男の子「おじいちゃん。なにかお話して」
老人「そうだね、なんのお話がいいかな?」
女の子「天使のお話がいい」
老人「そうかい。天使の話がいいのかい?」
男の子「うん。だから早く聞かせておじいちゃん」
老人「わかったよ。じゃあ話してあげようかね」
曾孫達はおとなしく老人が話し始めるのを待っていた。
老人「わしの知っている天使は世間で知られているような、背中に羽を持っていたり、
頭にわっかを付けていたりしてはいなくてね・・・、人間と変わらない姿をしていたんだ。
しかも、わがままで、高飛車で、口も悪かった・・・。でも本当は誰よりも優しい天使だったんだよ・・・」
・・・・・・
・・・・・
・・・・
・・・
・・・
・・
・・
・
・
・
・
天使の昔話
その頃の俺は人生の中で一番荒れていた時期だっただろう。
かつて親父はここ高森市の市長だったのだが贈収賄がばれたために市長の座は追われてしまっていた。
敵の多い奴だったからきっと誰かから密告でもされたのだろう。
その後もう1度選挙に立候補したが落選し、今ではただの飲んだくれになっている。
母親はそんな親父に愛想をつかし以前から作っていた愛人の所へ行ってしまった。
まあ、本当の母親じゃなく、親父の再婚相手ではあったが・・・。
俺の本当のお袋とは俺が小さい頃にすでに死別している。
そして当然ながら両親は離婚。
俺は親父の方に付いたが、親父の世話になるのはゴメンなので残っていたマンションだけ貰い一人暮らしを始めた。
だが何か定職に付くわけでもなく。持ち前のルックスと話術で、女に食わせてもらっているジゴロのような生活をしていた。
そんな俺がある晩、1人の女に声をかけられた。
夜の街
女「あなた、ちょといいかしら」
青木「ん?」
誰かから声をかけられ、振り返ると1人の美女がいた。
ちょっときつそうな顔立ちだがかなりの上玉だ。
青木「俺になにか?」
こんな美女とお近づきになるチャンスを逃すはずはなく、俺は彼女の話を聞くこととした。
女「ちょっとあなたに興味があるの。ワタシと付き合いなさい」
青木(お、逆ナンか)
そう思った俺は一も二も無く女をバーに連れこんだ。
バー
青木「君との奇跡的な出会いに乾杯」
チン
女は複雑そうな表情をしながらもグラスを合わせてきた。
青木「ところで君の名前は?」
女「人に名前を聞く時は自分から名乗るものよ」
青木(自分から誘ったくせに)
そう思ったがまず俺から名乗った。
青木「俺の名前は青木渉平。さぁ、俺は名乗ったぜ。次は君の番だ」
クレア「クレアリデル・ヴァナント・シャウラよ」
青木「変わった名前だね。じゃあクレアって呼んでいいかな?」
クレア「ワタシのことはクレアリデル様って呼びなさい」
はっきりいって俺はむかついたが、なんとか怒りをおさえた。
青木「じょ、冗談きついなぁクレアは・・・」
クレア「ふふっ、別に冗談のつもりなんかじゃないわよ」
青木「・・・じゃ、君は俺をご主人様って呼んでくれ。そうしたらクレアリデル様って呼んであげるよ」
クレア「ワタシはアナタの召使になった覚えはないわよ」
青木「俺も君の下僕になった覚えはないね」
俺達はしばし歪んだ笑みを浮かべながら睨み合った。
クレア「分かったわ。これじゃいつまでたっても話が進まないものね。
ホントはイヤだけどしょうがないから特別に‘クレア’と呼び捨てにさせてあげるわ」
そして先に折れたのはクレアの方だったが、俺はその言い方がかなりカンに触り、気分が悪くなった。
青木(なんなんだこの女は・・・)
青木「しかし、名前がクレアか・・・くくく・・・」
クレア「なによ、気持ち悪い笑い声あげて」
青木「いや、俺の飼っているネコと同じ名前なんでついね・・・」
クレア「ネコのくせにワタシと同じ名前なんて生意気な子ね」
青木「でも、性格は全然違うぜ。俺のクレアは素直でおとなしくてカワイイからな」
クレア「まぁ、まるでワタシのことを言われているようね」
青木「あんたのどこが素直でおとなしいんだよ」
クレア「ワタシは素直よ。だって今まで1度だって嘘をついたことはないし」
青木「今ついただろ」
クレア「いつよ?」
青木「嘘をついたことがないって、嘘ついた」
クレア「嘘じゃないわよ。だって天使は嘘をつかないんだもの」
青木「天使、誰が?」
クレア「ワタシ」
青木「嘘2つ目」
クレア「失礼な奴ね」
青木「あんたのどこが天使なんだよ。どっちかっていえば堕天使ってとこかな」
クレア「ホントに失礼ね。ま、天使も堕天使もお役目が違うだけでそう変わらないんだけどね」
そこでクレアはグラスに口をつけた。
クレア「ところで渉平。あなた今の生活に満足している?」
青木「どういう意味だ?」
クレア「定職にもつかず、その日暮らしでだらだらしてるのって・・・つまらなくない?」
青木「・・・まるで見てきたかのように言うんだな・・・」
クレア「ワタシなら今よりは充実した日々を送れるようにしてあげられるけど。どぉ?」
青木「クレア・・・。君は何を企んでる?」
クレア「別に・・・ただ、あなたをべスティアでなくしたいだけよ。渉平、あなたこのままだと確実にべスティアになるわよ・・・」
青木「・・・べスティアってなんだよ・・・?」
クレア「強欲で憎悪を抱き暴力を振るう、懐疑的な獣の心を持つ人間のことよ」
青木「・・・知らないのか。男はみんな‘ケダモノ’なんだぜ。それに‘そう’じゃない奴なんているかよ」
クレア「ワタシのよく知ってる人は‘そう’いう奴だったわ」
青木「誰だよそいつ。クレアの彼氏か?」
クレア「ワタシの妹の旦那よ」
青木「へっ、ともかく信じられねぇよ。そんな奴がいるなんて・・・」
クレア「別に信じてもらわなくてもいいわ。それよりワタシの申し出受ける?それとも拒む?」
青木「・・・もし受けたらクレアは何をしてくれるんだ?」
クレア「そうねぇ・・・。まずアナタの家に連れてってくれる」
青木「なに?」
青木(家に来るってことは結局はその気だってことだろ)
青木「分かった。その申し出受けるぜ」
クレア「そぉ。じゃ、家まで案内して」
青木「OK」
クレア「それと変な事考えてる様だけど、やめといた方がいいわよ。痛い目見るのはそっちだから」
青木「そんなこと考えてねぇって(なんだかんだ言ってるが部屋に連れこんじまえばこっちものもんだ)」
クレア「はぁ、どうだか・・・(考えてることがばればれよ)」
青木のマンション
俺はクレアを連れ、自宅へと戻って来た。
クレア「無職のわりには結構いい所に住んでるのね。どんな悪いことしたの?」
青木「俺はしてねぇよ。ただの親父の置き土産だよ」
がちゃ
俺は部屋の鍵を開け、クレアを部屋へ招き入れた。
青木「どうぞ」
クレア「じゃ、お邪魔するわよ」
そして部屋に上がった俺達をクレア(ネコ)が出迎えた。
青木「こいつが俺のクレアだよ」
クレア「ふーん。たしかにカワイイネコね」
そう言ってクレア(ネコ)を抱き上げるクレア。
じたばた
クレアの腕の中で暴れるクレア(ネコ)。
クレア「前言撤回、飼い主に似て可愛げのないネコだわ」
クレア(ネコ)を床に放してやるクレア。
クレア「しかも一言も鳴かないし。愛想のない子ね」
青木「だからおとなしいって言っただろ。俺でさえめったとこいつの鳴き声を聞いたことはねぇよ」
クレア「で、どこが素直なの?」
青木「俺の言うことは素直に聞くぜ」
クレア「ふーん、ま、いいわ。とりあえずシャワー貸してちょうだい」
青木「(お、きたな)いいぜ。そこだから自由に使ってくれよ」
クレア「ついでに何か着替えも頂戴」
青木「ガウンでいいか?」
クレア「いいわ。じゃ、シャワー借りるけど、覗くんじゃないわよ!」
青木「覗かねぇよ(後でベットでたっぷり見せてもらうけどな)」
クレア「ふぅ・・・(こいつは・・・)」
溜息と共に風呂場に消えるクレア。
そしてしばらく後にクレアがガウンを着て風呂から出てきた。
ガウンがとても似合っていた。
クレア「渉平、アナタも浴びれば、スッキリするわよ」
青木「ああ、そうさせてもらうよ」
そして俺が手早くシャワーを浴びて出てくると、クレアはかってに酒とつまみを出し1杯やっていた。
クレア「あんたの冷蔵庫ってろくなものが入ってないわね。酒とつまみしかなかったわよ」
青木「かってに冷蔵庫開けて・・・、しかも勝手に食っといて文句言ってんじゃねぇよ・・・」
俺は少しあきれて言った。
クレア「ま、アンタもこっちに来て1杯付き合いなさい」
俺はさっさとベットに連れこみたかったが、
青木(ま、酔わしてからの方が都合がいいか)
と思いグラスを受け取った。
クレア「じゃ、渉平のこれからのすてきな未来に、乾杯!」
チン
そう言ってクレアは俺のグラスに自分のグラスを合わせてきた。
タケ「すてきな未来ね・・・」
俺は自嘲気味に呟き、グラスの中身をあおった。
俺の未来がすてきなものになるなどとこれっぽっちも思えなかったからだ。
クレア「渉平。アナタは今、自分の境遇が不幸だと思っているでしょう」
青木「えっ」
そう言ってクレアは俺の額に手をあててきた。
クレア「人は目の前の現実しか見えないものよ。だから自分に目を向けなかった父親を、自分に優しくなかった世間を憎んで、
そして自分を置いて先に逝ってしまった母親を恨んで、そして自分を不幸だと思っているのね」
青木「なっ・・・」
俺は自分でも意識せずにいたことをズバリ言われ、言葉を失った。
クレア「そして他人を誰も信じられなくなっている。でも、それじゃ、今という現実を変えることは永遠にできないわよ」
青木「知ったかぶってんじゃねぇよ!!」
俺は頭に血が上り、クレアをソファに押し倒した。
青木「なんでも分かってるみたいに語るなよ!。それじゃクレア、お前なら俺を変えられるって言うのかよ!!」
クレア「ええ、できるわよ。そのためにワタシはここに来たのだから」
青木「なんだと?」
クレア「だから今日はもうおやすみなさい」
そう言ってクレアは俺の頭を優しく両手で包んだ。
そして俺は猛烈な睡魔に襲われ瞼を開けていることが出来なくなってきた。
青木「クレア・・・お前・・・なに・・・・・・した・・・・・・・・・」
そして俺は眠りに落ちた。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
クレア「・・・平・・・おき・・・・・・渉平・・・・・・。こら、いいかげん起きなさい!」
耳元の怒声で俺は跳ね起きた。
クレア「やっと起きたわね。おはよう渉平。今日もいい天気よ」
青木「クレア・・・」
俺は一瞬状況が理解出来なかった。
クレア「こら、朝は‘おはよう’でしょうが」
青木「あ、お、おはよう・・・」
思わずあいさつを返してしまう。
そしてようやく状況を思い出せてきた。
俺は昨夜クレアを部屋に連れこみ、そしてクレアに無理矢理眠らさせられたんだった。
クレア「じゃ、ワタシは朝風呂に入るから、その間に朝ご飯作っておいて」
青木「あ、なんで俺がそんなことしなきゃなんねぇんだよ」
クレア「ワタシはお客でしょうが。もてなすのが当然でしょ。それにどうせいつもは昼まで寝てて朝は食べてないんでしょ。
いい機会だからこんな時ぐらい作りなさい。パンと卵とコーヒーでいいから、頼んだわよ」
そう言ってクレアは風呂場に消えた。
今まで女を泊めて朝飯を作ってもらったことはあったが、作らされたのは初めてだ。
作ってやる気などさらさら無かったのだが、後でうるさそうなので仕方なくパンを焼き、目玉焼きを焼き、コーヒーを入れた。
誰かのためにメシを作ったのは初めてのことじゃないだろうか・・・。
そして一通り準備が出来た頃クレアが風呂から上がってきた。
クレア「お、ちゃんと準備できてるじゃない。感心感心」
青木「わざわざ作ってやったんだから礼ぐらい言えよ」
クレア「サンキュウ、ありがとう、謝々。これくらいでいい?」
青木「・・・まぁいい。じゃ食おうぜ」
だがクレアはトーストに伸ばした俺の手をはたいた。
青木「いてっ。なにすんだよ!!」
クレア「こら、‘いただきます’は」
青木「はぁ、いいじゃねぇか、それぐらい」
クレア「今は2人でいるんだから‘いただきます’くらい言いなさい」
俺達は再び睨み合ったが、
青木「・・・・・・いただきます」
今度は俺の方が折れた。
クレア「よろしい。いただきます」
そして2人で朝飯を食べている最中、俺は気になっていたことをクレアにぶつけてみた。
青木「なぁクレア、昨夜は俺に何したんだ?薬でも盛ったのか?」
クレア「何の事?」
青木「俺をどうやって眠らせたのかって事だよ」
クレア「ああ、そのこと。ただPsiであなたの脳を直接アクセスして眠らしたのよ」
青木「Psiって何だ?」
クレア「そうねぇ・・・。あなたたちが言うところでは‘超能力’っていうのが一番近いかしら・・・」
青木「超能力だぁ。それじゃあ君はエスパーかなにかか?」
クレア「いいえ。ワタシはただの天使。そう言ったでしょ」
青木「まだ言うか・・・」
クレア「だって本当のことだもの」
青木「ふぅ・・・。まぁ、それについてはいいや。それより君の目的は何だ。親父にでも面倒見てやってくれと頼まれたのか」
クレア「目的については昨日話したとおりだし。誰に頼まれたわけでもない。自分の意思でやっていることよ」
青木「じゃあ何故俺の過去や、俺のことについてそんなに詳しいんだ。親にでも聞かなきゃ知らないことだぞ」
俺は自分の過去や今の生活を誰にも話したことはなかった。
クレア「ふふん。天使に分からないことなんてないのよ」
青木「はぁ・・・。まぁ、それもいい。それよりクレア、お前、俺を変えるために来たって言ったよな。あれ、本気か?」
クレア「もちろんよ」
青木「ふぅーーん。でも信じらんないね。けど、ま、いいや。やってみるといいよ」
クレア「ふん。こちらはいやだと言われてもするつもりだったけどね」
青木「もし君の言うように俺が変われたらクレアのこと天使だって認めてやるよ」
クレア「認めてくれなくても天使なんだけど・・・ま、いいわ」
そして俺達は朝食をたいらげた。
クレア「うまくもなく、まずくもない。まぁ及第点だったわね」
青木「全部食っといてよく言う」
クレア「うるさい。それにたまにはこうして二人で朝食食べるのも悪くなかったでしょ」
青木「・・・」
たしかにこうしてのんびり朝飯を誰かと食べることなどついぞ無かったことだ。
クレア「ふふっ。それじゃ、出かけるから準備して」
青木「どこに出かけるんだよ?あ、さては俺とデートしたいんだな」
クレア「違うわよ!夕飯の買出し。だって冷蔵庫になーんにも入ってないでしょうが」
青木「夕飯?」
クレア「ま、朝食のお礼ってわけじゃないけど。夕食はワタシが作ってあげるから買いに行くのよ」
青木「へーー。どういう風の吹き回しだ?」
クレア「別に。ほらっ、つべこべ言わずにさっさと行くわよ」
こうして俺はクレアに無理矢理買い物へと連れ出された。
スーパー
俺達は買い物籠のカートを押しながらスーパーの中を物色していた。
青木「スーパーに来るなんていったい何時以来だ・・・」
クレア「いかに自炊をしていなかったかという証拠よね」
青木「うるせぇ・・・」
そして買い物を済ませた俺達は近くのファミレスで昼飯を食うことにした。
ファミリーレストラン
青木「そういや、妹がいるって言ってよな。何人だ」
注文したものを食べ終えてから、ふと思い出したことを聞いてみた。
クレア「4人姉妹でワタシが長女で、うち2人は双子よ」
青木「へー、双子か。珍しいな」
クレア「そぉ?」
青木「で、美人か?」
クレア「美人姉妹よ。ま、ワタシが一番美人だけどね」
青木「それは置いとくとして、今度紹介してくれ」
クレア「嫌よ。それに1人はもう旦那が決まってるわ」
青木「昨日言ってた完璧男か」
クレア「そうよ」
青木「でもまだ2人残ってる」
クレア「1人は彼氏つきよ」
青木「残った一人でいい」
クレア「アンタみたいな奴にはやれないわよ。それにこんな美人を目の前にしてする会話じゃないでしょうが」
青木「ケチだな。それともやきもちか?」
クレア「そんなわけないでしょうが」
青木「でも晩飯を作ってくれるんだったよな」
クレア「そうよ」
青木「それって俺に惚れてるからなんじゃないの」
クレア「それって自意識過剰よ」
青木「でも、ちょっとは気があるんだろ」
クレア「さぁ、どうかしらね。そろそろ帰りましょうか」
青木「ちぇ、ガード堅いよな」
クレア「ふふっ」
青木のマンション
クレア「渉平、ちょっと1時間ほどぶらぶらしてきてくれる」
部屋の鍵を開けた俺にクレアは唐突に言ってきた。
青木「なんでだよ?」
クレア「ご飯作ってる姿を見られたくないのよ。ま、いいじゃない1時間でいいから時間つぶしてきて」
青木「まるで鶴の恩返しだな。でもイヤだね」
クレア「そぉ」
そう言った途端クレアは部屋に駆け込み鍵をかけた。
青木「あっ!」
クレア「じゃ、1時間したら開けてあげるから」
青木「こらっ!クレア!」
ドンドン
俺はドアを叩いてクレアを呼んだがクレアは開けてはくれなかった。
しかたなく俺は近くをうろついて時間をつぶすことにした。
公園
青木「ふー」
俺は公園で缶コーヒーを飲みながらタバコをふかしていた。
そしてクレアのことを考えていた。
青木(いい女なんだけど、変な奴だよな。自分のこと天使だなんて言ってるし。しかも自分勝手でわがままだし・・・。
俺のことをべス・・・なんだっけ、ま、それにしないために来たって言ってたっけな・・・。
そして俺のことを変えてくれるとも・・・。本気なのか・・・?。
ま、美人だし、おもしろい奴でもある。このままもうしばらく付き合ってやるのもいいだろうさ)
俺は約束どおり1時間してから部屋へと戻った。
青木のマンション
ドアのノブを回すと鍵は開いていた。
部屋に入った俺の鼻にいい匂いが漂ってきた。
クレア「おかえり」
部屋の奥からエプロンを付けたクレアが出迎えに出てきた。
青木「いい匂いさせてるじゃないか。それにエプロン姿も似合ってるぜ」
クレア「こら、帰ってきたら、まず‘ただいま’でしょうが」
青木「おいおい、またかよ」
クレア「ほら、おかえりなさい」
青木「はぁ・・・ただいま」
逆らっても無駄なのはもう分かっているので俺は素直に言った。
クレア「よろしい。じゃ、ご飯できてるから手を洗ってきなさい」
そう言ってクレアはキッチンに戻って行った。
青木(まるでお袋みたいだな)
俺はふと、そう思ってしまった。
そして部屋に入って俺が見たものは‘鍋’と、先にメシを食っているクレア(ネコ)の姿だった。
青木「おい、鍋かよ・・・」
クレア「そうよ。嫌い?」
青木「いや、嫌いじゃないが・・・」
クレア「じゃ、いいじゃない。ほら、さっさと座って」
椅子についた俺の前にはちゃんとビールも用意してあった。
クレア「では、いただきます」
青木「いただきます」
クレア「うんうん」
俺がちゃんと‘いただきます’を言ったせいかクレアはうれしそうに頷いていた。
そして俺達は鍋をつつきあった。
しばらく鍋をつつきあった後、
クレア「渉平、まだ自分のことを不幸だと思ってる?」
と、クレアが聞いてきた。
青木「またその話かよ」
クレア「大事なことよ。ちゃんと答えて」
青木「少なくとも幸せだなんて思ってないぜ」
クレア「そぉ。でもそれは大きな勘違いよ」
青木「じゃ、俺は幸せだっていうのかよ」
クレア「タケ、あなた今まで飢え死にしそうになったことってある?」
青木「はぁ?そんなのあるわけねぇだろ」
クレア「それだけで世界の5億人の人たちより恵まれているわ。
それに住む家もある。 これだけでも世界の75%の人たちより裕福よ。
そして毎日死の恐怖を感じないで生きていけるだけでも世界の30億人の人達より幸せなはずなのよ。
そしてこれが今の人類の現実なの」
青木「・・・」
クレア「それでも自分は不幸だと言える?」
青木「・・・そんなこと言われても・・・俺の心の問題だろうが。そんな見ず知らずのその他大勢と較べられても分かるかよ・・・」
俺はクレアから顔をそらして答えた。
クレア「そう、あなたの心の問題よ。人間は自分で実感したことでしか現実を認識できないわ。
逆にあなたが幸せを感じたときはすでに不幸ではないのよ。
現実を幸せにするのはそれほど難しいことではないわ」
青木「・・・」
クレア「まあ、深く考えることでもないけど、心には留めておいて。じゃ、ワタシはお風呂に入るから後片付けはよろしくね」
そう言ってクレアは風呂場へと向かった。
青木「ふぅ・・・」
俺はしばらく鍋の前から動けず、今言われたことを考えながらビールをちびちびやっていた。
後で片付けをしていなかったので頭をはたかれてしまったが。
そしてその夜、俺はクレアに手を出すことなくソファで眠った。
ソファの中でクレアに言われたことが頭の中を回り、なかなか寝つかれなかったが・・・。
翌朝、俺達はほぼ同時に目を覚まし、朝の挨拶をかわし、朝食を共にした。
昼まではボーっと過ごし、昼メシは俺が作った。クレアはマズイと言ったが・・・。
そして今はソファに横になってまどろんでいる。
クレアも俺の隣でまどろんでいるようだ。
俺は今日はこのまま昼寝をすることに決めた
のだが、クレアが
クレア「ヒマだから散歩にでも行きましょ」
と言ったため昼寝は中断となった。ま、いいんだけど。
そして散歩に出ようと玄関に行くとクレア(ネコ)がついて来た。
クレア「何?アンタも一緒に行きたいの?」
クレア(ネコ)は何も言わなかったが見上げた目が行きたいと言っていた。
青木「じゃ、クレアも一緒に行くか」
散歩は2人と1匹になった。
街中
俺達はあてどなく街をさ迷い歩いた。
クレア(ネコ)は俺達の後をちょこちょことついて来ている。
そして今俺達は坂道を下っている。
青木「やっぱり俺はもう少し昼寝を楽しみたかったな」
クレア「こんなにいい天気なのに、そんなじじくさいこと言わないの」
青木「散歩も十分じじくさいと思うけど」
クレア「ウォーキングって言いなさい。そうすればじじくさくないから」
青木「一緒だろうが」
その時後ろから俺達を1台のベビーカーが追い越して行った。
青木「えっ?」
しかもそのベビーカーにはクレア(ネコ)が乗っかっている。
?「誰か助けてー!」
そして誰かの叫び声が響いてきた。
クレア「!」
俺達が声の聞こえてきた方を見ると、そこには坂を転がり落ちて行くベビーカーを追う女の姿が見えた。
どうやらクレア(ネコ)が飛び乗った衝撃で止めておいたベビーカーが動き出してしまった様だ。
母親「誰かその子を止めてー!」
クレアは一目散に走り出し、俺も後を追った。
ベビーカーの向かう先は交差点になっていた。
信号は赤だ。
しかもトラックが走ってきている。
このままだとベビーカーと衝突してしまうタイミングでた。
青木(間に合わないか!)
俺は諦めかけたが、クレアはそんなことには怯んだ様子も見せずにさらに加速した。
そしてクレアは交差点の真中でベビーカーに追いついた。
しかしトラックはすでにクレアの目の前にまで来ている。
青木「くそっ!!」
俺は悪態をつきつつ足を速め、
青木「クレア!!」
クレアを突き飛ばした。
そしてクレアが驚いた顔をして俺を見た瞬間
どかっ
俺の身体を鈍い衝撃がはしった。
クレア「渉平!!」
そして俺はクレアの叫び声を聞きながら意識を失った。
・
・
・
・
・
・
・
そして俺が目を覚ますと悲しそうなクレアの顔が見え、次の瞬間、全身に猛烈な痛みを感じた。
青木「ぐぅ!!・・・」
クレア「渉平、気がついたの」
俺はクレアの膝の上に寝かされていた。
青木「はぁ、はぁ・・・。クレア・・・、お前達は無事なのか・・・」
クレア「ええ、無事よ・・・」
首を回して見てみると涙を流している母親がうれしそうにしている赤ん坊をだきしめていた。
クレア(ネコ)はどうやら俺の足に擦りついているらしい感触がする。
クレア「渉平・・・、なんであんなことしたの、ワタシのことなら大丈夫だったのに・・・」
青木「へへ・・・、なぜかな・・・。自分でも分からねぇ・・・。ぐっ・・・」
声を出すたびに激痛を身体を襲う。
クレア「渉平!」
青木「はぁ、はぁ・・・。なぁクレア・・・。俺・・・死ぬのかな・・・」
クレア「・・・肋骨が折れて内臓にささってるわ。致命傷よ・・・」
クレアは情け容赦なく言ってくれた。
こんな時ぐらい気休めでも嘘を言ってくれていいだろうに・・・。
青木「そうか・・・。はは、人助けして死ぬなんて俺らしくない最後だな・・・」
クレア「・・・」
青木「でも、美人の膝の上で死ねるなら悪くないか・・・。むしろ俺らしい・・・。なぁクレア・・・賭けはお前の勝ちだな」
クレア「え?」
青木「俺が人助けだなんて・・・ホントに俺は変わっちまったらしい・・・。君のことを天使だと認めてあげるよ・・・」
そして俺の目がだんだん霞んできた。
青木「・・・クレアと暮らした数日間・・・わるくなかったぜ・・・」
そしてなにも見えなくなった。
クレア「渉平!!・・・。くっ、仕方ないわね・・・」
そして俺の意識は途絶えた。
・
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そして俺が再び目を覚ました時、そこは俺の部屋のベットの上だった。
青木「・・・え・・・?」
クレア「渉平、目がさめた」
青木「クレア・・・」
ベットの側にはクレアが立っていた。
青木「俺、助かったのか・・・?」
俺の身体からは嘘の様に痛みが消えていた。
クレア「本当はいけないんだけど、ワタシのせいで死にかけたようなものだったからね。特別再生してあげたのよ」
青木「再生・・・。そんなことまで出来るのか・・・」
クレア「天使の中でもワタシにしか出来ないけどね」
青木「本当に・・・天使だったんだな・・・」
クレア「だから最初っからそう言ったでしょうが」
青木「そうだったな・・・」
クレア「・・・それじゃあ、そろそろお別れね」
青木「え、どういうことだ?」
クレア「渉平、あなたはもうべスティアになったりなんかしないわ。だからワタシの役目はもう終わったの」
青木「そんな、待てよクレア!」
俺はクレアを引きとめようと手を伸ばしたが、クレアはそれをさらりとかわし、
クレア「渉平、別にこれが永遠の別れって訳ではないわ。
あなたがそのままの心で変わらないでいてくれたら、もう1度くらいは会えるわよ。
それじゃあ元気でね。それとワタシもこの数日間、悪くなかったわよ」
俺の前から姿を消した。
青木「そんな、クレア・・・。くそっ」
俺はすぐさま街へと繰り出しクレアを探した。
しかし、俺はクレアを見つけだすことは出来なかった。
そして探し疲れた俺はファミレスで休むことにした。
ちょうど入ったそのファミレスは昨日クレアと入った所だった。
ファミリーレストラン
俺はここでメシを食いながらクレアのことを考えていた。
青木(こうやってメシが食えるだけで5億人の人間より幸せ、なんだったかな・・・)
そしてふと辺りを見渡すとアルバイト募集の張り紙が見えた。
青木(変わらずにいればまた1度くらい会える・・・か・・・)
気がつくと俺はウエイターに声をかけていた。
青木「アルバイトしたいんだけど店長はいるかな・・・」
・
・
・
・
・・
・・
・・・
・・・
・・・・
・・・・・
・・・・・・
男の子「それでその人はもう1度天使に会えたの?」
老人「実はまだ会えてないんだ」
女の子「えー、そうなの・・・」
老人「だから、その人はまだ天使のことを待っているんだよ」
男の子「大丈夫だよ。きっとまた会えるよ」
女の子「そうよ。だってずっと待ってるんでしょ」
老人「ふふ、ありがとう。お前達はやさしいねぇ。さぁ、じいちゃんちょっと疲れたから休ましてくれるかい?」
男の子「うん。おじいちゃん、ありがとう」
女の子「おやすみなさい。おじいちゃん」
2人の曾孫は部屋から出て行き、部屋には老人だけが残された。
そして老人が布団で休もうとすると、障子に人影が映っているのが見えた。
老人「誰かな?入っておいで」
障子が開き、そしてそこに立っていたのは
クレア「久しぶりね。渉平」
以前に会った時と変わらぬ姿をしたクレアだった。
青木(老人)「おおお、クレア・・・。そんな・・・まさか・・・まさか本当にもう1度会えるなんて・・・」
クレア「ふふ、天使は嘘をつかないって言ったでしょ」
青木「そうだったね・・・。しかしクレア、君は以前会った時と変わらず美しいままだね」
クレア「そう言うアナタは、もうヨボヨボのおじいちゃんね」
青木「ふふ、その口の悪さまで相変わらずだ」
クレア「ワタシの性格が5、60年くらいで変わるわけないじゃない」
青木「ふふ、そうだね・・・」
クレア「・・・」
青木「・・・」
2人はしばし無言で見詰め合った。
クレア「どう、幸せな人生だった?」
青木「さあ、どうだったかな・・・。でも、君と会う以前の人生よりはマシな人生だったよ」
クレア「そぉ、よかったわね」
青木「ああ、君のおかげだよ。ありがとう・・・」
クレア「そんなの・・・当然じゃない」
青木「ふふ、さて今日は色々あって疲れたよ。そろそろ休ませてくれないか・・・」
クレア「そうね。それじゃ、おやすみなさい」
青木「ああ、おやすみ」
そう言って2人は別れた。
そして部屋には満足そうな微笑みを浮かべて眠る老人だけが残された。
<終>