それは、あっけないほど簡単な終わりだった。
私を、見せしめだなんて思っては、駄目
エインデベル・デネボーラ・レグルス。レジスタンスの象徴たる紅の守護天使。
この‘犠牲’をご覧
Psiですら知覚できない‘何か’によって、古代に崇められた神の子のごとく中空に磔られた彼女は
Emberのために
それでも、微笑を浮かべたままで
人類のために、貴女は闘いを続けなさい
まるで、眠りにつくように
いいこと、ラムリュア・・・
ボクのお婆さまは―――――生き終わった。
デジタルアンジュ〜電脳天使 Spiral Seam Story〜
第1話 獅子の後継
カン、カン、カン
随分前から意識する事も無く出来るようになった無音歩行が何故だか気に障り、靴底をぶつける
ようにして階段を登る。
普段は昇降機で上がる場所にわざわざ数倍の時間をかけて到達したボクは、ようやく足を止めて
目線を上げた。
あれから数日。レジスタンスの象徴であり実質的な指導者でもあったお婆さまが生き終わらされて
から、ボクたちはそれこそ嵐の中にいるような時間を過ごしている。
けれど、いくらPsi能力で優れていると言っても所詮年少者に過ぎないボクに出来ることなどそう
あるはずも無く、気が付くと所在無さげに皆を見つめているだけの自分がいた。
一人でいるのがイヤで、誰かに傍にいて欲しくて―――――
お婆さまの半身であった彼女になら、もしかしたら少しくらいはお婆さまの温もりが残っているかも
しれない。
そんな風に思って、普段は一人で訪れた事の無いドッグに足を向けたのだけれど・・・
『―――――お前も、独りぼっちか』
いつも以上に人気の無い其処は墓地のように寒々としていて、
まるで自分の心の中をそのまま見せ付けられているようで、思わず泣き出しそうになる。
Psiで視ているはずの風景が涙でぼやけてくるような幻視にとらわれながら、ボクは目の前に浮かぶ
真紅の、剣と見紛う程に鋭角的な船に‘跳び’乗った。
‘生命船 ジボドロッチ’
お婆さまの半身だった神機、レオニス。
その 宇宙船形態 に時空間移動能力を付与した時空跳躍船。
Ember達をリガルード人でも手が届かないような超未来へ運ぶ方舟になるはずだった彼女は、
半身たる天使の柩となったように、粛然と佇んでいる。
その中心、操縦席に‘跳んだ’ボクは、そのまま落ちるようにシートに座り込む。
願っていた通り、此処にはまだお婆さまが残っていたけれど、感じられた僅かな温もりは確かで
あるがゆえに、消え逝く残滓であることも痛感させた。
少し前からお婆さまに‘在る’事を許された此処はボクの一番のお気に入りになっていたけれど、
今はまるで自分が柩の中の骸になったように感じられて、酷く寒い。
ボクは、温もりを閉じ込めるように膝を抱えて眼を塞いだ。
ボクは泣かない。泣いてはいけない。
ボクは戦士なのだから。
お婆さまに、Emberを救うために戦うと誓った、レジスタンスの闘士なのだから。
でも・・・
‘アタシ’は、泣きたかった。
そうすれば、このどうしようもなく虚ろになった胸の中が、少しは埋まってくれる。
たとえ胸を埋め尽くすのが悲しみの涙でも、今よりはましなはずだと思えた。
だから、ボクは此処に来たのだろうか?
此処なら泣けるかも知れない。そう思って。
ボクの瞳は確かに潤んでいた。
けれどその堰は強固で、どうしても涙となって溢れていってくれなかった。
どのくらいそうしていただろう。起き上がることも出来ないまま、ボクは気が付くと昔の事を思い出していた。
他にする事も無かったし、あったとしてもする気にはなれなかったから。
お婆さまが話してくれた事。教えられた事。
楽しそうに話す声。すねたような表情。恐いくらい真剣な眼。何気ない仕草。
浮かんでは消えていく想い出たち。
その一つ一つをぼんやりと想っていたら、ふっと一つの言葉が浮かんできた。
声を抑えて泣くとね、悲しみや辛さは何時まで経っても癒えないで、増すばかりなんですって
あれは誰の言葉だったろうかと、記憶を辿ってみる。
確か、お婆さまの昔語りに出てきた誰かだったと思う。
でも、それが誰なのか、どうしても思い出せない。
問い掛ける相手の分からぬまま、願いが声になってこぼれた。
『―――――泣いても、良い、の?』
返事は無い。だけど、答えを待つ前に私は泣いていた。
自分の頬を、涙が伝って落ちていくのに気付いたら
―――――もう、止まらなかった。
気が付くと、ボクはコンソールに突っ伏して眠っていた。
真っ赤になっているだろう眼と、多分もっと酷い事になっているはずの顔を想像して苦笑する。
苦笑して、自分が笑えたことに少し驚きつつ、ずっと黙ってボクを見守っていてくれた彼女に声をかけた。
『おはよう、レオニス』
間を置かず、獣の吼えるような振動が全身に伝わってくる。
いつも通りのやりとり。やっと、調子が戻ってきた。
操縦席の寝心地は最悪で、身体を動かすたびに関節がミシミシと音を立てているけれど、
それでも気分はそう悪いものではなかった。
『さぁ、どうしようか。』
独り言のように呟きながら、お婆さまの最後の言葉を想い出す。
闘い続けること。それがお婆さまの遺志。そして、ボクの意志。そのために、考えなければいけない。
Emberを解放し、リガルード人たちにお婆さまを生き終わらせた報いを受けさせる方法を。
明滅するモニターを見つめながら、ボクはコンソールを叩き始めた。
ボクの、我ながら無謀な、計画とも呼べないような計画に許可が降りたと知らされたのは、それから
一週間後のことだった。
上の人達にも様々な思惑があったのだろうけど、一番大きな理由はレオニスの‘寿命’。
お婆さまの半身である彼女は、お婆さまが生き終わったことでゆっくりと消耗し始めていた。
もともとの力が膨大だから今日明日に生き終わることは無いけれど、使った力が回復しない以上
いつかは終わりが来る。
彼女に残っている力だけではもう方舟としてのお役目を果たすことは不可能だった。
二度の最後の審判というお役目を終えて‘鐘’を失ったレオニスが闘い続けてこられたのも
お婆さまがいればこそ。
Emberのボクがどれだけ扱いに習熟したとしても、Lalkaが操る獣機には決して勝てない。
同じ条件で闘う限り、EmberとLalkaの間には決して超えられない、わずかだが決定的な差が
存在するのだから。
結局彼女には、この時代で出来ることが残されていなかった。
それならば、少しでも分のある賭けをしてみよう。多分、そんな所だったのだろうと思う。
いざとなればレオニスと二人、ドックに穴を開けてでも発進してやろうと覚悟していただけに
思ったよりあっさりと許可が降りた事に拍子抜けしてしまった。
何はともあれ、準備は整い、ボクとレオニスは‘過去’に向かう事になった。
そう、向かうのは‘過去’。
聖地エヌベルユの巫女、スヴェティ・ドゥープによってリガルード‘人’創生が計画された時代。
その計画の全ては、当時の銀河連邦国家元首―ネオミック―のために発案されたという。
それなら、そのたった一人のためにリガルード人が生まれたというのなら―――……
その‘始まり’を無くしてしまえば、リガルード人も生まれない!
『目標、星刻暦747年、太陽系―――銀河系連邦国家統括機関、中央管理局、っと』
レオニスに残っているデータと幾つかの記録から割り出した目標ポイントを入力し、コンソール上で
座標軸の数値が調整されていくのを見ながらそっと息をつく。
もうすぐ出発という時間になって、今更のように心がざわついていた。
見知らぬ時代に行く事は怖くない。レオニスと一緒なら、怖いものなんか無い。
……けれど、それは皆にとっても同じこと―――……
ボクなんかよりずっと昔からお婆さまと、レオニスと一緒に戦ってきた皆を置いて行ってしまう。
分かっていた。覚悟もしていた。
なのに、いざ出発という今になって、していたはずのことが‘つもり’でしか無かったことに気付かされる。
と、不意にレオニスが小さな唸り声を上げた。いつもとは違う、気遣うような静かな声。
レオニスの声に促されて脇のサブモニターに目をやると、見送りに来てくれている皆の顔が見えた。
よく見知った人達だけでなく、初めて見るような人も何人もいて、皆で口々に何か言っていたり、手を振ったりしている。
皆の顔を見ていると、不意にそれがお婆さまの笑顔に重なって見えた。
それはきっと血の繋がりでは無くて、其処に在る暖かさが同じだから。
ボクは‘娘’にはなれなかったけれど、ずっと皆の‘子供’だったんだ。
そう思ったら、いつの間にか心の中のざわざわしたものは消えていて、代わりに暖かさが広がっていた。
だから、ボクは―――……
『―――――それじゃあ、行って来ます!』
ボクは、精一杯の笑顔で答えた。
向こうから見えない事は分かっていたけれど、それでも―――伝わった気がした。
そして、周囲の景色が虹色に変わっていき―――……ボクは、過去へ跳んだ。