暗く深い闇の中で激しい光が幾度も瞬き、凶暴な意思が空間を震わせて響いてくる。
光が瞬くたびに無数の命の灯がかき消えて、音無き想いが残滓となって虚空を埋め尽くしていく。
―――どぅして、戦うのです?
初めて先見た日から、わたしの眼に焼きついている未来。
わたしの在る‘今’から連なる、無数の未来の中にあるはずの現実。
同じ‘基星’から生まれた‘人類’同士なのに―――……。
―――……違う!! こんな未来を、現実にしてはいけない!
このままでは……宇宙全体を汚染してしまうことに、気がつかないのですか?
護ってみせる。わたしが―――……あの人の、ネオミックの未来を……
デジタルアンジュ〜電脳天使 Spiral Seam Story〜
第2話 絶望を超える意思
予期せぬ‘証’との邂逅を終えたわたしは、泉から上がってほとりにある東屋に入る。
体に残った滴を丹念に拭い、用意されていた装束に袖を通し、身支度を整えて本殿に向かった。
本殿の長い廊下を抜けて葬祭殿に入ると、三人の人影が目に入った。
シャヌレットとネオミック、それに……少しだけ見覚えのある女性が一人。
ネオミックの傍にいたその女性――確か、‘母様’の友人だった――が、わたしに視線を向ける。
苛立ちを隠そうともしていない剣呑な目つきなのだけれど、不快感は感じない。
彼女の怒りにはまるで悪意が含まれていなかったから。
どうやら、わたしがネオミックを待たせてしまった事を怒っているらしい。
わたしはネオミックの顔を立てて、彼女の様子には気付かぬふりをして笑みを浮かべて見せた。
スヴェティ 「よく来てくれました、ネオミック。ようこそ、エヌベルユへ。」
ネオミック 「ユラナス……やあスヴェティ、久しぶりだね。
こうして直に会うのは何十年ぶりだったかな」
スヴェティ 「貴方は相変わらずのようですね。久しぶりに‘中央’から出た気分はどうですか?」
ネオミックは、彼女――ユラナスの態度を小声でたしなめながら、わたしと挨拶をかわす。
それが不満だったのだろう、彼女はまたほんの少し眉根を上げて唇を尖らせるような仕草を見せた。
わたしよりずっと長く生きているはずなのに、まるで少女のような表情を見せる彼女がなんだか
可愛らしく見えて、思わず頬を緩ませてしまう。
ユラナス 「何が可笑しいの!……です、か」
スヴェティ 「御免なさい、貴女を笑ったわけではないのだけれど。
気に障ったのなら謝りますね、ユラナス」
ユラナス 「まぁ、別に良いですけど……」
わたしが非礼を詫びると、ユラナスは自分が悪いわけでも無いのにバツの悪そうな顔を見せた。
きっと根は素直な性格なのだろう。
‘母様’や‘叔母様’達も、彼女のそんなところを愛していたのだろうか、ふとそんなことを思う。
スヴェティ 「有り難う。一緒に来てくれて。ネオミックを心配してくれたのでしょう?」
ユラナス 「別に、貴女にお礼を言われることじゃ……」
ユラナスは小さな声で呟きながら、わたしから目を逸らせた。
寂しそうな、悔しそうな、そんな複雑な表情が、少しだけ滲んでいる。
その様子を見て、気を利かせたのだろう。ネオミックが話を切り出してきた。
ネオミック 「スヴェティ、早速で済まないが、そろそろ話を聞かせてくれないか。
わたしをわざわざエヌベルユまで呼び出すなんて、君が先見師になってから初めてのことだからね。
一体何を‘視た’というのか、想像もつかない」
スヴェティ 「分かりました。
では、奥の広間まで来てくれますか、ネオミック。
ユラナスは、此処で少し待っていてください。シャヌレットにお相手をさせますから」
わたしの言葉を聞いたユラナスは、明らかにムッとした表情で睨み付けてきた。
ユラナス 「ワタシには聞かせられない、ってことですか?」
スヴェティ 「未来を知るというのは、必ずしもその人の益になることばかりではありません。
出来うる限り、未来を知るような人間は少ないほうが良いのです。
それに、わたしはネオミックの先見師です。
彼以外の人に未来を告げるつもりはありません」
わたしの言葉を聞いてユラナスは黙り込んでしまったけれど、納得は出来ていないのが表情で分かる。
けれど、ネオミックの先見師として、そして‘未来’を直に知る者として、それはわたしにとって譲れないこと。
ましてわたしの視た‘未来’、そしてわたしがこれからしようとしていることは、Lalkaである彼女にとっては
存在の根幹に関わる事でもあるのだから。
それでも、ネオミックのことを案じて此処まで来てくれた彼女の気持ちを思って、助け船を出すことにした。
スヴェティ 「けれど、ネオミックが知り得た未来を貴方に話すかどうかはネオミックの自由です」
そう言って、わたしはネオミックに微笑んでみせる。
ネオミック 「そういうことらしい。済まないが、少しだけ此処で大人しく待っていてくれ。
話せることであれば、戻ってきてからわたしが話すから」
ユラナス 「……分かりました。ネオミック……局長がそうおっしゃるのなら―――……」
ネオミックに諭されて、ユラナスは不承々々と言った様子でうなずいてくれた。
二人のやり取りを見届けてから、わたしはシャヌレットに後を任せ、葬祭殿を出た。
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スヴェティ 「御免なさい。ユラナスには少し嫌な思いをさせてしまったかもしれませんね。
後でわたしが謝っていたと伝えてもらえますか」
ネオミック 「ああ。大丈夫だよ、ユラナスは決してものの分からない女性ではないから。
感情のほうはまだ納得していないかもしれないが、君の言ったことは理解してくれているはずだよ」
ネオミックの言葉を聞いて、わたしは彼がユラナスに向けている信頼と理解の深さを知ることが出来た。
わたしとは違う形でネオミックを想い、彼の力になってくれている女性。
常にこのエヌベルユに留まっているわたしと、常に彼の傍にあろうとする彼女。
ネオミックの傍にいてくれるのが彼女のような女性であることが、素直に嬉しかった。
廊下を抜けると、周囲を緑に囲まれた小さな広間に出る。
広間の中央で歩みを止め、わたしは振り返ってネオミックを促した。
コレをするのはわたしが彼の先見師になった時以来のはずだけれど、覚えていてくれたのだろう。
ネオミックは何も聞かず、私の前で片膝をついてみせる。
わたしはネオミックの頬に両手で触れながら、眼を閉じて彼の額にそっと自分の額を合わせた。
‘意識’を広げ、ネオミックの‘意識’をわたしの‘記憶’に接続する。
―――……わずかな間をおいて、ゆっくりと体を起こした。
ネオミックは眼を閉じたまま、まるで彫像になったように微動だにしない。
しかし、伏せた顔から僅かにのぞく表情は、彫像に例えるにはあまりに大きくゆがんでいて、彼の中にどれほどの
感情があふれかえっているのかが痛いほど伝わってくる。
わたしはそのまま、彼の呪縛が解けるのを静かに待った。
やがてネオミックは、静かに長い息を吐き出した。
さらにいくばくかの間を置いてからゆっくりと立ち上がると、彼は身を横たえるように背後の椅子に腰を下ろす。
それを見届けてから、わたしも向かい合って席に着いた。
ネオミックが呼吸を整え、十分に落ち着いてから、これから為すべき事について語るために、わたしは口を開いた。
スヴェティ 「まず、Emberによる汚染を防ぐための手立てを早急に講じなければなりません」
ネオミック 「汚染―――‘核’の、放射能のことか?
―――……そう言えば、この‘聖地’はその爪痕が未だに最も色濃く残る地だったな」
スヴェティ 「ええ、確かにそれもあります。
けれど‘汚染’と言っても、単純に物理的なものだけではありません。
真異星人である一角狼達が、どうしてこの銀河系から姿を消したかは貴方も知っているでしょう?
あれも、人が引き起こした‘汚染’の一つの形なのです。
Emberが今のままで外宇宙にまで進出を続ければ、いずれ必ず同じことが起こるでしょう。
人のなかに在る‘獣’の因子が無くなるか、あるいは完全に制御されるようにならない限りは」
ネオミック 「‘獣’の因子?」
スヴェティ 「それこそがわたしの先見した未来で、宇宙を‘汚染’するものの本質。
強欲で憎悪を抱き、懐疑的で暴力を振るう、本能に根ざした破壊的な衝動です」
ネオミック 「本能に根ざした、衝動―――……
しかし、それは人の誰しもが僅かでも持っているものなのではないか?」
スヴェティ 「問題は‘在る’ことそのものでは無く、その在り方なのです。
今の人類はその因子が強すぎて、自らの意思でそれを制御しきれていない……
ですから、わたしはまずそれを管理するためのシステムを創造しようと思います」
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わたしのしようとしている事、ネオミックが為すべき事、全てを語り終えてわたし達は葬祭殿に戻った。
葬祭殿までの廊下は決して短いものでは無いが、途中ネオミックは一度も言葉を発することは無かった。
それほどショックだったのだろう。ことによると、わたしの語った企ては彼にとって先見された未来よりも大きな衝撃で
あったのかもしれない。
特に、わたしが彼に指示して実現させていた、銀河系連邦国家における治安維持機構‘オペレータ’の超法規的部隊、
元首直属の統治権限代行独立監察官‘フリーランサ’――かつての地球で行われた‘最後の審判’において‘Toller’
としてのお役目を果たすことなく終わったLalka達、その後継、そして、人類の銀河系進出と時を同じくしてその自然
発生が確認されるようになったPsi能力操持者たちによって構成される――が、いずれ必要となる事を見越して組織
させた‘システム’の雛型であるという事実は、彼にとってにわかには信じがたいことだったらしい。
結局、葬祭殿を立つまでネオミックはほとんど意味のある会話をすることが無かった。
ネオミックを送り出したわたしは、後のことをシャヌレットに任せて再び泉に足を向けた。
これから行おうとしているのは、今まで試したことも無いほど強く複雑な力の行使だ。
たとえわずかの乱れであっても、どのような影響が生じるか分からない。
十分に身を清める必要があった。
目の覚めるような冷たさの水に身を沈め、静かに手のひらで肌を撫でていく。
それを幾度か繰り返していると、染み込んでくる冷たさを押し戻すように体の奥から温もりが染み出してくる。
体の内が目覚め出すような感覚に浸りながら空を見ると、ひとすじの雲が彼方へ延びていた。
おそらくネオミックたちの乗ったシャトルだろう。
その行く先を見送りながら、
スヴェティ 「可愛いネオミック―――……」
昔‘母様’がわたしを呼んでくれたように、彼の名をそっと呼んでみる。
ふっと微笑がこぼれた。
わたしがネオミックをそんなふうに呼んだことは一度も無いけれど、口に出してみると不思議なほど違和感が無い。
きっと、わたしにとってあの人はずっと‘子供’なのだろう。
そう、あの日、あの朱い空の下で出逢った時から。
わたしが護ると誓った、幼子のように無垢で、無力で、そして何よりも強い、その‘想い’に触れた、あの瞬間から。
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スヴェティ 「何を、見ていらっしゃるのですか?」
その日は朝から風が弱く、夕暮れ近くになると完全に凪いで空を本来の姿に戻していた。
渇いた風が赤茶けた砂を纏って舞い踊り、視界を一様に染めることもあるこの時期には珍しいことだった。
だからだろうか、夕暮れの空を眺めようと、少し離れた丘に‘意識’を向けた。
丘に‘跳んだ’わたしは、そこで初めて先客がいた事を知った。
‘跳ぶ’前にその存在を‘意識’出来なかったことを訝しく思いながら、先客の姿を見る。
それは、独りの男性だった。
年の頃は20代の後半というところだろうか。どうやら、わたしと同じように夕暮れを見に此処を訪れたようだ。
わたしが‘跳んで’来たことに気付いていないのか、ただ静かに彼方を見つめ続けている。
何を想ってこの空を見つめているのだろうか、ふとそんな想いに捉われた。
けれど、こちらに背を向けているその姿からは何も窺え―――……
違和感を感じた。
わたしの‘意識’は確かに彼の姿を捉えている。
だというのに、彼の‘意識’が視えないのだ。
いや、視えないというのは正しくないかもしれない。
それは幼い頃見上げた星降る夜空。陽の昇り来る海と空の境。
視えているのに届くことのない、吸い込まれていくような果ての無い深さ。
吸い込まれていくような、果ての無い―――……
気がつくと、わたしは彼に声をかけていた。
彼は泣いていた。
嗚咽するのでもなく、号泣するのでもなく。
ただ静かに、涙を流していた。
それが当たり前であるかのように、ただ瞳から溢れて、零れ落ちていく、―――……涙。
朱く染まった世界の中で、唯一つの蒼を瞳に湛えながら、彼は静かに、彼方を見つめていた。
青年 「不思議ですね……」
不意に、彼が呟いた。
その声で、辺りを染める朱が先刻よりわずかに濃さを増していることに気付く。
その朱に身を染めながら、彼は静かに言葉を続ける。
青年 「あの頃地球で見た夕焼けは、今よりもずっと美しかったように思います。
同じ太陽なのに、まるで違う―――……
いや、もしかしたら、変わってしまったのは私なのかもしれませんね。
私にはもう、あんな夕焼けを見ることは出来ないのかもしれない―――……」
それはわたしに話し掛けているのではなく、気付かぬ内に口をついてでた独白のようだった。
返答を待つでもなく、言葉を続けるでもなく、再び辺りに沈黙が満ちる。
ふっと、かすかに風が吹いた。砂塵を巻き上げるほどでは無い、そっと髪を撫でて行く風。
それに押されるように、自然に足が動く。
彼の横に立ち、そっと会釈すると、彼も会釈を返してきた。
どうやら、わたしに気付いていなかったわけではないらしい。
それを確認して、わたしは彼がそうしていたように彼方に目線を向ける。
もう半ば以上が地の下に隠れつつある陽に目を細めながら、わたしは静かに問うた。
スヴェティ 「貴方の眼には、どのように映っているのですか?」
‘何が’とは言わなかった。
けれど、彼は察したようだった。
青年 「―――……黄昏、でしょうか。
それが、一番相応しい気がします」
わずかな黙考の後、彼はそう言って静かに微笑んだ。
それは一点の曇りも無い、けれど、だからこそ寂しさを感じさせずには居られない笑みだった。
青年 「けれど、明日になればまた、新しい陽が昇って来て―――……
そして、違う空を見せてくれるのでしょう。
それならいつかは、あの日私が見たようなあの夕焼けを、誰かが見るかもしれませんね」
静かに浮かべたその穏やかな笑みの、その向こうに見えたもの。
それは先見と呼ぶにはあまりに漠然とした‘予感’。
―――彼の想いが、叶わない未来―――
スヴェティ 「見たい、ですか?」
護りたい、そう想った。
スヴェティ 「過ごした日の終わりに、喜びを持って見送ることのできる、そんな落陽を」
この人の‘心’を。
青年 「はい」
一瞬の間も無く、彼は答えた。静かに、けれど力強く。
そう答えた彼の目には、もう先ほどの笑みに感じた寂しさは微塵も見られなかった。
スヴェティ 「それなら―――……」
わたしには術がある。この人の想いを、未来の真実とする業が。
スヴェティ 「わたしは朝に昇る旭に誓いましょう。」
わたしは誓った。
スヴェティ 「貴方と共に久遠の刻を生き、共に時を刻んで行くことを。
貴方の想いが真実となり、わたしの先見が幻となる日まで」
わたしに与えられた全ての想いを、彼の望む未来のために捧げることを。
彼が‘ネオミック’だと知ったのは、それからしばらくしてからだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
沐浴を終え、先ほどとは違う術式用の正装に身を包んだわたしは神殿の中心にある先見の間に入る。
未だ意識を逸らすことの出来ない‘未来’を微かに‘視’ながら、わたしはこれから為そうとしていることを
静かに想った。
古い物語の中で、全ての災厄を封じた箱が開かれた時にただひとつ解き放たれることを免れた災い。
それは、‘自らの運命を知ってしまう’こと。
生まれた瞬間に自分の辿る道を知り尽くしてしまえば、人は生きていく意味を失ってしまう。
最後の災い―絶望―が箱に残されているからこそ、人は‘希望’を失わずに生きていくことが
出来るのだと、物語は語っていた。
物語の語る通りであるならば、確かにわたしが‘視て’しまったのは絶望そのものなのだろう。
けれど、たとえ望みが絶たれていようとも、わたしはそれを享受するわけにはいかない。
道が無いのであれば創ってみせる。
そのために、わたしの心は、わたしの業はあるのだから。
周囲を整えて準備を終え、床に施された方陣の中央に膝をついた。
‘母様’から譲られた護符を周囲に広げ、眼を閉じて‘意識’を広げる。
力を受けた護符が光を帯びながら浮かんでいくのを感じながら、広げた‘意識’に形を与え、力を繋げていった。
膨大なプロセスを経て、‘それ’は完成した。
今、わたしの持つ心には別個の意思と人格が宿り、眠りについている。
わたしは‘彼ら’に、遥か太古に在ったという神‘ Ligarued ’の名を与え、在り方を授けた。
彼らが具現するのはわたしが在ることを終えた後、わたしが先見した未来に近い時代の果て。
彼らは、わたしの‘意識’として其処に‘在る’。
リガルード‘人’が遥か未来に誕生したことを確認して、わたしはネオミックにさせた企ての結果を
見定めるために‘意識’を繋いだ。