味噌汁を作るため鍋に水を入れて火にかけた。
それから出汁をとるため昆布と鰹の削り節を入れる。
そうして沸騰するまで間に味噌汁の具を切り分け始める。
すると、それまで静かだった台所にフォルが動かす包丁の‘とんとん’という音と
リアの大根を摩り下ろす‘しゃりしゃり’という音と
鍋の出し汁が沸騰する‘ぐらぐら’という音がリズミカルに流れ始める。
フォル「リア、学校はどうでした?」
リア「大変だった。だって、クラスメートの顔も名前も何も分からないんだもの。
だから変なことを言ったりして誤魔化す時にベルと2人で随分と苦労したわ」
フォル「あらあら」
リア「でも、ベルがいてくれたからすぐにクラスにも馴染めたわ」
フォル「そう。じゃあ町並みはどう?何か違う所とかあった?」
リア「ううん。ほとんど変わりなかったわ」
フォル「そう・・・。なら、明日は今日ほど戸惑わずに済むかしら」
リア「うん、そうかも。(でも・・・。アタシ、明日になってもこのままなのかな・・・)」
それまで笑顔だったリアの表情が俄かに曇り始めた。
そしてリアの手元から響いていた大根を摩り下ろす‘しゃりしゃり’という音も次第と小さくなってゆく。
そんなリアの様子に気づいたフォルは包丁を動かす手を休め、真剣な口調でリアに語りかける。
フォル「リア。どうしてアナタの精神だけがこちらのリアと入れ替わってしまったのか。
その理由は分かりませんけど。
わたしもクレア姉様もアナタを元に戻す方法を探しています。
でも、もしその方法が見つからなかったとしても。
いえ、見つかっても見つからなくても、アナタはわたしの妹で、
この英荘みんなの家族である事は変わりませんよ。
ずっとここにいてもいいの。
だからそんな不安そうな顔をするのはおよしなさいな」
リア「・・・」
リアはフォルの言葉を聞いて、しばらく言葉が出なかった。
胸の奥が熱くなって涙が零れそうだったから。
リアも本当はずっと不安だったのだ。
この先どうなるのか。
もう元には戻れないのか。
このままずっとここで暮らしてゆくのか。
ずっとそういう不安を抱えていた。
でも、今のフォルの言葉は全て救われたような気持ちになれた。
ここにいてもいいのだと。
リア「・・・・・・ありがとう、フォル姉さん」
リアは結局は堪えきれずに流れた涙を隠すため、フォルから顔を背けてそう言った。
そんなリアをフォルは優しい眼差しで見つめてから再び包丁を動かし始める。
そしてリアも少し乱暴に目元をゴシゴシと擦って涙をぬぐうと再び大根を摩り下ろし始める。
リア「はい、フォル姉さん。大根、磨り終わったわよ」
リアは摩り下ろし終わった大根をフォルに手渡した。
摩り下ろした大根の長さはだいだい半分程度の長さだったのだが、
それでもリアの腕にはかなりの疲労が溜まっていた。
フォル「ありがとう、リア。はい、次」
フォルは磨り終わった大根を受け取ると、また皮を剥いた大根をリアに手渡した。
リア「え・・・。まだあるの?」
フォル「ええ、まだまだありますよ。だって8人分ですもの」
そう言うフォルの後ろには、まだ大根が丸々1本残っている。
リア(もしかして・・・アレもアタシが摩り下ろすのかな・・・)
リアはその残っている1本の太めの大根を見つめながら嫌な予感を覚えた。
そしてその予感は外れる事はなく、
その大根もリアが自らの腕の疲労と筋肉痛という代償を引き換えにして摩り下ろされたのであった。
リア(今日は楽しかったなぁ〜・・・)
その後、夕食も終え、お風呂に入ってさっぱりしたリアは自分の部屋に戻って来ると、
ベッドにうつ伏せになって今日一日の事を思い返していた。
と言っても、思い返していたのは主に貴也と一緒に過ごしていた時間の事である。
リア(貴也と校門で待ち合わせして、手をつないで歩いて、一緒にやきいも食べて・・・。
そして・・・・・・好きって告白して・・・。
キャーーーーーーーーーーー!!思い出しただけでも恥ずかしいぃぃぃ!!!)
そう思った瞬間、その時の事が脳裏にまざまざと蘇ってきて、リアは思わずベッドの上で身悶えた。
幸い誰も見てはいないが、傍から見るとすっごく危ない人のように見える。
リア(まぁ・・・、ちゃんと気持ちは伝わらなかったけど・・・)
リアは小さく溜息をつくと、ごろりと転がって身を起こし、鏡を見た。
そこには何時も見慣れた自分自身の姿は写ってはおらず、少し幼い自分の姿が写っている。
リア(こっちのアタシってまだ14歳の中学生なんだよね。
だから、貴也もアタシの事をそういう風に見てくれなかったのかな。
だとしたら・・・。こっちのアタシって随分と苦労しそうだなぁ〜・・・)
リアは自分の事は棚に上げて、こっちの自分の心配をした。
リア(たぶん、アタシがいた世界にいるこっちのアタシ。今頃どうしてるのかな?
きっと向こうの貴也とも会ってるよね。
こっちのアタシは向こうの貴也の事どう思ったかな?
それで、こっちのアタシの事を向こうの貴也はどう思っただろう?
もしかして、アタシよりもこっちのアタシの方が貴也の好みだったとしたら!?
もしそうだったとしたら、ちょっとショックだな〜・・・)
そして、見た事も会った事もない異世界の自分にちょっと嫉妬したりなんかもした。
リア(貴也・・・)
リアは瞳を閉じて貴也の事を想った。
そうして瞼の裏に思い浮かぶのは、今日一日ずっと一緒にいた高校生の貴也ではなく、
やはり、こちらの世界の貴也よりも少し大人びた元の世界の貴也であった。
リア(やっぱり、アタシが好きなのはあっちの貴也なんだ。
どれだけこっちで貴也と楽しい時間をすごしても、どれだけ優しくしてもらっても、
やっぱりアタシはあっちの貴也が好き。
それはきっと、向こうにいるこっちのアタシも同じなんじゃないかな・・・)
リアはベッドから腰をあげると窓に近寄り窓を開け放つ。
すると、少し肌寒い秋の風がリアの肌を撫でてゆく。
リアは少し身を震わせたが、そのまま窓から身を乗り出して空を見上げた。
空には山奥の薄暗い英荘ならではの眩い星空が広がっている。
その景色は元いた世界のものと寸分の違いもない。
それでも、ここはリアにとってはやはり異世界なのだ。
リア(ねぇ、そっちの世界はどう?楽しい?それとも大変だった?)
リアはその星空に向かって、どこに居るのかも分からないこちらの自分に対して心の中で語りかけた。
リア(アタシは・・・両方。色々大変だったけど、楽しい事もあった。
どうしてこんな事になっちゃったのかは分からないけど、
きっと、このままこっちでアナタとして暮らしてゆくのも悪くないんだと思う。
でも、やっぱりアタシはそっちで暮らしてゆきたい。
アナタも、きっとアタシと同じ気持ちよね。
だから、明日の朝起きたら元通りになっている、って事にしない?
2人で同じ事を想えば、きっと願いは叶うと思うから・・・・ね)
リアはそこまで想ってから、もう一度星空を見上げた。
リア(アタシの想い、届いてくれたかな?)
リアの問いかけに星空はチカチカと瞬くだけで、何も答えは返してくれない。
しかし、その時不意に一筋の光が星空を横切った。
リア「あっ!」
流れ星だった。
リア「・・・ありがとう」
リアはにっこり微笑み、誰にともなく礼を言うと窓を閉めてカーテンを引いた。
ジリリリリリリリリリリリリリリリ
リア「う、う〜ん・・・」
リアは目覚まし時計から鳴り響く騒音で夢の中から現実世界に意識を引き戻された。
パチ
そして寝ぼけ眼で布団の中から手を伸ばし、目覚まし時計を止める。
目覚まし時計を見ると。針は昨日寝る前にセットした時間を指している。
リア「ふぁ〜・・・」
リアは一度大きくあくびをしてから布団から這い出した。
それから簡単に身支度を整えてからパジャマを脱ぎ、学校の制服に着替える。
そして着替え終わった姿を鏡で確認し、変なところがないかチェックする。
リア「よし!」
今日も完璧。
高等部の制服が自分によく似合っていた。
そして部屋を出て行こうとして、
リア「・・・・・・あれ?」
リアは不意に気づいた。
今、自分は‘高等部’の制服を着ている事に。
バッ
っと身を翻し、鏡の前に戻って自分の姿を仔細に観察してみる。
そこには何時もの見慣れた‘高等部’の制服を着た‘17歳’の自分の姿が映し出されていた。
リア「・・・元に・・・戻ってる」
その事実を認識した途端、リアの頬は自然と緩んでゆき、ついには満面の笑みになった。
リア「やったーーーーー!!戻った!!元に戻ってるーーーー!!!」
そして諸手を上げ、歓声を上げながら喜こび回る。
しかし、
リア「・・・あれ?でも、もしかしたらアレは全部夢だった、なんて事もある・・・のかな?」
その事に思い至って、リアはアレが本当に現実の事だったのか、それとも夢だったのか、
それが分からなくなり、急に不安になってきた。
リア「今日、何日だろう?」
リアは今日の日付を誰かに確認するため、慌てて部屋を飛び出してゆくのだった。
<おしまい>
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