――創られた『天使たち』
胸の前で手を組み合わせるフォルシーニア
――創られた『堕天使たち』
メルキュールがそっと囁く
――そして、創られたリガルード『人』
背をあずけ彼方を見つめるクレアリデル
――誰のために?
振り向き問いかけるエインデベル
――それは『愛する人』のために
両手を広げ待っているマリアローダ
――『過去』『現在』『未来』『超未来』
ラムリュアはその歩みを止めることなく行く
――時間は渦を巻き、やがてひとつの『物語』となる
腰掛け語りかけるセフィネス
真っ暗な空間でミリネールはこちらを見つめ
――それは、始まりのために、終わりへとゆく『物語』
錯綜する、どこか、見覚えのある人々。しかし、誰一人として立ち止まろうとはしない。
『螺旋の限りまで……』
彼女は想いを込めて呟いた
そして再びすべてが終わる。
スペシャルプロローグ。あるいは、エピローグどこか……
この日、人類に最後の審判が下された。
すでに破壊し尽くされガレキの街と化している地上。
もはや生きる者の姿は無く、その栄華と繁栄の名残を破壊された街並みに残すのみとなり、間違い無く一つの文明が今日終わることを示し、ただただ終局が蔓延する、最期の時を迎えていた。
しかし、それは誰でもない人類自身が招いた結末なのだ。
そんな地上で彼女はたった一人で戦っている。
すなわち、創造主でたる神の御使い、第一天使エインデベル・デネボーラ・レグルスと、その片割れである十数メートルほどの身長を持つ、直立した獅子に似る神機レオニス。
レオニスを取り囲むのは、神機と同等の存在である獣機と、それを駆るベスティアリーダーたち。
安定器を通して形成した重力バリアの砲身から真っ黒なビームを虚空に向けて放つ。それは闇色の尾を引きながら光の速さで直進し、瞬き一つの間に視界の果てへ消えた。確認の為サブモニターに映し出しておいた目標に目を落とす。狙いは違わず、衛星軌道にあった軍事衛星を直撃し、それの分子間引力を瞬時に消し去り、物質そのものをかつてあった原始のモノへと還した。
「……ひゃ……く、六つめ……」
レオニスが両腕に音すらも無く、圧縮した超重力の刃を創り出す。
「――これで……ひゃくななつ……」
それを見て数体の獣機が一斉にビームを放つ。が、レオニスは闇色をした刃の一部を切り離し前方へと放つ。レオニスを直撃するはずの攻撃は途端にコースを変え、その全てが切り飛ばされた刃――そこから発生した擬似ブラックホールの彼方へと消えていった。中にはそれをくぐり抜けた攻撃も幾つかあったが、展開する歪曲空間によりレオニスを避けるように表面を滑っていった。
しかし、大勢はもはや決していた。
獣機たちは後から後から現れる。
すでにエインデベルもレオニスも満身創痍であり、重力崩壊とその制御を行う装置も限界に達しており、防戦一方となっている。たとえ重力を操り、ほぼ無尽蔵にエネルギーを汲み上げることができても、ベスティアと獣機たちを相手に戦いを続ける為のレオニスが持つ重力兵器、人類を審理する一〇八つの鐘はもはや尽き、時もまた尽きた。
残りはたったひとつ。最後の時の為にある――
――『最後の鐘』――
「あと……残り一つ――
これで、最期よ。
さあ、獣機たち、早くこの丘に……ハルマゲドンの丘に集まってらっしゃいな」
レオニスのコクピットでエインデベルは、血に濡れた凄惨な笑みを浮かべた。が、それもすぐに消える。代わりに見せるのは迫り来る最期の時、避けえぬ運命。そう、それら全てを受け入れた者が最期に見せるような、そんな満ち足りた穏やかな笑み。
終末は訪れ、間もなく彼女自身も最期の瞬間を迎える。
たくさんの想い出たちが駆け抜けて行く。
今なら分かる。いつだってみんなの為の幸せを模索していた一番上の姉、敬愛してやまない、ついに悲しみに彩られたままであったもう一人の姉、そして、とびっきりの幸せをあげたかった、あたしたちみんなの妹。
もう、二度と帰れない、懐かしく楽しい日々……。
浮かべた笑みは、次第に泣き顔へと変わる。
涙と悲しみに満ちたその顔。
自らの『お役目』である、終末の時を告げなければならなかったので。
神機レオニスはもはや限界を越えている。為す術も無く立ち尽くしているに等しい。重力崩壊場安定器も間もなく停止するだろう。べスティアたちも獣機たちも、もう防ぐことはできないのだ。
血と一緒に涙が頬をつたい零れ落ちる。
目を閉じる。
思い出す。
楽しかったこと。嬉しかったこと。つらいことや悲しいこともたくさんあった。今まで出会った大好きな人々。その全てを、ただのひとつも取りこぼさないように抱きしめる。
「あたしも……恋をしたかったな」
ふと、そんな呟きが終末を告げる第一天使の口から漏れた。
呟きとともに開いたその目はすでに何も映してはおらず、手に入れることのできなかった未来への憧れと哀しみに満ち満ちている。
「――せっかく、時を刻んで娘になったんだもの……、
あたしにも……あたし、だって……」
だが、彼女だけを愛し、彼女が心より愛する運命の相手である者はついに現れることはなかった。エインデベルは恋を知らず、愛や恋への憧れのまま消えようとしている。そして約束の日を迎えてしまった今となっては、事態は彼女ではどうすることもできない終局へと至ってしまった。
永劫にも等しい静寂が過ぎ去る。
彼女の目に光が――決意した輝きが戻る。
その時が始まる。
もはや他に術は残されていなかった。
「マリア、あたしの最後の鐘……鳴らすわよ」
それで全てが終わる。彼女のお役目も、彼女の存在も、紡がれるはずであった未来でさえも。
――フォル姉様……、あたしのこと、誉めて下さいますか? あたし、せいいっぱいがんばったんです。こんなあたしを誉めて下さいますか?
姉の微笑む顔が見えた気がした。
姉の優しい声が聞こえた気がした。
そして、エインデベルの意識は消えた。
瞬間、レオニスの体内にある重力場が一気に開放され黒い閃光が迸り、一種の擬似ブラックホールと化したそれはレオニスを中心に広がり、周囲のもの全てを呑み込んでゆく。
街並みも、獣機も、ベスティアも、新たな命も、もたらされる等しき滅びの前にあらゆる例外は、無い。
それは、
――ない。
「ベル姉さん……」
答えることの無い呼びかけは、すでに訪れてしまった現在の前では無常なまでにかき消されてしまった。
視線の先にあるのは、満身創痍のレオニスと、レオニスを取り囲む獣機たち。
今、最期の時が始まる。
だから――彼女は見つめることをやめなかった。
いや――やめることはできなかった。
その少し前――
そこはレオニスと獣機たちが戦う戦場からもそう遠くない、やはり破壊し尽くされている街の片隅。彼女を護るために戦い、そして破損して活動を停止した神機アルデバラムのかたわらに彼女は佇んでいた。その姿は第二天使の正装をまとい、エインデベルと同じ顔立ちをしている。
エインデベルの双子の妹、マリアローダ・アルキオネ・ヒアデス。
姿形は同じでも受ける印象はまるで違う。それは髪形や衣装のせいばかりではない。エインデベルに比べ彼女は、より女性らしいふっくらした体つきをしているのだ。その丸みは彼女のマタニティドレス風にアレンジした正装でさえも隠し切れはしない、新たな生命の形をしていた。
レオニスと獣機たちを見つめるその眼差しは、哀しみに満たされている。いや、それだけではない。今もなお世界中で繰り広げられる、人類全てを巻き込んだ戦争。大勢の人間が戦いへと行き、同じだけの人間が命を落とし続けている。
空で、大地で、海で、――宇宙でも……。
「たたかって……、まだ、たたかっているのね……」
不意に哀しみが押し寄せてきた。こんなこと望まなかったはずなのに。あんなにも優しく、暖かだった人々が起こしてしまった戦争。
「どうしてよ……!」
苛立ちとないまぜになった悲しみを吐き出し、自分の下腹部をそっと手を置く。そこには、新たな時間、新たな世界のための証である新たな命が確かに宿っている。
「――もう、こら……お母さんは大丈夫だから、そんなにお腹をけらないで」
その声は母にだけ許された、慈愛と優しさに満ち溢れた響きを持っていた。
それなのに、涙がひとすじ流れ落ちる。
「ごめんね……ごめんねネオミック、アタシ、あなたを産んであげられないの。
……あなたに、『お母さん』て、そう呼ばれたかったわ」
かすかに、天使の嗚咽がもれ聞こえてくる。
ガレキの街で、
人類終焉の地で、
願いも未来も閉ざされて、
新たな生命の産声を聞くことができないので。
わずか数瞬が永劫の永さでもって過ぎ去った。
時も術も潰え去り、
そして、レオニスの『最後の鐘』が鳴り響いた。
ハルマゲドンの丘を中心にして闇色の球体が広がってゆく。それは日本列島を丸ごと包み込みこんでも膨張を止めることはなく、さらに太平洋の日本列島側を抉り、ユーラシア大陸の東側を削り取り、地球に巨大な亀裂をいくつも走らせたところでようやく膨張を止め、数瞬そこで安定したかと思うと、一気に中心部――発生点に向かい集束していった。そのあとには無残なクレーターが刻まれているだけだった。
遥かな高み、宇宙空間からそれを見ているのは、第三天使であるフォルシーニア・サダルスード・ルクヴァと乙女に似るその神機アクエリュース。そして、天使姉妹の長女であるクレアリデル・ヴァナント・シャウラと鳥を模したようなその神機グラフィアス。
「ベル、マリア……」
血を吐くほどの悔恨の呟き。
クレアリデルのそれは、大切な者を失った自分への責めだった。
確かに、ある意味においてそれはクレアリデルの責任とも言えなくも無かった。彼女であるならばこの終局を予見し得たのだ。この事態を回避する為に、いや、自らが予見したからこそ、この事態を引き起こさない為にそれまでの時間を費やしてきたのだ。だが、またしても状況はすでに引き返すことのできない、最後の一線を越えてしまった。
目を伏せぎりぎりと唇を噛み締め、固めた拳は震えている。苦しみは容赦無くクレアリデルを襲った。
フォルシーニアもまた地球を見下ろしている。
眼下に見える、青く美しい星は、今や大地をえぐられ醜く変わり果てた姿へと変貌している。えぐれた大地に海水が流れ込み、吹きあがったマグマと混じり水蒸気を吹き上げている。地軸が歪み地上のあらゆる場所で天変地異が起こっている。ハルマゲドンの丘で発生した超重力により質量を大きく減じた地球は確実に崩れ行く。
不思議だった。
自分でも不思議なほどに、フォルシーニアは穏やかで落ち着いている。
えぐれた地球。
鳴ってしまった最後の鐘。
『お役目』を果たし、消えていったエインデベル。
『お役目』を果たすことなく、消えてしまったリアムローダ。
そして、これから『お役目』を果たす、姉クレアリデル。
見渡せば総てがあった。
フォルシーニアはようやく、自らの不思議な穏やかさの正体が分かった。ここには為すべきことがある。迷いなどが入り込む余地などない、総てがある。
「クレア姉様……、ベルの……最後の鐘が鳴ってしまいました……」
決意はある。それでも、フォルシーニアの声もまた、か細く消え入りそうなほどに震えている。
彼女にはもはや、どうすることもできないのだ。他に術は残されていないのだ。
「わたし、行きます」
フォルシーニアの決意の宣言。
澄んだすみれ色の瞳に迷いの色は微塵も無い。『第一天使』が『最後の鐘』を打ち鳴らした以上、自らの、『第三天使』としての『お役目』を果たさなければならない。
「でも、その前に、ひとぉつだけ、わたしのわがままを叶えて下さいますか?」
グラフィアスのモニターに映るフォルシーニアは、自らの決意が揺らぐことの無い真摯な表情でクレアリデルを見つめている。
「いいわよ、フォル、どんなことでも姉さんが叶えてあげるわ」
妹からの最後の願い、その言葉が持つ絶望の意味を味わった今、いかなる願いでも叶えてあげたかった。それが姉としてしてやれる最後の手向けとなるのであればなおさらだった。
「お約束、ですよ」
哀しく、疲れきったような、クレアリデルを安心させるためだけのような弱々しい微笑み。それでも、これがフォルシーニアの見せる最後の微笑みかと思うと思わず熱いものがこみあげてくる。が、涙を見せるわけにはいかない、そんな顔をすれば余計にフォルシーニアを悲しませるだけだ。
「ええ、何が望み? 何でも姉さんに言ってごらん、フォル」
無理矢理に笑顔を作り、名を呼ぶ、その一言一言に慈しみをこめながら、別れの時を待つ。
――ごめんなさい……と、何度も何度も心の中でそう繰り返しながら、クレアリデルが悲しみ、絶望するのだと分かっていても、フォルシーニアはその言葉を紡ぎ出していた。
「わたしの望みは……わたしの身体を『基』にして地球を新生して下さい」
感情を無くしたかのようにきっぱりと言い放つフォルシーニアに、クレアリデルは思わず言葉を失ってしまった。
「クレア姉様には、いえ、クレア姉様にしかそれはできないんですもの。どうか、お願いします、クレア姉様!」
「――っ、ダメ、ダメよフォル! そんなこと……、それだけは……!」
「わたしのことなら、かまいませんもの」
残酷といえばあまりに残酷なフォルシーニアの願い、これだけは他の誰でもない新生の『お役目』を持つ、クレアリデルにしか叶えることのできない願い。
フォルシーニアに涙は無い。
いっそ、清々しいとも取れる、満面の笑顔。
決意を胸に、自らの心で決めた願いを果たそうとしている。
愛する者たち全てが滅びてしまう。そんな耐え難い『お役目』を担い、そして今、自らが滅ぼしてしまう愛する者たち全ての為に、母に、聖母になり星と生命を生むことを望んでいる。
「『お役目』は果たさなくてはなりませんもの、それがわたしたち『Lalka』が生み出された理由であり使命ですもの。
わたしはわたしの『お役目』を果たします。ですから、クレア姉様も『お役目』を果たすその時にわたしの身体をお使いくださいな」
「フォルシーニア、アナタは……」
限定神であるクレアリデルであるならば『お役目』であっても、地球を新生する際にはどのような媒体も必要としない。この宇宙において唯一、『無』から『有』を創り出せる存在なのである。フォルシーニアの肉体を使わずとも地球の新生は可能である。もちろん彼女の存在を基とした地球の新生も可能ではあるが、それをしてしまうとフォルシーニア自身が、地球と同等となり、クレアリデルが愛したフォルシーニアという存在は星の影響、例えば隆盛や衰退を直接受ける、極めて不安定な存在となってしまう。それは見た目には変化が無くとも、彼女の奥深くに着実に何かをもたらすこととなる。クレアリデルは妹のそんな姿は見たくはなかった。が、そんな存在になってまでも、何故彼女がそれを望んだかもクレアリデルには分かってしまった。
彼女は希望となることを望んでいるのだ。
遠い、気が遠くなるほどの時間の果てに、いずれ発生する人類に発展の可能性を与える、その因子となりたいのだ。
「どうか……人類に、どうかよい機会を与えてあげて下さいな、クレア姉様にはそうすることができるんですもの」
愛した人類の為にそれをせずにはいられなかった。
――あるいは、愛する人類を滅ぼす行いへの贖罪なのかもしれない。
そう思えるからこそ、クレアリデルも遠回しに思いとどまらせることしかできなかった。
「でも……でもね、フォル……。
今、ここで終わらせてしまえば、ワタシたちは未来を変えられるのよ。リガルード『人』だって、一度はそれを望んだのよ、だから、超未来からワタシたちを過去へと送り込んだのよ」
あるいは、リガルード『人』は人類の滅びを望んだ。
――のかもしれない。
心のどこかでそれを思ってしまったのかもしれない。人類そのものの存在が無ければリガルード『人』自体が発生しないのだ。にもかかわらず、繰り返された悲劇、課せられた使命の途方もない困難さ。それらがリガルード『人』を追い詰め、いつしかこのような手段に訴えなければならなくなっていた。リガルード『人』には退くこと、途中で止めることは許されていない。目的が――願いが果たされなければならない。それは何をもってしても為さなければならないのだ。
だから、もう一つの手段として天使たち堕天使たちを過去へと送り込んだのだ。クレアリデルとメルキュールが見守る人類が、より良い未来へと導かれるようにと。
そしてあるいは、このねじくれて絡み合う運命の糸が断ち切られるようにと。
今ここで人類すべてが未来永劫に消滅すれば、複雑に絡み合う運命の糸はすべて断ち切られ何もかもが終わりを告げる。最初から――それがもはやどこなのか知る術も無いが、何もなかったことになる。何も起こらず、ただ終わるだけ。
いや、ひょっとしたら、終わりすら無いのかもしれない。
どちらにしろ、それでリガルード『人』は遠い使命から開放されるはずなのだ。
だが、フォルシーニアの決意は変わらない。クレアリデルにもそれは分かっているのだ。
彼女たちは出会ったのだから。
触れ合ったのだから。
心優しきその人たちを忘れることはできない。
フォルシーニアは目を伏せ、ゆっくりと首を左右に振った。
「わたし、参ります。
どうか、もうそんなお顔をなさらないでくださいな、クレア姉様が泣いたりしたら困ります。わたしが天に還るのが遅くなってしまいますもの。
ね、クレア姉様、双子たちのことも、どうかよろしくお願いしますね。
そしてわたしを早く天に連れ還って下さいね」
懸命に涙を堪えているクレアリデルの前で、アクエリュースが遠ざかって行く。
今ならまだ止められる。だが、引き止めることは決して許されない。それは決意したフォルシーニアに対する冒涜となる。
彼女の心を汚すことになる。
それでも、遠ざかるアクエリュースを見つめていると、引き止めたい誘惑にかられてしまう。
たとえ彼女の心を汚しても離したくない。
そして、何度目かの葛藤を過ぎた後、アクエリュースが地球へと到達した瞬間、今、ここにある地球は閃光となり消滅した。直後にクレアリデルの力によりフォルシーニアを核として地球が新生され、その地表へと原子分解したフォルシーニアの身体が生命の源として降り注ぐ。
妹を失った痛みが、苦しみが、悲しみが、そして限り無く全能に近い存在であるというのに、何一つとて成し遂げられない自身への不甲斐無さ。そんなやるせない気持ちが声にもできずに、とめどなく溢れ出てくる。
グラフィアスのコクピットでクレアは身じろぎもしない。いや、かすかに震えている。
「フォルシーニア……ワタシ、アナタの望む通りにしたわよ」
そうする以外にクレアリデルに術は無かったのだ。
「……いいの? 本当にワタシたちはこれでいいの? ワタシにはわからない……」
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「『Ember』は、自分たちの手で未来や運命を変えることができるのかしら? それともこれは、リガルード『人』の思惑通りのことをしたに過ぎないのかしら……。
…………ワタシにはわからないわ……」
愛する者たち全てを幸せにできず、
愛する者たち全てを失い、
何一つ成し遂げられず、
それでも生き続ける以外に術が無い。
そして今、たった一人で泣いている。
「――ごめんね、姉さんが非力だから、アナタたちを幸せにしてあげられなかった……」
大好きな者たち全てを幸せにできなかったので。
一九九九年七月――
最後の審判は行われ、地球は崩壊する。
『けれど、天使たちや、みんなのおかげで地球の人類たちは滅びを免れるわ。
優しい娘……、本当に優しい娘たち』
慈しむために差し延べる手は空しく虚空へと伸びるだけ。
この時空にあるのは遠い未来における全能神のみ。
『いつまで……いったいいつまでこんなことを繰り返さなくちゃいけないの……』
悲しみにくれる、未完の全能神。
彼女はこの宇宙において、限り無く全能に近い。
彼女はこの宇宙において、絶対者へと最も近い。
そしてこの宇宙にあって永遠を約束された存在。
『―――さん……、あたしはただあなたに逢いたい、もう一度あなたに逢いたい。それしか望まなかったのよ。
……たったそれだけ、それなのに……』
しかし人類は、そんな彼女の悲しみなどまるで知らぬかのように、繰り返されだけの同じ結末を辿り、またしても彼女が願う最愛の者が誕生する未来へと行けなかった。またしても最初からやり直すことになってしまった。
だが他に術は無かった。
絶対者へと最も近い存在が願う愛しい者は人類が築き上げる歴史の果て、たった一つのルートからしか誕生しない。皮肉なことにその為の時間だけは用意されていた。全能の彼女が存在する限りこの宇宙に終末が訪れること無く、彼女と彼女の最愛の者が再会するまで宇宙は存在を約束されているのだ。
『やがて、この星に人類が生まれ繁栄の一途を辿るわ。そして、彼らは我が物顔で宇宙に踏み出そうとする。だからあたしはあなた方に願っています。人類の未来が開けていることを、再び訪れる『最後の審判』を乗り越えて行けることを、そしてあたしとあの人を引き合わせてくれることを……』
ここには答える者はいない。
答えを返せる者もいない。
ただ、虚ろなだけ。
かつての四十数億年前がそうであったように。
あるいは四十数億年後にもそうであるように。
『……だから、あたしは帰ります。帰って、超々未来からあなた方を見守っています。
さようなら、あたしの……、
さようなら、今、生まれたばかりの地球――』
彼女は音も無くこの時空から姿を消した。
眼下に見える地球に、かつての地球人類の足跡は無い。また、生命の痕跡さえも無い。生命の源となるものが撒かれたといっても、新たな生命の誕生まではまだ時を費やさなければなない。そこから進化を繰り返し、いずれ人類へと辿り着き、また、発展して行くことになるのだ。
それがたった今行われた最後の審判の再現となるのか、それとも、新たな未来へ踏み出して行くのか……、
――あるいは、定められた運命への道行きなのか。
「どちらにしろ、それが分かるのは数十億年先のことになるわね」
エインデベルとリアムローダ、消滅した双子たちを新生し抱きよせる。
双子たちには、もう今までの自分たちへの想い出は無い。最初からやり直すことになるのだから……。
「可愛い双子たち、あなたたちはベルが時を刻み始める前の姿に戻してあげる」
慈愛と包容力に満ち溢れたその微笑み。
ふと、その顔が言い知れぬ不安に曇る。軽く眉をよせ、リアを見つめる。おもむろに彼女に触れると、
「そしてリア……、アナタにはもっと強い力を、アナタが『お役目』を果たせるまで決して負けないように、今よりももっと強い力を……」
愛らしくはあっても、あまりにも儚く弱かった彼女にさらなる力を与えた。『素因』と出逢い、聖母となって『お役目』を果たすその日までは強くある為に。そうしなければ、クレアリデル自身も耐えられなかったのだ。それほどまでに悲しみは深いのだ。
だから、言った。
「さあ、アナタたちはしばらく眠りなさい」
ありったけの慈しみを込めて妹たちに――腕に抱く双子たちと、いまや眼下に見える地球に、聖母となったフォルシーニアに囁きかける。
「アナタもよ、フォルシーニア。
アナタは、今、生まれたばかりなんですもの」
――おやすみなさい、双子たち
――おやすみなさい、フォルシーニア
――おやすみなさい、今、生まれたばかりの地球
そして再び始まった。
――これは……世紀末の夢?
――来たるべき、最後の審判なのでしょうか?
――いいえ、いいえ、拒否します、このような『お役目』を授かるわけにはまいりません。拒否します拒否します。
睡眠学習機の中、フォルシーニアは果てしない自問自答を繰り返していた。自らに課せられた『お役目』と彼女が望む未来。あまりにかけ離れた両者に葛藤は深く、堂々巡りに陥りつつあった。
そして彼女の悲劇が始まる。
――必ず、滅ぼすと決まったわけではないのです。
一人が諭すように言う。
――ですが、そうしなければ更なる未来を閉ざすことになるのです。
もう一人は説き伏せるように使命を言う。
――拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否します拒否し……、
最後の一人はひたすらに拒絶していた。
おもむろに、何の前触れも無く説き伏せる声は言った。
――では、わたしがその『お役目』を実行しましょう。わたしの名前はフォルシーニア・サダルメルク・ルクヴァ。滅びの『お役目』はわたしが担います。
続けて諭す声は言った。
――では、わたしが彼らを見極めましょう。わたしの名前はフォルシーニア・サダクビア・ルクヴァ。いかなる感情もまじえず、公正に判断を下しましょう。
最後の一人は呟くだけ。
――わたしは第三天使フォルシーニア・サダルスード・ルクヴァ。わたしはわたしの『お役目』を拒否します。
そこにいる彼女をフォルシーニアと認めることはクレアリデルにはできなかった。
たとえ、同じ姿をしていても、それはクレアリデルの知るフォルシーニアではない。
最初に現れたフォルシーニアは、自らの『お役目』に何の迷いも見せなかった。その行使にいかなる躊躇いもなかった。
次に現れたフォルシーニアは、自分自身がいかなる存在であるか全てを知っており、クレアリデルとメルキュールにフォルシーニアがどうなってしまったかを全て語った。
三人目こそがクレアリデルの知る、一番上の妹、フォルシーニア・サダルスード・ルクヴァであった。
しかし、彼女は自らの悲劇を何も知りはしなかった。
そうしなければ自らを保つことすらできないフォルシーニア。その姿があまりに悲しくて、悲しすぎたので、クレアリデルはフォルシーニアを封印してしまった。最後の審判が行われるその日まで決して目覚めることが無いように。
もし、もしも、あるいは起こりえぬ事態によって、その日を待たずに目覚めることがあっても、彼女がいつまでもサダルスードであるようにと、常にフォルシーニアの両腕に着けられている黄金と白銀のバロッキー。これで彼女の内にいる、サダクビアとサダルメルクを封印したのだ。第三天使へと近いサダルメルクがフォルシーニアとなってしまわないようにと、全てを知るサダクビアが新たなフォルシーニアへなってしまわぬようにと。そう願ってこの封印を施し、クレアリデルにしか解けないようにしたというのに、サダクビアはそれさえもフォルシーニアの一部として取り込み、封印そのものが中途半端なものとなってしまった。これでは例えサダクビアにその気が無くても、サダルスードが弱体化すればサダクビアが主人格となってしまいかねない。そんなにも切迫した事態だというのに、本来のフォルシーニアはそれが封印であることさえ知らないのだ。姉クレアリデルからのプレゼントだとしか思っていないのだ。
もはやクレアリデルであっても、フォルシーニアを元へと戻せなくなっていた。あるいはそうできるのかもしれないけれど、その為には彼女を完全に分解し、最初から創り直さなければならない。内面にサダクビアとサダルメルクがいる以上、第三天使として新生はできても、クレアリデルのフォルシーニアであるとは限らない。
その事実に恐怖し、後悔した。
だから、その夜、クレアリデルは泣いた。
「大丈夫、大丈夫よ。クレアさんにはあたしがついてるもの。大丈夫よ」
クレアリデルを胸に抱き、幼子に聞かせるようにメルキュールは言う。
「でも、フォルには誰もいないのよ……、あんな姿になったのに、誰も、何も、あの娘にはしてあげられないのよ……」
それゆえに、涙も、悲しみもあとからあとから溢れ出てくる。
「泣かないで、クレアさんには最後まであたしがついているから、ずっと――ずっと、いっしょにいるから、だから、もう泣かないで」
クレアリデルを慰めるメルキュールの胸で、涙が枯れ果てても泣き続けた。
その悲しみは今も癒されてはいない。
ベル「あたしたちは世界を旅した。いろいろな国を歩き、いろいろな人に出会った。優しい人、怖い人、好きな人、嫌いな人、想い出の人々。
そんな人たちの中から、あたしたちはある人を探していた。
三年かかった。
ようやく出逢えた。
大切な人。
守らなければならない人。
『素因』。
彼との出逢いは、たぶん、運命。
夜――
天使と堕天使が舞い降りる中、あたしたちは再会した。
次回、螺旋の限り、『夜の終わり』をご期待下さい」