ある研究員の手記より


 リガルード計画
 別名、計画の施行時期と滅びゆく人類の悪あがきを皮肉って‘終末計画’とも呼ばれているこの計画。
 誰が、何時、何処で始めたものなのか定かではないものだが、
 今、滅びへと向かいつつある人類を救済するための最後の手段であるらしい。
 そして、僕はその計画の要となる‘Lalka’の作成に関わっている。

 Lalka。
 稀に扱える者もいる超自然的な力‘Psi’
 そのPsi能力を持つ者を人工的に創造する。
 そうして造られた者達を僕らは‘Lalka’と呼んでいた。
 しかし、実際にはこのLalkaはまだ存在していない。
 計画の要であるはずなのに、その研究が一向に進んではいないのだ。
 
 だが、このLalkaの研究も研究室に中央研究所より‘あるモノ’が届いた事により、飛躍的な進歩を見せる。
 そのあるモノとは、一角狼の卵子であった。
 一角狼は産まれながらにしてあらゆるPsi能力を持っている種族と言われていた。
 しかし、中央は絶滅種であるはずの一角狼の卵子をどうやって手に入れたのだろうか?
 不思議な事ではあったが、この計画自体がそもそも謎だらけなのだから考えても仕方がない事なのだろう。
 ともかく、
 一角狼の卵子とPsi能力者の女性の卵子を掛け合わせた2倍体卵子を使う事で研究室初のLalkaが誕生した。
 ‘A-000X’というナンバーを付けられたそのLalka。
 見た目は普通の子供となんら変わる事のない姿をしていた。
 とても愛らしい、子供の姿を。

「可愛いー。不思議と見かけは普通の子供と変わらないのね。
 一角狼の卵子を使ってるから、もしかしたら角とか尻尾とか生えてる子が産まれるかもって思ってたけど・・・。
 そんなこと全然なくって。ふわふわで可愛い、うふふ」

 そのLalkaを抱き上げ、頬擦りまでする人物がいる。
 この研究室で僕と同じ助教授のセフィリア・プルゥド女史だ。

「きゃはは」

 Lalkaはセフィリアの腕の中で喜びの声を上げている。
 その姿はまるで母親が自分の子供をあやしているように見えた。
 実際、その表現は間違ってもいないと思う。
 なぜなら、そのLalkaには彼女の卵子が使われているのだから。
 セフィリアはPsi能力保持者だ。
 と、いってもそれ程の力を持っているわけではない。
 本当ならもっと力のある人の卵子を使うべきであったろう。
 しかし、うちの研究室でPsi能力を持っているのは彼女だけだった。
 だから、消去法にかけるまでもなく、彼女の卵子が使われる事に決まったのだ。

「この子に名前付けてあげなくちゃね」

「ラルカでいいんじゃないか?」

「ダメよ!それってこの子達の総称でしょ。この子にはこの子の名前が必要よ」

「じゃあ、なんて呼ぶつもりだい?」

「そうねぇ〜・・・。‘アン’はどうかしら?」

「アン?どういう意味だい?」

「基星で使われていた言葉で‘1’という意味よ。
 この研究室で産まれた最初の娘なんだから、ぴったりでしょ」

「ほぉ〜・・・。うん、それでいいんじゃないか」

「うん、決まり!アナタの名前は今からアンよ」

「きゃっ、きゃ」

 そのLalkaはその名が気に入ったのか手足をばたばたと動かして喜んでいた。



 こうして、そのLalkaの名前は‘アン’と決まり、彼女を使っての研究が開始された。
 まずは、アンの潜在的Psi能力の確認。
 それにより、今まで確認されたPsi能力のほとんどを扱える程の潜在能力を有している事が判明する。
 ただし、潜在能力がある‘だけ’なので、実際に扱えかどうかはこれからの教育次第らしい。
 そのため、アンの研究は主にPsiの訓練と一般常識的な教育に絞られる事となった。
 そして、その教育係として、僕とセフィリア女史が選ばれた。
 僕がPsiの訓練。
 セフィリア女史が一般教育の担当だ。
 Psiの訓練だからといっても何も難しい事はない。
 普通の一般人Psi能力者用のカリキュラムを受けさせればいいだけなのだから。
 ただ、その量が普通よりも多いだけ。
 一般のPsi能力者は大抵、ある能力だけが特化するものだから、それ用の訓練をすればいい。
 しかし、アンは全ての訓練をしなければならないのだから量が多いのも当然だ。
 そしてセフィリアの方は学校の先生のような事をすればいいだけだ。
 どちらかといえば、彼女の方が楽なんじゃないだろうか。
 こうして、僕とセフィリアとアンとの少しだけ変わった共同生活は始まった。
 
 始める前はかなり緊張したものだが、すぐに慣れた。
 それは、アンはとても人懐っこくどんな時でも笑顔を絶やさない明るい子だったからだろう。
 そんなアンを僕はすぐに好きになった。
 セフィリアもそれは同じだったらしく、すぐに僕たちはアンと友達になった。
 訓練は連日行われ、特には苦しい時もある。
 それでもアンは一度の弱音を吐かずにがんばった。
 僕らもアンを励まし、お互いに支え合ってアンの成長を見守っていった。
 幸せな日々だった。
 アンの成長は目覚しいものがあり、一般常識はすぐに覚えた。
 Psi能力についても次々と開花させたいった。
 僕たちはアンが何か能力を開花させる度に3人で喜びあった。
 その姿は傍から見れば、まるで我が子の成長を喜ぶ家族のように見えた事だろう。
 実際、僕らは家族そのものだったと思う。
 僕は何時の間にかセフィリアもアンも愛していたから。
 2人も僕の事を愛してくれていると思う。
 もし、この研究が無事終わったなら。
 3人で本当の家族になるのも悪くないかもしれない。
 そんな幸せな日々が長らく続き
 ついに中央研究所から要求されたPsi能力をアンは全て使いこなせるようになった。
 僕たちは大いに喜んだ。
 僕たちだけじゃない。研究室のみんなも一丸となって喜んだ。
 これで人類は救われる。
 僕たち3人の未来も明るいものになるだろうと。
 しかし、
 中央研究所からはアンのための新しいカリキュラムと
 そのカリキュラムを実行するための新しい人材が研究室にやって来た。
 そして、
 この日を境にして幸せな時間は終わりを告げた。



 新しいカリキュラム。
 それは、Lalkaの能力の限界を試すために用意されたものだった。
 Psi能力の限界。
 身体能力の限界。
 精神的能力の限界。
 それらを全て測定するための実験。

 地獄の始まりだった。

 Psiの連続使用による能力の減衰率の把握と身体と精神への影響。
 限界まで痛めつけられ再生能力を試される身体。
 ありとあらゆる薬物に対する反応試験。
 ありとあらゆる環境での適正試験。
 考えられる限りの全ての事がアンに試された。
 当然の事ながら、アンは日々衰弱していった。

 そんなアンを前にして僕ら何もしなかったわけじゃない。
 当然、抗議運動を行った。
 しかし、僕らは一介の研究員に過ぎない。
 そんな僕らの意見が人類の存亡をかけたプロジェクトに聞き入れられるわけがなかった。
 この時程、自分の無力さを痛感したことはない。
 僕らは、アンに何と言って詫びればよいのだろう。
 こんな事をされるためにアンは産まれてきた訳ではないはずなのに。
 誰も、こんな事など望んでいないはずなのに・・・。
 アンに会わす顔がない。
 それでも、僕らはアンと会う。
 それが、僕らがアンにできる唯一の事だったから。
 こんな無力な僕らでも会えばアンはうれしそうに笑ってくれるから。
 見ているものが悲しくなるぐらい、柔らかい笑顔を。
 その笑顔が、僕らに心配をかけまいと思うアンの精一杯だとしても。
 その瞬間は僕らは家族でいられたから
 そんな日々が続いたある日。
 アンはついに笑顔さえ浮かべる余力もなくした。
 それと同時期にセフィリアが倒れた。
 彼女は、この研究を続けるには優しすぎたのだ。
 そんな彼女を支えていたのが、たぶんアンの笑顔だったのだろう。
 その笑顔が失われた時、
 セフィリアはもう立っている事さえ出来なくなったのだ。


 
 セフィリアが倒れてしばらく経ち、面会でできるようになったので見舞いに行った。

「どう、アンの様子は?」

 そして、僕の顔を見た第一声がそれだった。
 セフィリアの顔は倒れた時よりは良くなっていたとはいえ、まだ憔悴しているように見えた。
 ずっと、アンの心配をしていたのだろう。
 僕がアンの様子が良くはなっていない事を伝えると、目に見えて落胆した。
 しかし、何も言い返してこないところを見ると、彼女にも想像はついていたのだろう。
 実際、セフィリアがアンの前に姿を見せなくなってから、アンの容態は急速に悪化していった。
 今ではもう、笑うどころか話しかけても反応を返さない事すらある程だ。
 それでも研究は止まらない。
 おそらく、カリキュラムの全てが終わらない限り、どんな事があっても中断はしないのだろう。
 いや、一つだけあるか。
 アンは死んでしまえば否応無しに終わるだろう。
 
「ごめんなさい。でも、私はもうあの子のあんな姿を見ていられない!!
 でも、アナタは・・・アナタだけは最後まであの子の側についていてあげて、 
 あの子を守ってあげて・・・。お願い!おねがいよぉ〜〜〜!!!」

 セフィリアは僕の腕を掴むと狂乱気味に訴えてきた。
 彼女の気持ちは僕にも痛いほど良く分かる。
 しかし、今の僕にはもう彼女に頷いてあげるだけの力も自信も持ち合わせてはいなかったのだ。



 それでも、僕はセフィリアの願い通りずっとアンの側にいた。
 すでにアンは僕の事を認識する事すら出来ないようになっていたけれど、
 それでも、側にいる事だけは止めなかった。
 もう、それだけがアンのために出来る唯一の事になっていたから。



 そして、無限とも思われた研究にも終わりの時がやって来た。

 アンは辛うじて生きている状態で僕のところに帰ってきた。
 身体はボロボロ、神経はズタズタ、脳は廃人寸前
 このまま何も手を施さなければ、確実な死が待っているだろう程の危険な状態で。
 僕はアンを助けるため、すぐさまアンの治療を開始した。
 今のアンに治療を施したところで元の状態まで回復する見込みはなかったが、
 それでも、せめて命だけは絶対に助けてあげなければならなかった。
 だから僕は昼夜を問わず付きっきりでアンの治療に専念した。
 しかし、そんな僕の想いを嘲笑うかのように、中央研究所はアンの破棄が決定した。
 その通知はすぐに僕の元にやって来た。
 それを見た途端、僕はすぐさま中央に飛んだ。
 もちろん命令を撤回させるためだ。
 今、アンに残された最後の物。
 彼女自身の命。
 それすらも奴らは奪おうというのか?
 そんな事が許されるはずがない。
 これ以上アンを苦しめる事なんて誰にも許されるものか!!



 中央に着いた僕は真っ先に‘リガルード計画局Lalka研究部中央研究所’所長の所へ出向いた。
 そして、アンの破棄を撤回ように強く訴えた。
 
 そして、僕の願いは意外な程あっさりと受け入れられた。
 一つの条件と共に。
 その条件とは、
 アンを1番目のベスティアリーダーとする事。
 ベスティアリーダーとは、このリガルード計画の中核を担う99人のLalkaの事らしい。
 そのベスティアリーダーとは対となる別の4人のLalkaもいるらしい。
 そして、ベスティアリーダーはその内の1人と戦って生き終わらされる予定らしい。
 要するに、今破棄しなくても、どうせ後で生き終わるのだから同じ事と思われたのだ。
 1番目のベスティアリーダーは真っ先に生き終わるからと。
 ともかく、アンには‘B-001’という新たなナンバーが与えられ、どうにか一命を取り止める事が出来た。

 いずれ生き終わる運命だとしても、
 今生きていなければ未来はない。
 それに、
 未来を信じていれば、運命だって変えることが出来るかもしれない。



 そして研究室に戻った僕はアンをゆっくりと調整槽で癒していった。
 しかし、完全に癒す事は出来ない。
 神経や脳の芯にまで及んだダメージまでは手の施しようがなかったのだ。
 それに記憶も。
 脳のニューロンやシナプスも損傷が激しく、記憶まで回復させるのは不可能だった。
 しかし、これはこれで良かったのかもしれない。
 僕たちの思い出が無くなってしまったのは少し寂しいけれど、
 あんな事を覚えているよりはずっといいだろう。
 


 そして、アンの身体がほぼ再生した時に新たな問題が出てきた。
 それは、マインドコントロールの事。
 ベスティアリーダーは自身のお役目をマインドコントロールによる刷り込みで植え付けられる。
 しかし、アンの弱った脳や神経では強力なマインドコントロールには絶えられないのだ。
 僕は悩みに悩み抜いて一つの苦肉の策を思いついた。
 それは暗示によってあたかもマインドコントロールを施したかの様に見せかける事だった。
 ただの暗示なので、ふとした瞬間に解けてしまうかもしれないが、別に僕は構わない。
 それよりも、アンはマインドコントロールがされていない事により、
 他のLalkaたちの誰よりも自由な、
 何色にも染まっていない
 ‘無色のLalka’となれたのだから。
 そのためアンにはお役目による束縛は存在しない。
 うまくいけばアンは生き終わらずに済むかもしれない。
 でも、この事でリガルード計画自体に何か狂いが生じるかもしれない。
 もしかしたら、この事で人類は本当に死滅するかもしれない。
 しかし、セフィリアとの約束を守るには、アンを守るにはもうこれしか方法がないのだ。



 そして、いよいよアンが再び目覚める日がやって来た。
 いや・・・、もうこの子にアンという名前はふさわしくないかも知れないな。
 この子には新しい未来と共に新しい名前を与えよう。
 どんな名前がいいだろう。
 ベスティリアリーダーは最後にサブロマリンを付けなきゃいけないし。
 う〜ん・・・。
 こんな時、セフィリアがいてくれれば良いものを考えてくれただろうに。 
 ・・・・・・・・セフィリア・プルゥド。
 セフィ・・・。
 よし、決めた!
 名前を決めた僕は調整槽の羊水を抜き、静かに彼女が目覚めるのを待った。
 そしてしばらくすると、彼女がまぶたが静かに震え、瞳がゆっくりと開き出す。
 彼女は2、3度瞬きすると、辺りをきょろきょろと見渡し始めた。
 そして僕と目が合う。
 僕がにっこりと微笑みかけてあげると、彼女は不思議そうに僕を見つめ返してきた。
 以前産まれてきた時とまったく変わらない、
 とてもとても綺麗な瞳で。

「おはよう、セフィ。君の名前はセフィネス・プルゥド・サブロマリンだよ」
 

<END>





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