真昼に見る夢
西暦はすでに終わっていた。
新たな体制と新たな世界。
そして絶大な指導者を人類は得ていた。
星刻暦。
それが人類の新たな歴史であった。
漆黒の宇宙空間。それは突然、虚空に現れた。
全長は三十メートルほど、背中から覆い被さるような、重装甲を施した居住モジュールと長距離航行ユニットに左右から挟まれ、そのコアのようになっているユニットは、二腕二脚のフォルムを持ち、何かを無理矢理に人型にしたような姿をしている。
それは何をするでもなく、ただ、漂っている。が、その内部、コクピットにあたる部分では少女が途方に暮れていた。
「どうしよう……」
まだ十四、五歳くらいに見える少女は、メインモニターに広がる宇宙空間を見据えたまま呆然としていた。そこに映るのは漆黒の闇と彼方に瞬く星たちだけ。ここがどこかを示すような指標は、当然ながらどこにも無かった。仮にあったとしてもその宙域を示す星図が無ければ現在位置の特定は不可能に近い。直径十万光年の銀河系の何処とも知れぬ場所に、いや、ひょっとすれば外宇宙に放り出されたのかもしれないのだ。恐怖と心細さに不安が押し寄せる。
おそるおそる、タッチパネルに触れ、センサー類を起動させる。
「外宇宙なら帰れないかもしれないな……」
祈るような気持ちでメインモニターに表示される、近傍空間の観測データを目で追う。機体の記憶巣にある星図に登録されている星があれば、それを指標にできる。
結果に心から安堵した。
「よかった……ちゃんと太陽系だ……」
アステロイドにほど近い空間であった。
幸い機体の記憶巣に詳細なデータがあった。一番近い基地か施設を検索する。待つほども無く結果がリストアップされ、その一つの詳細を表示させる。
彼女が選んだのは、イダ]という補給基地である。元々は小惑星イダで希少金属の採掘に集まって来る鉱山師の為に建造された、小型の人工衛星都市だったのだが、その後に勃発した惑星間戦争の折、軍に接収され前線への補給基地として多少の改装を行い利用されていたのだ。当時はそういった民間企業の基地を軍が接収し、活用することは珍しく無くイダはその中でも十番目であった。戦争そのものはすでに終結し、その後も戦後処理にしばらくは稼動していたが、それも戦後の混乱のさなか中途で放棄され、今はもはや忘れ去られた無人の基地である。
「データが残ってればいいけれど……とりあえず、行ってみようか」
少女は進路をそちらへと向けた。
巨人級の大型艦も入港できるよう大幅に手の加えられた、開放されっぱなしのドッキングベイに機体を進入させる。経年劣化や事故、戦闘ダメージの補修でパッチワークだらけになった港内にはまともな船影はない。パーツ取りにでも使ったのか、分解された型遅れ寸前の巡洋艦と旧式の貨客船が流れ出さないように、隣接する整備ドッグに繋がれている。それ以外は宇宙港とは思えないほどにすっきりしている。
「ひきあげる時に持ってってるんだから当然か」
非常電源か自家発電が生きているらしく、所々非常灯が灯っているのを確認して、港口を密閉する。気密を確認し、上陸しようとして少女ははたと気付いた。
「しまった……宇宙服がない」
持ち出した装備リストを確認しながら少女は声を上げた。着の身着のままというほどではないけれど、一刻も早くあそこから離れねばならなかったので、充分といえるほどの装備は持ち出せなかった。この機の本来の目的では非常キットなど、無用の長物以外の何物でもない。一応譲り受けた際に装備はしたが、本来は地上での使用が主目的であり、こんなにも早く宇宙へ上がるとは思ってもいなかったのでその中に宇宙服をはじめ、宇宙空間で必要になる装備はまだ用意されていない。
「失敗しちゃったな……、自分で思ってるよりも慌ててたのね」
機体から降りずに港内をくまなく走査する。さいわい港の閉鎖系は生きている。システムに介入し遠隔操作で起動させ、内部で酸素の循環が始まるのを待ってから少女は上陸した。
彼女が向かったのは港湾管理局。メインコンピューターを起動させステーション全体の機能を回復させる。よほど慌てて撤収したのか、あっさりと全機能は回復し、非常灯だけの薄暗い港内に次々と明かりが灯る。港全体を見渡せる管制局に移動し、そこの端末で残っているであろうデータを掘りかえす。本当にこの基地を再利用するつもりだったのか、ほとんど消された形跡がない。が、少女はこの基地がこのまま忘れ去られ、二度と使用されないことを知っている。ふと、視線を上げれば推進剤や薬剤で汚れた耐圧ガラスの向こうに、少女の乗ってきた機体――生命船ジボドロッチがカクテル光に照らされ、脚部のみ展開してかなり前屈みな降着ポーズでじっとしている。
「あの子も整備してあげないとね……」
ここへ来る為に相当の無理をさせてしまった。エネルギーに関しては時間さえかければ補給可能なので問題無い。武装や装甲に関してはここにある物では規格が違いすぎる為、使い回すような真似はできないがこれは仕方ない。深刻なのは機体中枢そのものだ。機体の限界ぎりぎりまでの動きをさせたことにより、自己修復機能でも補えないほどの相当の疲労が溜まっているはずだ。このまま整備に回せば間違いなく中破扱いになってしまうだろう。もし、もう一度同じことをしなければならなくなれば、たとえ分解整備まで完璧に行っても間違いなく分解してしまう。
整備ドッグに視線を転じて、少女はため息をついた。戦艦と高速艇の反応炉が並べて放置されていたり、交換用の砲塔が無造作に積み上げてあったりして、当然ながら、少女の生命船に使えそうな部品があるようには見えない。
隣の区画にはスクラップと化した機動兵器や、曲面の重装甲を施した惑星侵攻に投入する降下機械兵が放置されている。その向こう、奥まった作業台に載せられた見慣れない物体に首を傾げ、その正体を理解するとげんなりと顔を伏せた。
回転衝角であった。
ほどなく掘り出されてきたデータをざっと斜め読みして、少女は何度目になるかも分からないため息を吐き出した。
「すぐに使える物はないか……」
さっきの回転衝角に関するデータもあった。接収した海賊船に装備されていた物で、よりによって単粒子製である。同質量の反物質をぶつけるくらいのことをしなければ物理的な破壊は不可能な代物である。
「……とりあえずは要らないか」
とりあえず、後で取りに来るつもりか持ち去れなかったのか、置き去りにされて行った物資の備蓄リストを確認し、ニュースネットに接続し、『今』の確認をした。
ここは少女が予定した時まで、五年以上の時間があった。
「五年か、短くないよね……」
思ったよりも加速がかかっていたらしい。予定では一週間前の時間に到着するはずだったのだ。
五年――
長い、と言うほどの時間ではない。が、待つ身の彼女としては短くもない。限り無く不老に近い肉体を持つ『Lalka』たちと違い、少女は生身の人間なのだ。時の流れそのものに逆らうことはできない。
――どうしようか?
考えるまでもない。
少女が選べる選択肢は一つしかない。
「ネオミックを殺す」
――それで超未来で人類を解放し、復讐も果たせるのだから。
それこそが自らに課した使命なのだから。
時間のルールを無視した彼女にも、時はたゆまず流れた。
少女は美しい女性へと変貌していた。
かつての面影も僅かながらある。その身体は女性らしい丸みを帯びている。だが、直接『女』へと繋がる雰囲気は根こそぎ削ぎ落とされている。落としきれない部分は奥へと押し込まれている。そんな、殺しの為だけに研ぎ澄まされたナイフのような美しさを、その身に秘めた女性に。
その日が来た。
待ちに待った日がやって来たのだ。
彼女がネオミックを暗殺できる、たった一度のチャンス。
銀河系連邦国家の元首となったネオミックが、手足となって動く〈フリーランサー〉と呼ばれるエージェントたちを束ねるユラヌスだけを伴って、一般人は接近さえも禁止されている聖地エヌベルユを訪れる。この地に住む、スヴェティ・ドゥープの助言を得るために。
彼女が知ることのできた、ネオミックから無数の護衛が離れ、最も警備が手薄になる、千載一遇とも言う一度きりの機会である。
計画は万全である。ネオミックとユラヌスが滞在する屋敷の構造から、彼らの行動する時間まで、この訪問に関する記録は全て調べ上げ頭に叩き込んである。
――あとは実行するだけ。
計画は順調だった。
当然だ。彼女にはこの訪問に関する全ての記録がある。その気になれば秒単位で彼らの行動を調べることもできる。実際彼女は待っている時間を使いそれを呼び出している。すでにネオミックとユラヌスの行動については当人たち以上に知り尽くしている。
人間と機械の、両方の警備の目を逃れ廊下を足音もなく走る。不釣り合いに大振りなバイザーを下ろしたヘルメットをかぶり、ボディスーツのような身体にぴったりとした装甲を身に着けている。極薄でも個人で携行できる兵器程度ならダメージから衝撃までをも完全に遮断できる上に、触れられれば感じるような特殊な素材でできている。加えて熱光学迷彩とステルスが施されているので、今の彼女は人の目で視認することも、機械の目で捉えることもできないのだ。しかも身体の動きは一切妨げない。走る速度を落とさずいくつかの角を曲がり、数メートル先に目的の部屋が見えてくる。最初の目的である、ネオミック最強の護衛ユラヌスの部屋だ。スピードを落とし気配とわずかな足音を消して近付く。その手にはすでにブラックホールすら操る、重力崩壊場安定器が握られている。
ユラヌスの部屋まであと十歩ほど。減速しゆっくりと歩を進める。
忍び込んだ部屋の中は、静か――
ざっと室内を確認する。最低限の調度品があるだけだが、上品にまとめられた客間。部屋の奥にある、博物館にでもあるような天蓋の付いたベッドで横になる人影。まっすぐにそこへと向かう。振り上げた手には凝集した重力崩壊場がブレード状に発生している。
躊躇なく、振り下ろす。
音も手応えも無く、ベッドは原始物質へと還元した。
ユラヌスの姿は――無い。
殺った。
――のではない。一瞬早く飛び退いていた。
ユラヌスがまとう薄絹の夜着は瞬時に戦闘服に変わり、手を一振りすればその中に高周波振動ブレードが握られている。
対峙は一瞬。
彼女から仕かけた。重力共鳴を引き起こすビームを放つ。立ち位置と部屋の調度品の位置関係から、ユラヌスが回避できる場所を限定し、そこに斬りかかる!
感情の揺らぎも無く、機械のように冷徹に。
原始物質へと還る。そう確信した瞬間、ユラヌスの姿が消えた。
――レヴィテイションした!?
「ちがうわ」
声は背後から。
しかも心を読まれた。
高レベルの精神攻撃さえも無効化する、ヘルメットの思考シールドは正常に作動しているのに。
背中を冷たい汗が流れ落ちた。咄嗟に前に跳び、ユラヌスと正対する。
――高速移動……? 見えなかった……。
また、ユラヌスの姿が消えた。ほとんど直感で彼女は身を沈め、床を転がり距離を取った。案の定、さっきまでいた場所には背後を取る形でユラヌスの姿。
「今度のが、レヴィテイション」
その二つを実演して見せたということだろうが、どちらがレヴィテイションで、どちらが高速移動なのか、まるで判別がつかなかった。ユラヌスが一歩だけ近付く。
あるかなしかの微笑みを、ユラヌスは一瞬だけ浮かべた。
――あの時のあれは、こういうこと、ここで出会うことだったのね。
バイザーを下ろしたヘルメット、極薄のボディスーツ、そして重力崩壊場安定器。素顔は見えないがその全てに見覚えがあった。いや、知っていた。
懐かしい。そう言うにはあまりに奇妙な感情。
彼女は立ち上がりマイクロブラックホールを創り出した。その数は十個。それを自身の周囲へ配置する。
重力結界である。
時空そのものをかき乱すほどの超重力を維持し、自身の外側にのみ重力が働くよう制御したそれは、結界とはいっても、ただ、維持するだけで攻防一体の兵器となる。近付くもの全てを、光すら逃れる術の無い重力井戸の底へ呑み込む防御は鉄壁であり、同時に最大の攻撃でもある。それはいかにユラヌスとて例外ではない。
だから、ユラヌスはこれを破る、最も簡単な手段を使った。
力任せに重力結界の内側へと、直接レヴィテイションしたのだ。
「な!」
驚愕した。
ただ在るだけで時空そのものに影響を与えるような超重力である。それを複数制御し死角を打ち消し、指向性まで持たせているのだ。惑星上で長時間使うような技ではない。力技で突破できるような代物ではないのだ。直接レヴィテイションしたとしても、局所的な重力偏移を引き起こしているのだ。レヴィ・アウトする位置を制御するのは不可能に近い。また、空間を渡る際に張り巡らされた結界に呑まれるはずである。これほどまでに強力なPsi能力を持つのは、彼女が知る限り二人しかいない。
が、驚愕はしても彼女の対処は冷静だ。侵入された時点で結界は意味を為さなくなる。結界を内向きに反転させれば相討ちにはできるかもしれないが、ユラヌスの技量からすれば逃れられる公算が高い。何よりそれではネオミックを消去する目的が果たせない。即座に維持を解き、十のブラックホールを消す。これを維持する為には相当に体力や精神力を割いておかねばならない。そのままでユラヌス相手に接近戦はできない。大きく間合いを取る彼女の視界から、レヴィテイションか高速移動か、ユラヌスの姿がかき消えた。
――まずった!
そう思った時には、ほとんど反射だけで、身体は前へ跳んでいた。
が、遅い。
ユラヌスはその無防備な延髄に躊躇無く高周波振動ブレードを振り下ろした。
僅かな手応えとともに刻まれる、首から背中にかけての致命傷。
思ったよりも素早い動作と頑丈な装甲に阻まれ、かろうじて即死は免れたようだが、首が半ばまで切断され、脊椎も傷付いているのだ。あと数分もてばいい方だろう。
「Psiでシールドを張っているのね。今、楽にしてあげるわ」
高周波振動ブレードを逆手に持ち、彼女の頭に狙いを定める。
「この人が死ねば、あの時からの歴史が変わるはず」
無感動に、誰にでも無くユラヌスは呟いた。
それがどんな結果をもたらすのか、ユラヌスにも分からない。若干の興味を込めてじっと見下ろす。
――変わるのかな? 変わらないのかな?
それとも、何かが変わり、何も変わらなかったことに、気付くこともできないのだろうか?
「変わるわけないか……」
ぽつりと呟く。それは彼女自身がよく承知している。目の前の人物を覚えているのは他ならぬ彼女自身なのだ。即死ではないのが奇蹟のような瀕死の重傷でも、何かしらの事態で生き長らえるのだ。
「『アタシはアタシの為すべきを為す』。か……。今ここでアタシがとどめを刺せば、未来を変えられるはずなのに」
ユラヌスのそんな呟きを最後に、彼女の意識は途絶えた。
振り下ろした高周波振動ブレードは、彼女の頭を大きく外れていた。
「アタシにはあなたを殺せない……」
と、天井を突き破り、大質量物がこの部屋に現れた。
彼女の生命船である。
「そんな……!」
だが、今度はユラヌスがそれに驚愕した。ユラヌスはかなり姿が変わってはいてもそれに見覚えがあった。それが何者か知っていた。ここにいることが信じられなかった。ここに存在するはずが無いのだ。今は中央にいるはずなのだ。
ユラヌスが見る前でそれは、彼女を体内に収容し、ここから飛び去った。
「待ちなさい! 待って! お願い、待って……」
待ってはくれないと覚りつつも、叫ばずにはいられなかった。
「おいで、アタシの獣機!」
そして後を追わずにはいられなかった。
通信機からは、地上の守備隊から状況説明の要請が殺到している。だが、ユラヌスは迷わず通信を切った。
「お姉ちゃん……」
追跡の片手間にユラヌスは、中央へ眼前にいる機体の現在の状況照会を要請した。超高速回線を利用し最優先のコードを付ける。待つことしばし、五秒で返事があった。
「どうして……」
その返答にユラヌスは愕然と呟いた。間違い無く中央にあるというのだ。それでは同じ物が二つあることになってしまう。だが、それはあり得ないのだ。アレはたった一体しか存在しないはずなのだ。
「どうして、どうして、どうしてよ……」
繰り返し呟きながら獣機をさらに加速させる。メインモニターに映る姿に、ふと、閃いた。
「そうか、時空ジャンプ……」
そう思い至ったと同時に、高軌道上の無人迎撃機がジボドロッチに攻撃を仕かける。迎撃機の放つビームが次々にジボドロッチの外部装甲を削る。破壊され本体からパージされたパーツをかいくぐりながらユラヌスは追跡する。だが、コクピットでユラヌスは母親において行かれた子供のように頼りなかった。
「待って、行かないで……」
彼女の想いをよそにジボドロッチはさらに加速する。いかにユラヌスといえど機体性能の差は如何ともし難い。じりじりと離されている。獣機の出力はとっくに全開である。長距離航行ユニットが追加されている分、向こうの方が出力は高いのだ。いずれ引き離されてしまう。と、ジボドロッチはおもむろに進路を木星方向に修正した。
「木星に突っ込む気!?」
回り込むように慎重に獣機の進路を修正する。ジボドロッチと違いこちらのエネルギーは有限なのだ。だが、ユラヌスの予想とは裏腹にジボドロッチは大気上層部をかすめるように飛び、木星の重力を利用しさらに加速した。太陽系脱出速度はとっくに越えている。もはや獣機が単体で追いつける速度ではない。
すでに肉眼で捉えられる距離ではない。それでも、それが飛び去った方向をユラヌスはどうしようもなく、どうすることもできずに見守るしかなかった。
「まって……」
呟きは空しく霧散し、ユラヌスはエヌベルユへの帰還進路をとった。
これこそが奇蹟である。
ラムリュアは生き延びた。いや、死ねなかったと言うべきか。
ユラヌスの追撃を振り切りエヌベルユから離れる生命船の中で、ラムリュアはかろうじて一命を取り止めた。半ばまで首を切断され中枢神経をズタズタにされ、それでも彼女は死ななかった。ジボドロッチは彼女を自分自身と接続し、生命維持装置とすることで甦生を行い、ラムリュアはそれに耐えた。
ラムリュアは死ねない。死ぬ訳にはいかない理由があった。
自らの使命を何も果たしていない。果たさずに終わりになどできなかった。ただ、リガルード『人』への憎悪が彼女を死の淵から救い、生きる意志を支えていた。その命の代償が首の傷と全身の機能障害である。もはや彼女はPsi能力無しでは普通に生きることもできない身体になってしまった。
『ボクはボクの為すべきを為すか……』
半ば途絶えた意識で最後に聞いた、ユラヌスの言葉を口にする。
一年が過ぎていた。
侵入禁止区域に放置されたステーションに隠れ住み、中央の追跡を逃れ、甦生した肉体をPsi能力で自在に動かせるようになるまで一年であった。またしても彼女には選べるだけの術と時間は残されていなかった。そして、またしてもかつてと同じ最後の手段を取らなければならなくなった。未来世界へと来る為にそうしたように、ここよりも過去の時間への時空ジャンプを決意したのである。
『リガルード『人』の『素因』を殺し、リガルード『人』を未来永劫、永遠に消滅させ、超未来で人類を解放し、ボクの復讐を果たし……、
――それでボクの戦いは終わる……』
軽く反動をつけ、できる限り整備したジボドロッチへ降下する。
『ごめん……。たぶん、あなたは死んでしまうけれど、謝って許されることでもないけれど、でも、ボクには他にどうしようもなくて……』
少女のようにジボドロッチに頬を寄せる。当然だが、ジボドロッチは何も答えず、何も返さない。
『行こうか、『素因』を消去しに……』
二度目の時空ジャンプである。ジボドロッチがそれに耐えられないことがラムリュアには分かっている。ジボドロッチは時空踏破に耐えられず彼女だけを過去へと送り、そこでラムリュアを復元させるエネルギーとなり消滅してしまう。
それでもやらねばならない。
他にどうしようもできないと思えたから。
「フォル姉様、行ってきまぁ〜す!」
「貴也も、そろそろ出かけないと遅刻しちゃうわよ〜」
朝の英荘に双子たちの声が響き渡る。
「もう、こんなところから叫ばないで、ちゃあんと部屋に行って起こしてあげればいいのに……貴也さんだって、その方が嬉しいんじゃないの?」
「ちゃあんと部屋に行って起こしたわよ。『目を覚ました』かどうかは知らないけど……」
「…………リア、それって、けっこうヒドイかも……」
「そう? ――じゃあ、行ってきま〜す」
元気のいい声と共に、セーラー風ワンピースのスカートを翻し、二人は駆けて行く。
天使と堕天使たちが英荘で暮らすようになって二週間近くが過ぎた。その間、全てが都合よく、よすぎるくらい順調に過ぎていった。ベルが言うにはフォルが神機の力でもって、自分たちが生活していく上で支障が出ないように、社会そのものに影響が出ない程度に状況を操作――変更したのだと言う。
ただ、英荘において『あること』を除いては。
「おはよう」
「おはようございます。貴也さん。双子たちの声で目が覚めました?」
共同リビングにいた四人のうち、朝食を用意するかたわらフォルが応える。そのフォルに貴也はしばし見とれてしまった。涼しげなブラウスにスカート、その上からエプロンに身を包み、朝食の用意をしてくれる。少し前までは考えもしなかった事態だ。
「ああ、うん。マリアが起こしに来た時にね。
――あの娘たちは、ここでの高校生活を楽しんでいるみたいだね」
「はい、とっても」
あの後、天使たちも堕天使たちも、行くところが無く、そろって英荘で暮らすことになり、クレアの指示で人と同じように振る舞っている。あの夜のように正装をまとっているのでは無く、普通の服に身を包んでいる。これらの大半はエインデベルが用意したものだ。
一七歳のベルとマリアは高校生ということで手続きを済ませ、貴也の通う大学の高等部に毎日通っている。双子たちがそうできるのもそうやって操作をしたからなのだ。
ミリも中等部への編入手続きを済ませているのだけれど、
「ミリ。ミリももうそろそろ中学校に通い始めてもいいんじゃないかな?
――せっかく手続きをしたんだから……」
「『せっかく』なんて言わないでよ! アタシが頼んだワケじゃないんだから」
『せっかく』と言われれば、まるで好意を無駄にしているように思ってしまう。少女らしいつっぱった自意識は、いっそ微笑ましいほどである。
それなのに、自分からそうしたのに気が咎め、あえて貴也とは目を合わそうとはせず、すたすたとソファの方へと歩く。
「あ、うん、そうだね……」
「アタシには人間の勉強なんて必要無いんだもん! 学校へなんか行かないわよ!」
獣機の中ではなく、英荘で暮らすようになったとはいえ、ミリはいまだに英荘という環境になじんでいない。
ぷん、とそっぽを向いてメルの隣に腰掛ける。
で、そのメルはなじんではいたけれど、毎日暇を持て余していた。
「ねえ、貴也〜、せっかくクレアさんも早起きしてるんだから、みんなでどこかへ遊びに行かない?」
「オレはこれから出かけるんです。ダメですよ」
それに貴也には学校もある。
「あぁん、残念……」
とりあえず、隣に座るミリの髪を三つ編みにしてみる。
「オレたちみたいに学校に行くとか、何かを習うとか、アルバイトでもしてみたらどうなんですか?」
「あたしはね、みんなの『お三時』のお菓子を作る係だもの。そんなことはできないの」
「係……? いや、係ならしょうがないですけど、それにみんなのって……三時にお菓子を食べられるのは、今ここにいる……」
当人のメル、同様に暇を持て余しているクレア。まだ学校に通っていないフォルとミリの四人、学校がある貴也と双子たちはいたりいなかったり。
「みんなでしょう? 貴也も食べたかったら三時までに帰っていらっしゃい」
この人にとってはクレアさえいれば幸せなのだろうか? と、思うくらいいつも行動を共にしている。
で、そのクレアはと言えば、近頃からいったい何をしているのか、徐々に夜型人間と化しつつある。夕刻から夜半過ぎあたりに出かけて行って、翌日の早朝から昼頃に帰って来ている。今朝はめずらしく早起きしているが、寝てないのか、それとも生活時間がずれ続けて元に戻ったのかもしれない。
「何よ、ワタシが早起きしているのがそんなにめずらしい?」
「…………いえ、そんなことないです」
「その、間はなに?」
知的な印象も与える切れ長の目をさらに細め、貴也を睨みつける。
「なんでもないです」
で、そのクレアは今二十二歳。『もう学生をする年じゃないから』と、英荘で毎日ブラブラしている。
「もう、失礼ねっ、ワタシは待機中なのよ」
優雅に足を組み変える。タイトスカートの下で膝が足の動きに合わせて波打つ。その優雅さに目を奪われつつも、すでに慣れつつある頭の中にへのッコミに嘆息した。
「それに、ベスティアリーダーたちがまた悪さをしないように、監視もしているんだから」
「『たち』って? 『また』って?
あたしは、リーダー・オブ・リーダーズ、『族長』なのよっ、
――それに、あたしはまだなんにもしていないもの」
メルキュールがお決まりのセリフを口にする。もっとも、例によってクレアは適当に受け流しているが。
「フン、なにさ――アタシたちが何かしちゃったら、クレアになんか止められないクセに」
「じゃあ、好きにしてごらんよ」
明らかに、ミリをからかって反応を楽しんでいる。
「もし、そんなことをしたら……」
「『したら』?」
興味津々にミリが促す。
「ワタシ、メルのことを大っ嫌いになってやるわ」
「やあん、クレアさん! そんなのひどいわよっ」
「ああ! もう勝手にやってなさいよっ!」
「あら、勝手にしてもいいの?」
勝ち誇ったように腕組みなどしてミリを見下ろす。
「……なによ?」
「アナタのせいでメルキュールは心に消えない傷を負うのよ。そして傷心のまま生きていくの。
――それもこれも、全てはアナタの勝手な行動のせいなのよ」
「――くっ……! 卑怯者!」
「あ、あの……クレアさん? 本気、なの……」
遠慮がちにメルが問いかける。部屋中の無言の視線がクレアに突き刺さる。
「もちろんミリをからかっているだけよ」
即答である。
すっかり呆れ果てて、ミリはまたもそっぽを向いてしまう。
その喧騒を全て遮断して、朝食の用意をするフォルシーニアは貴也と同じ二十歳。貴也が通う大学への編入手続きはもう済んでいるのだけれど、
「英荘のお家賃を、お支払いする代わりになるとは思えませんけれど、わたしは、ここの家事を受け持ちますから、『それ』は家事に慣れて余裕ができてからにいたします」
――と言う本人の言により、まだ大学へは通ってはいない。
「はい、貴也さん、朝食の用意ができましたよ、食べて行ってくださいね」
もちろん、貴也としてもそうしたかった。フォルシーニア手作りの朝食は、振り切るにはあまりにも甘美な誘惑に過ぎる。
「あ、うん……ごめん、もう行かないと遅刻しちゃうから、今朝はいいよ」
「…………そうなんですか……」
「あ、あの、フォル、時間が無いから食べないんだから、本当は食べてから行きたいんだからね……」
「はい」
にっこり笑うと、再びキッチンへ戻り、
「それでは、お弁当を作って、お昼までにはお届けしますね」
嬉しそうに、冷蔵庫から色々取り出している。一人暮らしの時からは考えられないくらい、食料品やその他が詰め込まれている。
「どうして、そんなにしてくれるの?」
この二週間ほど、誰に言われるでもなく彼女は英荘の掃除、洗濯、食事の仕度、と家事の全てを一手に引き受けている。
「だって、あなたは――」
「『素因』だから?」
静かに続くであろう言葉を、先回りして訊ねる。
――しかし――
「いえ、あの、貴也さんはここの大家さんですし、わたしたち、お家賃をお支払いできませんし、わたし、こういうのは得意ですし、貴也さんも喜んでくださいますし。あ、いえ、あの、だからべつに『素因』だからなんて……」
ぽろっと本音がこぼれて、頬に手を当てしどろもどろに言い訳を試みるが、ふと、自分の言葉に違和感を覚え、
「『素因』……?」
まったくの意外そうに貴也を見つめ、そして楽しそうに――
「そうなんですか?」
「そうだよ、フォル」
返事はリビングのクレアから返ってきた。
「そうだったんですか……?
――素敵――」
胸の前で両手を組み合わせ、すっかり夢見る瞳になっている。
「『素因』っていったい……」
今日まで、天使たちも、堕天使たちも、貴也の事を何度もそう呼んできたが、誰も明確な説明を与えはしなかった。
「完璧に『ベスティア』ではない人。
――そして、『新未来』の父――」
「その『ネオミック』って?」
「リガルード『神』の……」
「フォル。おしゃべりが過ぎるわよ」
横合いからクレアリデルの、咎める制止の声が入る。決して強い調子ではなかったが、たとえそれが誰であれ一切の反論を許さない絶対的な威圧感がこめられていた。そのあまりの強さに、決して天使を恐れないはずのミリネールまでもが無意識に竦み上がってしまった。
それでフォルシーニアは気付いた。自分がしゃべりすぎてしまったことに。
「すみませんっ、クレア姉様」
気まずい。
クレアもメルも視線を合わせようとせず、フォルもしゅんとしている。ミリだけはクレアリデルを畏怖するものの、事態が理解できずにきょとんとしているが。
間違いなく、彼女たちは何かを隠している。誰にも話すこともできない秘密を抱えている。が、だからと言って詮索はできない。だがそれは最初にベルに会った時から分かっていたことなのだ。あの時、ベルとマリアが言っていたように、いつか話す時が来るというのなら、いつか全てを話せるというのなら『その日』まで無理に聞き出すことは貴也にはできなかった。
「じゃあ、オレ――行くね」
だから今はこれでいい。
「はい、行ってらっしゃ〜い――」
いつものようににこやかに送り出してくれるフォルシーニア。この平穏な日々が続くのならこのままでいい。貴也はそんな風に思っていた。
午前中の授業が全て終わったことを告げる鐘が鳴り響く。
――いいよね、あの鐘は、授業の終わりを告げるだけでいいんだから。
ここは、ベルたちが通う私立第二聖城学園の高等部。
風に乗り届く古風な鐘の音に、なんとはなしに耳を傾けながら、そんな取り止めのないことを考えていた。
自然とため息がもれる。
「どうしたの、ベルちゃん? 昼間からため息なんかついて?」
と、一人の女生徒が声をかけてきた。
クラスメイトの御門光。転入してきて、最初にできた友達だ。
「かわいい顔が台無しよ?」
からかい半分、そう言って微笑むのだけれど、彼女のどこか空虚さが漂う笑みはあまり好きにはなれない。それ以外のところではかなり波長が合うのだけれど。
彼女はベルの隣の席まで来ると、誰もいない椅子にではなく、机の上に腰掛けた。さらに制服のミニスカートも気にせずひょいと足を組む。両手を後ろにつき軽く身体を伸ばした。
「……パンツ見えるし、お行儀も悪いわ」
いつものセリフをいつものように口にする。光にとってもそれはすでに慣れたもの。最初の頃は礼儀作法とかにうるさいんだなとか思っていたけれど今はまるで気にならない。ちらりとベルを見やると少し肩をすくめ、素直に机から下り、椅子に座りなおした。それを見るたびにベルは、だったら最初から椅子に座るようにすればいいのにとか思うが、最近はベルのその言葉を訊きたくてそうしているのではないかと、それがだんだんと分かってきた。
言葉が途切れる。互いが口を開くのを待っているような沈黙。
光は教室の一角で楽しそうに話している、何人かの生徒たちを見つめている。ベルもそれに気付き、彼女の視線を追えば、その先にいたのは、
――リア。
すっかりクラスメイトに打ち解けている。
「……リアちゃんて、変わったよね」
不意に光が口を開いた。
「ほんの十日ぐらいだったかしら? 二人が転校してきたのは。あの時は人見知りが激しくて、ずーっとベルちゃんの後ろに隠れるようにしてたじゃない? それが最近はすっかり変わっちゃって……」
その時のことを思い出したのか、口元がほころび、くすくす笑いがもれる。
「いいことじゃない」
「まあ……ね。でも、ベルちゃんがさっきからため息ばかりついてるのって、リアちゃんのこともあるでしょう?」
ゆっくりとベルは光を振り向いた。その表情はいつもと変わらない。まっすぐに先のことを見据えてはいても、どこか空虚さが漂う瞳。ふとベルは何の脈絡も無く思った。彼女は限り無く『素因』に近くても『素因』では有りえない。それはすでに確かめた。なぜなら、自分自身の将来を重要視していないからだ。はっきり言えばどうでもいいとさえ思っている。だが、こうも考えられる。先のことを――未来のことを見据えているからこそ、彼女は自分自身の将来について何も考えずにいるのではないかと。ただ、流されているだけではないかと。
「どうしてリアが……?」
「なんとなくだけどね、リアちゃんて、ずいぶん綺麗になったと思わない?」
「え、う……ん」
はぐらかされたような言い様に、曖昧に相槌をうつ。
「女の子はね、人を好きになったらその分だけ綺麗になれるのよ」
そう言う光の横顔は、同性のベルから見ても見惚れてしまうほどに美しい。
「光さんも好きな人いるのよね。でも、光さんの好きな人って……」
めずらしく言い淀むベルの言い様に、少しだけ首を傾げて光は言った。
「玲のこと? 知ってるわよ、ベルちゃんがあいつのこと好きになれないの。でもね、あたしはあいつが好きなの。これは誰にも止められないことなのよ」
「でも、あの人は……!」
『ベスティアだから』と言いかけてベルは思い止まった。彼女の好きな人と言うのは、限り無くベスティアに近い、あとほんの一押しすればベスティアになってしまう。その時、光までベスティアに変えてしまうのではないかと、そんな人なのだ。
どう続けるべきか迷っていると、彼女はそれを違う意味にとっていた。
「ベルちゃんがどうしてあいつを嫌うのか、正直、あたしには分からないわ」
七月。夏というには季節はずれのような、まるで五月のように涼しげな風が彼女らの頬を撫でていく。風に乗りグラウンドからは生徒たちの声も聞こえる。さらに遠くの様々な音や声を彼女らの耳に届けている。視線の先では、まだリアたちがおしゃべりに興じている。取り止めのない、この二人にとっては本当に他愛のない話を、心から楽しそうに話している。見ているだけでほほえましいような、どこか羨ましいような、そんな光景。
「でもね……」
唐突に光が口を開いた。
「でもね、エインデベル、人を好きになることに理由なんかいらないのよ。好きだと思えること、それを好きって言うのよ」
恐ろしく真剣な口調で言う。
「うん……」
考え込むようにかすかに頷く。が、本当はベルにはまだそれはよく分からない。
リアを守りたいと思うこと。フォルシーニアを敬愛しているということ。クレアリデルにたぶん守られているということ。そういったこととは確かに違う、たった一人の誰かに対する『好き』。さらにその先にある『愛してる』。具体的に誰か特定の顔が浮かんでくる訳でもない。考えても考えても思い浮かぶのは英荘の住人だけ。
――よく……分からない。
それでも、頷くしかなかった。光がいつものように愛称ではなく、『エインデベル』と名前で呼んだから、これが二人の友情の証だから、だからベルは頷くしかできなかった。
と、いきなりくすりと笑うと、勢いよく光は立ち上がった。
「ほんと、ベルちゃんて真面目ねえ。
――大丈夫よ、いつかきっと、分かるから」
そう言うと彼女は腕組みなどをして、無意味に感心している。
「さて、そろそろ食堂に行きましょうか、ちょうど彼も来たことだし」
振り返ればそこには、光の相思相愛の想い人、橘玲が歩いて来るところだった。
「待ったか?」
「おっそ〜い! ずいぶん待ったよ! ……と言いたいところだけれど、おかげでベルちゃんとゆっくり話ができたから、特別によしとしてあげるわ」
「そうか」
二人の対比が面白いくらいに、彼はいつも言葉足らずだ。だが、光にはそれで充分らしい。年季のいった夫婦のように、ただ一言だけで通じ合うこともある。
「じゃ、そう言うわけで、ベルちゃん、お昼行きましょうか」
「あ、でも、あたしリアと……」
誘ってもらえるのは嬉しいけれど、さすがにリアを置いて一人では行けない。
「リアちゃんなら、先にみんなと行っちゃったわよ?」
「…………え」
あわてて見回せば、さっきまでは確かにいたはずのリアたちの姿はもう見えない。
「ほんとだ……いつのまに……」
「いつのまにって、さっき、ちゃあんと声かけていったわよ?」
ねえ、と傍らの玲を振り返る。
「ああ、確かに、『先に行く』と声をかけていったぜ。
――気が付かなかったのか?」
ベルはこくこくと首を縦に振る。
二人はしょうがないとでも言うように、顔を見合わせると、同時に肩をすくめた。
「それじゃあ、食堂行きましょうか。リアちゃんもきっといるだろうし」
三人は連れ立って学生食堂にやって来たものの、だが、予想に反してそこにリアの姿はなかった。
「変ねえ……先に行くって言うからここだと思ったんだけど……ねえ、玲?」
「ああ、いないな……」
ベルもぐるりと見回す。床面積だけなら体育館に迫るくらいのスペースを使ったそこはかなり広大だが、極力柱などは取り払ってあるため、広さに見合うほどに見通しもいい。それにリアはかなり目立つはずである。それなのに見つけられない。
「ん――…、こんなにたくさんいるんだから、たった一人が見つかってもよさそうなのに……ねえ?」
「こんなにたくさんいるから、探したりするのが大変だと思うんだけど……」
「それはともかく、ここにいないとすれば……橋の方か……」
「橋って?」
普段は学食か、フォルシーニアお手製のお弁当ですましているベルは、何か場違いな単語が聞こえたようで念の為に訊き返してみる。が、二人はいまさら何を言ってるんだか、とでも言うように顔を見合わせたが、やがて玲が納得したように、ぽんと手を打つと言った。
「ああ、そうか、転校してきたばかりだったな」
「ヴェッキオ通りって言ってね、お料理研究会とか生徒会の一部勢力とか――有志の生徒なんだけどね、その人たちがやっている、レストランとか食堂とか定食屋さんとか喫茶店とか、そうゆうのの集まってる一角のことなのよ」
ここぞとばかりにいつものように、指揮者のごとく人差し指をふりふりしながら解説する。
「大学部の方の連中もサークル活動の一環とか言ってそれに乗っててな、ちょっとした商店街なみなんだが、それが全部でっかい橋の上にあるのさ。で、フィレンツェの名所にちなんで、通称『ヴェッキオ通り』ってことだ」
先頭を行くのは光。ベルはそのすぐ横。玲は光から二、三歩後れている。歩きながら交互に説明しているので、二人の言葉に挟まれているような感じがしていた。
「それで、どこにあるの?」
「ん? ああ、そら見えてきたぜ。偉大――かどうかはともかく、先人の血と汗と意地と趣味の結晶だ」
「しゅみ?」
にわかには信じられない光景だった。それは確かに頑丈な橋だった。いや、よくよく注意して見なければ、その下にある防火用水の貯め池がなければ、そこが橋の上だと見逃してしまいそうだった。その上に商店街でも持ってきたように、とても学校の敷地内とは思えないような、食べ物屋が無節操に軒を連ねていた。そんな場所だった。
本来ならこういったものは、営利活動として許可されないのだが、海外からの交換留学生が多く、異文化との交流、あるいは学生同士の親睦を深めるということで、クラブ、あるいはサークル活動の一環として学校側の許可を取りつければ、特別に認められていた。中には社会科や奉仕活動の単位として認められている物さえあると言う。
で、それを前にしてベルは圧倒されていた。
ここが日本の一地方都市だということが信じられない光景だった。
その多様性である。
商店街にあるような定食屋やファミレス、喫茶店のような建物が軒を連ねているのは分かる。が、少し視線を転じれば、怪しげというか、あからさまに怪しい露店が延々と続いていたりするし、その隣に高級レストランっぽい建物が当たり前に建っていたりする。民族料理を饗する専門店らしき店もあれば、空きスペースに陣取ってその場で獲ってきた食材を料理している者もいる。
「うわ〜、ここの学校って凄いのね、こんなのあたし見たことなかったわ」
「え、え〜と、念のため、どこの学校もそうだと思わないでね、ここが特別なだけだから」
「……異常とも言うがな」
玲のいらないツッコミ。
「さて、見ててもしょうがないし……行くか!」
「そうね。――ベルちゃんも早く!」
二人は早速並んで歩き出す。だが、ベルはその時ある重要なことに気付いていた。気付いてしまった。
「……ここからリアを探すの……?」
二人の足が同時に止まった。
いや、凍りついた。
ぎぎぎぎ……っ、と、錆びた蝶番を無理矢理開くような、そんなイヤな音でも聞こえそうなくらいぎこちない動作で同時に振り返った。ベルを見つめ、それから顔を見合わせると、さらにゆっくりとした動作で通りを見回した。
広い。
とことん広い。
一つきりの中央食堂の比ではない。
おまけに昼時だから、高等部はもとより、大学部や中等部の生徒まで利用しに来ているのだ。その混雑ぐあいはハンパではない。しかも、この中から特定のたった一人を探そうというのだ。
「しまったあ……! これは、ちょっと計算外かも……」
「迂闊だったな……こんなに人が集まっているとは……」
「あの……お昼休みだから、当然だと思うんだけど……」
玲と光は頭を抱えたり、無意味にうろうろしたりしているし、ベルはベルで、あまりの広さと人の多さに圧倒されている。
「……とまあ、現実逃避しててもしょうがないし、とりあえず探すか」
「そうね、片っ端からお店覗いて行けば、どこかで見つかるでしょう」
あっさり立ち直った。
ベルが思わず呆れて、それから吹き出してしまうくらいにあっさり立ち直った。
「ま、失礼ね」
腰に手をあて、ちょっと怒ったように光は言う。
「今悩んだって仕方ないからな」
さらりと玲はそう言ってのける。
「……でも笑うのはひどいと思う。――だいたい、ベルちゃんには人のこと言えないと思うよ」
光には、すっかり見切られている。微笑みを返し肩をすくめた。
「行こうぜ」
振り返ったままの玲が言う。
「行きましょう」
光が手を差しのべる。
この時、ベルにはなんとなく分かった。この二人は本当にお互いを必要としているのだ。友人のように、兄妹のように、恋人のように、お互いがお互いを必要な存在としているのだ。だからこそ、光は『素因』ではありえないのだ。同時に玲もベスティアになってしまうこともない。光の存在が玲をベスティアに変えることを引き止め、玲の存在が光を『素因』にはせずにいるのだ。二人にとってはどちらが欠けても駄目なのだ。比翼の鳥のように、背中合わせのりんごのように、生まれる前に別れた双子のように、二人一緒でなければならないのだ。
『素因』であること。
ベスティアであること。
普通の人であること。
何か、重大なことに手が届きそうな気がした。
人類の本質。自分自身の『お役目』。
重大な何かを見落としている。そんな気がしてならなかった。
だが、ベルがそれに気付くのはさらに未来のことである。
――今はただ、この日のために……。
彼女は気付いただろうか? これこそがクレアリデルが求めてやまないものなのだ。ただその為に奔走し、反発し、本心を隠し続ける。ただ、そのことを願いながら……。
ベルは二人を追って、駆け出した。
いきるものはいきるもの
うららかな午後の陽射しの下、貴也の通う大学部の構内を、お弁当を提げたフォルとミリが歩いている。
――どうしてアタシが、こんな場所に来なくちゃならないのよ。
「外で食べると『おいしい』と言いますから――」
にこやかに、ミリの心の声に答えるフォル。
「わたしたちも、貴也さんと一緒にお昼をいただきましょう?」
「あんたが貴也と一緒にいたいからでしょうが」
「え……! わたし、そんな……」
「違うの?」
「…………違いません」
「ホントにどうして、アタシまで……」
言葉とともに軽くフォルシーニアを睨みため息をつく。その視線は彼女の両手首に注がれている。正確にはそこに着けている装飾品に。
「……ところであんた、なんでバロッキーだけまだ着けているのよ? ここでは人のように暮らすんじゃなかったの?」
フォルシーニアは困惑したようにバロッキーと、お弁当と、ミリネールと、中空と、せわしなく視線をさ迷わせ、そして再びバロッキーに視線を落とす。黄金色と白銀色のそれは複雑な、それでいて優美な曲線を描きながら両の手首を彩っている。
「ですが、これはクレア姉様と――――――――が決して外してはいけないと……」
「クレアリデルと誰だって?」
聞き取れず怪訝な表情を浮かべる。が、フォルシーニアもそれとまったく同じ顔で見つめ返す。
「ですから、クレア姉様と――――――――です」
「まって、よく聞こえなかったけど、もう一人誰かの名前を言ったわよね」
「……? わたし、クレア姉様の名前しか言っていませんが……」
「ウソ! もう一人誰かの名前を言ったじゃない! よく、聞こえなかったけど、それとも――まさか、アタシをからかってるんじゃないでしょうね!?」
「わたし、そんなこと……」
否定し、しょぼくれたフォルシーニアの意識をミリは思わず覗いてしまった。しかし、そこには彼女が期待した答は無かった。クレアリデルの名前しかなかった。腕を組みたっぷり考え込みそろそろ周囲の視線が気になりだした頃ミリは言った。
「いいわよ、もう。ほら、あれ貴也じゃないの。そのお弁当届けに来たんでしょ。さっさと行くわよ! それから、
……一応、今のはアタシが悪かったわよ……」
ため息もまじっていた。ソッポも向いていた。並んで歩いていればかろうじて聞き取れるくらいの声だった。おまけに話まで逸らしていた。しかしそのたった一言だけでフォルに笑顔が戻った。
「はい」
軽く貴也に手を振る。向こうもこちらを見付け、名を呼んでいる。
貴也としてもこの二人を探すのは実に容易なことだった。海外からの留学生や、いくつも飛び級をしている生徒が多いとはいえ、その容姿はあまりに目立ちすぎる存在だったから。
「おーい! フォル、ミリ」
名を呼ぶ貴也に手を振り返し、ずいぶんと大きなお弁当箱を提げて、小走りに駆け寄ってくる。と、ブラウスの上からでもはっきりと分かる豊かな双丘が上下に揺れ、何か目のやり場に困ってしまう。
「貴也さん、お待たせしました」
「いや、そんなには待っていないよ。でさ、フォル、あー、その……あまり人前で走ったリしない方がいいよ」
微妙にフォルから視線をそらし、歯切れ悪くぼそぼそと貴也。対するフォルはよく分かっていない。首を傾げたりしている。
「えー、その、つまり……」
「胸が揺れるからだって。大きいんだからしょうがないし、アタシもそう思うけど、素直に喜べばいいのに」
言いにくそうな貴也に代わって、あっさり言ってのけるミリ。
「胸……ですか?」
二人はそろって頷くが、やはりフォルはよく分かっていない。
「はあ……、あ、でも、貴也さんがお喜びになるのでしたらわたしも嬉しいです」
「ちょっと待ってフォル! オレは別に喜んでるわけじゃないぞ! そりゃ、全然嬉しく無いと言えば……」
「貴也うるさいわよ」
一方でフォルは落ち着いているというのに、一人取り乱す貴也をミリは一言で黙らせる。
「あの、貴也さん、お待たせしてしまいしたけれど、それで……、わたしたちも貴也さんとお昼をご一緒してもよろしいですか?」
「もちろんだよ、一緒に食べよう」
遠慮がちに言うフォルに、迷わず即答する。
「……まったく、最初から、その気できているクセに――」
ミリが不機嫌に、ぼそっと口にする。
「わたしが『その気』でいても、貴也さんの気持ちはわからないでしょう?」
微笑みミリに諭す。
「『人』の考えていることなんて、アタシたちには……」
「でも……『わたし』には、わからないんです」
ミリの言葉を遮り、顔を伏せる。その表情は分からない。
「そう言えば、今朝といい、さっきといい、貴也の考えてることが分からなかったみたいね……、どうしてよ?」
かすかな、ほんのわずかな不安から、語気は荒れ、フォルへと詰め寄る。
「アタシの心には答えるクセに!」
ついさっきも、フォルはミリの心の独り言に答えたのだ。
「わかりません……どうしてなのでしょう?」
「そんなこと――アタシに分かるハズないじゃない!」
だが、ミリには何かが引っ掛かっていた。漠然と感じ取ってはいたけれど、具体的に何がとは言えなかったが。
「さあ、その話はまたにして、お弁当を食べようよ」
不穏な空気を感じ取った貴也は、フォルから――意外に重い――お弁当一式を受け取ると、木陰にあるベンチの方へと二人を促した。
「そうですね」
「さあ、どうぞ召し上がれ」
「いただきま〜す」
うららかな午後の日差しの中、木陰でお弁当を広げて……まるで、
「な、なんだか……親子でピクニックにでも来ているみたいだね?」
ミリは怒るだろうけれど、照れ臭いのをガマンして思い切ってそう言ってみた。
予想通り、ミリがサンドウィッチを口に運ぶ手を止めて、貴也を睨みつける。
「……『親』と『子』ですか?」
しかし、フォルは怪訝な顔で、貴也を見つめ返し、それからミリに視線を移すとかすかに首を傾げ、最後に自分を指すように胸に手を当てた。そのフォルに貴也はしっかり頷いた。ミリはさらに怖い目つきで睨んでいたが。
「わたし……とても嬉しいですけれど、でもわたしにはそうすることが、『聖母』になることができませんから、ですから、あの……」
貴也もまた視線を返す。
「あ、あの……わたしはリアと違って、聖母にはなれないんです……。
――わたしの……わたしが授かっている『お役目』は……聖母になることではありませんもの」
フォルの声に、湿った何かが混じりそうになる。
「第三天使、アンタの『お役目』は……」
ミリが言いかけた、その瞬間、グラウンドに閃光が迸った。
「いったい何なのよ!」
大気を鳴動させ、大地を巨大なすり鉢状に穿った巨人のような光は、出現と同時に細かな粒子へと分解し一点へと収束する。そこに材質不明の身体にぴったりとした、ボディスーツを身に着けた女性が立っていた。スーツは当然、装甲として身に着けているのだろうが、それ自体いくぶん薄手であり、見て分かるほどの装甲も肩や手足に申し訳程度にあるだけで、実用性を疑わせるほどである。また、彼女自身のバランスの良いプロポーションもあってボディラインを強調するために身に着けているようでもある。その代わりと言うわけでもないだろうが、かぶっているヘルメットはかなり大ぶりで、バイザーまで下ろして素顔を完全に隠している。
「誰かいるぞ――」
「あの娘は……」
『ありがとう。ボクをちゃんと送り届けてくれて』
貴也たちが見守る中、彼女は日の光を浴びるように軽くおとがいを持ち上げる。見ようによっては悲しみをこらえているようでもあった。
『ここが『Ember』の……『人類』の基星か――』
誰にともなく呟く彼女の声は、硬く研ぎ澄まされ、水晶か銀細工のように美しいが――どこか悲しい。
「いったい誰なのよ……? こんな所にレヴィ・アウトして来るなんて」
自分たちのように堕天使の誰が降臨したのだろうかと、ミリは今、目醒めている堕天使たちの顔を思い浮かべる。だが、自分以外にこれほどまでの直接行動に出る者は誰も思いつかない。そんなことを考えていると、ふと、おかしなことに気付いた。仮に天界から地上まで直接レヴィテイションしたのだとしても残留エネルギーから計算する使用エネルギー量があまりに多過ぎる。それに通常のレヴィテイションなら転移の衝撃でクレーターができたりはしない。
この現象にミリはようやく思い当たった。
「……いえ、違うわ、時を……時空を越えてきたの……?」
彼女が動く。
バイザーで隠された視線の動きは見えない。
『『素因』は……そこか?』
窪みから上がると、ふと、見覚えのあるミリに気付き彼女は足を止めた。
『『Lalka』……か、
――っ! アンタは〈フリーランサー〉の……!』
「フリー……? 何言ってるの、アタシはベスティアリーダーよ!」
『……ベスティアリーダー?』
一語一語、ゆっくりと発音を確かめるように呟く。
『そうか……ここでは――まだ、そう呼ばれているんだっけ』
――当たり前か、過去へ来たんだから、ボクが出会う前のあの娘がいたって不思議じゃないか。
『――まあいい。――ボクはボクの為すべきを為す』
ミリへと聞かせるように一人納得すると、重力崩壊場をレーザーブレードのように収束発生させる。
――今なら、ボクの方が強い!
『アンタも、『素因』もアンタたちも、跡形もなく消し去ってやるっ』
そのやり取りの間、フォルシーニアは、ミリと彼女のやり取りを、と言うよりも重力崩壊場安定機を信じられない物でも見たかのように、じっと蒼ざめた顔で見つめていた。
「どうしたの? フォル」
貴也の声でも、少しも不安は消え去らない。
そう、重力崩壊場を創れるのはベルだけなのだ。他の誰にも――少なくとも、フォルの知る限り、天使にも堕天使にもそれができる者は存在しないはずなのだ。
それなのに――
「どうしてあの娘が、重力崩壊場を――」
ゆらりとフォルが動く。
「『素因』を、『わたし』――守らなくては――」
フォルシーニアの瞳が、またしても真紅に変わる。
「来おいっ、エルメスフェネック!」
そんなフォルシーニアなどおかまい無しに、ミリが獣機を呼び出す。
「ミリネール! 獣機を呼んではダメ!」
それを普段からは想像もできないほど、高圧的に威圧でもって制止するフォルシーニア。
『『Lalka』が何をしようとムダなことだ……』
だが、その制止は二重に一歩遅い、ミリの傍らに、エルメスフェネックがレヴィ・アウトして来る。
「敵はアイツよ――エルメスフェネック!」
もとよりミリはフォルシーニアの制止など聞くつもりは無いのだ。その女性を指差し獣機に命令を下す。
が、彼女は動揺さえ見せず、
『だから――』
重力崩壊場を手に、一気に間合いをつめる!
『ムダだと言ってる!』
一体何をどうしたのか、一瞬でエルメスフェネックを撃破、爆発四散させる!
「キャアッ!」
エルメスフェネックを陽動に背後へと回り込んだミリは、至近距離でその衝撃波をまともに受けたのだが、フォルシーニアが防御結界で守る。
貴也にもその爆風は襲いかかる。が、とっさに両手でその身を庇った彼の直前で、衝撃波は貴也を避けるように駆け抜けた。
マリアである。
突然レヴィ・アウトして来たマリアの創った結界であった。
「貴也が心配で来ちゃった」
「マ……マリア? 来ちゃったって?」
当然だが彼にすれば戸惑いを隠せない。誰もいなかったはずなのに、いきなりマリアが現れたのだから。
「レヴィテイション――Psi能力の一つよ。アタシ――貴也には焦点を合わせられるから」
そうすることで、周囲の状況や障害、時には距離にさえ左右されることなく、安全に確実に移動することができるのだ。
例えば、先に地上へ降りて来ていたベルは、そうしておくことで、地上と静止軌道上のステーションを、ダイレクトに行き来していた。
視線をグラウンドに向けると、半透明な円錐の中でエルメスフェネックが誘爆を続けている。
「もう大丈夫――フォル姉さんが『護符』で結界を創ったから」
衝撃波も、音さえも完全に遮断され届かない。空間そのものを遮断する、まさに結界である。よくよく見れば、正装の肩当てから宝石がいくつか消えている。
「『わたし』が、もっと早く『護符』を使えばよかったんですけれど――
――大丈夫ですか、ミリネール?」
「第三天使――」
さっきまでとは違う、姿は同じでも、何かが確実に違う。
「――あ、アンタ、また……瞳が紅い?」
あの夜、フォルシーニアが地上へと降り立った時と同様に今も瞳の色が紅く変化している。
ふと、その口元が緩む。誘爆するエルメスフェネックを前にその場には似つかわしくないほど穏やかに。『彼女』もまた、いつか消えてしまう自分の存在を、可愛い堕天使に覚えていてもらいたかった。
「『わたし』の名前は――フォルシーニア・サダルメルク・ルクヴァ――『王の幸運の星』という意味よ」
違う。
確かにミドルネームが違う。
これまでに、二度自己紹介を聞いたが、そのどれとも違う。
「あの獣機は、クレアリデルに頼めば、きっと『再生』してもらえます」
「『アンタ』は――クレアのことを呼び捨てにするの?
――いつもは――
――『アンタ』誰なの?」
これまで、ずっとわだかまっていた、フォルシーニアへの不信と疑問。背中を言い知れぬ戦慄が走る。訊くことに底知れぬ恐怖を感じる。それでも問わずにはいられない。その全てをぶつける。が、彼女は弱々しく首を振り、
「『フォルシーニア』はバラバラ――
……たぶん『わたし』は――あなたが嫌っている『第三天使』――」
切なく、悲しみに満ち満ちている『フォルシーニア』。
だが、そんなことなどまるでおかまい無しに、すでに残骸と化したエルメスフェネックとそれをいまだに包み込む結界を回り、さっきの人物が二人の前に現れる。ゆっくりとした足取りで歩を進めるが、決して近付き過ぎたりはしない。
『アナタが、そうなのか? 基星を――この地球を崩壊させたことのある……、あの『Lalka』なのか?』
『素因』と他にもいる『Lalka』も気になるが、防御結界を創り出した手並みからすれば彼女が一番手強い。戦士としての幾多の戦場をくぐり抜けてきた経験からそう判断し、意識の大半を彼女へ割く。
――それでも、彼女が聞いてきた通りの能力を持っていたら、ボクなんかじゃとても太刀打ちできないか。
彼女は覚悟を決めるかのように、あるかなしかの微笑を浮かべる。
――ままよ。か……。
すでにここへと辿り着けたことが奇蹟なのだ。
が、それはそれとして、相手の能力と状況を冷静に判断する。どうやら、その防御結界は空間を遮断できるようだ。易々と破れそうにない。
――それならそれでやりようがある、か――
遮断されている空間を破る方法は多くは無いとはいえ、彼女もその手段のうち、いくつかは知っているし、実行できる手もある。それらを思い浮かべながら、不用意に近付かずに、じりじりと間合いを計る。
「あなたは……誰――?」
自分に向けられる敵意をさらりと受け流し、『フォルシーニア』はミリや他のみんなを庇い、前に出る。
こちらはその女性の慎重さとは違い、無造作とも言える動きだ。
『ボクは、ラムリュア――
――リガルード『人』とおんなじ世界からやって来た者よ――』
気圧されることなく答える。
「それじゃあ……超古代から?」
貴也の側から離れずに、つい、マリアが訊ねる。
『『超未来』から、よ――』
『フォルシーニア』から視線をそらさずに訂正する。
「――『超未来』? それってどうゆうこと――」
原始地球が生まれるより以前――天使も堕天使も、その時から最後の審判の為に、眠り続けていたことになっている。
少なくとも、ミリたちはそう信じている。
『アンタは、アンタたちは――何も知らないのか? 自分たちがどこで生まれたのかも、いつからいたのかも――何も知らないのかい?』
意外だと言わんばかりに、一同を見回す。
そして、会話に乗ってきたのなら、それで不意をつけないかと『フォルシーニア』の様子を窺うが、そんなに甘い相手ではない。あきらかな動揺を見せる二人の『Lalka』とは違い表情さえ変えずにいる。
「――メル姉ちゃんだったら、きっと知ってるもんっ」
無反応の『フォルシーニア』、言葉に詰まるリアや展開について行けない貴也をよそに、ミリがムキになって反論する。
ラムリュアには、そうやってムキになる姿はなんだか可笑しくて、つい、笑みがこぼれてしまう。
『それじゃあ――『教えてもらわなかった』だけなんだ?』
今はまだ何も知らない、一途で純粋なこの娘に、全てを教えたくなった。
『聖地エヌベルユの巫女が、そのワザをもって『超未来』に生み出したモノこそがリガルード『人』と呼ぶ存在であり、そして、そのリガルード『人』が『傀儡』として過去に――この時空の始まりに送りこんだ存在。それこそがアンタたちが創造主だと信じるリガルード『神』だということを――』
「……それって――アタシたちも『超未来』で生まれたということ? それに、リガルード『神』が『傀儡』ってどうゆうことよ!」
彼女は口を開きかけたが、しかし、ミリの言葉には答えずに、『フォルシーニア』を気にしながらも、虚空を睨み身構える。
『また、――『Lalka』が来る!』
――時間をかけ過ぎたか!
舌打ちしながら、『フォルシーニア』から大きく間合いを取る。接近する『Lalka』がすでに神機に乗っていると知ると即座にシールドを展開する。さすがに重力攻撃は防げないが、通常兵器ならこれでほとんど無効化できる。
出番を待っていたかのようなレオニスが、遠距離から砲撃しながら接近する!
『そんなの、ボクにはムダなのに――』
そのことごとくを、回避し、シールドで防ぐ。
「あとは、おまかせ――」
さらに砲撃を加え攪乱し、一気に間合いを詰める!
「観念なさい!」
相手がシールドを展開していると見ると、しかもそれが容易に破れないと知るや、砲撃の全てを陽動と目眩ましとして、至近距離へとレヴィ・アウトし、予備動作無しで対装甲用エネルギー弾を撃ち込む。
接近する神機が――目の前に現れた神機がレオニスだと知り、ラムリュアの反応が一瞬遅れた。その一瞬が明暗を分けた。かわしきれず、かろうじてシールドは張ったが、出力が弱すぎる。一撃目は拡散させるが、続けて撃ち込まれる二撃目は防ぎきれずにシールドを貫通し、減衰し拡散させたとはいえ咄嗟に直撃を庇ったプロテクターを粉々に粉砕し、ラムリュアを地面に叩きつけていた。
『……しまった……!』
すかさずベルは神機を降り、ラムリュアと名乗った彼女の目の前にレヴィ・アウトし、彼女が使った物とまったく同じ、重力崩壊場のレーザーブレードを胸元に突き付ける!
「あなただけじゃないのよっ、重力崩壊場を創れるのは!」
普段の少女趣味からは想像すらもできないほど、好戦的に彼女を睨みつける。
その視線を恐れることなく正面から受け止め、彼女は言った。
『……あと、たったの一センチ、重力崩壊場の安定器をこちらに差し出せばいい――そうすれば、触れなくたって、ボクは生き終わるんだから――』
その通りなのだ。ただそれだけで、彼女を構成する分子の結合を消し去り、ラムリュアと名乗った存在を血の色をした原始スープに還元することができる。それは彼女にも分かっていた。そうでなければ重力崩壊場を使えはしないのだ。
――ここまで……かな……。
ふと、過去のことが思い出される。こうなってしまうことも予測して、覚悟もしていたはずなのに、それでも恐怖してしまうのが自分でも可笑しい。遺言のままに戦いを続けここまでやって来たが、しかし、相手がエインデベルであれば、もはや勝ち目は無い。彼女の手にかかるのなら――悪意に満ちてはいても――運命的とさえ言える。
「それで――かまわないの?」
『心残りはあるよ。でも、ボクの戦いはどこで終わってもいいから』
「だったら独りでどこかにじっとしていらっしゃいよ! 誰も傷つけず、誰とも戦わず、どこへも行かずにね!」
ベルは彼女を睨みつける。
「生きている者はね、生きなきゃならないのよ!」
引くに引けないのは自分でも分かってはいるが、許せないのだ。生きている者は生きている限り生き続けなければならない。それなのに、どこで終わっても同じだとでも言うように、生きることを放棄するその考えは我慢できなかった。
『ボクだって、ここで戦いを終わらせるわけにはいかないよ。でも……』
決意した何も果たせずに終わってしまうのは悔しいが、見上げる先にはエインデベルが、その背後には神機レオニス。
――あなたが立ち塞がるなら、
『ボクの戦いはここで終わりみたいだから……』
その答えにベルは、我を忘れて絶叫した。
「あなただって! あなたにだって帰る場所や待っている人だっているでしょう!!」
このあたりが潮時――だろうか? あまりの展開に、かえって貴也は冷静でいられた。
ベルにはトドメはさせない。
側から見て分かるほどにベルは、迷い、躊躇っている。
「ベル! もう止めなよ!」
「貴也さん? でも、あたし……」
ラムリュアを睨む視線の強さは変わらず、しかし、いくら貴也の言葉でもこれは引けなかった。
貴也を振り返る『フォルシーニア』。真意を見透かすようなその瞳はやはり紅い。
「そうですね」
違和感が貴也の中に生まれる。彼がそれを口にするより早く、彼女はにっこりと、安心したように微笑むと、正装をひるがえし、
「エインデベル! おやめなさい!」
ベルに制止を命じた。
「もういいでしょう? この娘は、あなたが本気になるべき相手ではないんだもの」
「はい、フォル姉様――」
優しく、ベルの手をおさえ、
「でも……来てくれてありがとう、エインデベル――おかげでアクエリュースを呼ばずにすみました」
「あの娘って……まさか、フォル姉様は……アクエリュースを、ここに呼ぶおつもりだったの?」
「そうですよ」
あっさりと言ってのける。『彼女』が冗談を言うはずもない。
「あの、フォル姉様――
ここで、アクエリュースのワザを使ったりすると――この街が無くなっちゃうと思うんですけれど……」
「『わたし』は、たとえ、そうなろうと――『素因』を守るつもりです。
――『わたしたち』のリアムローダのために――」
その真紅の瞳に曇りは一点もない。もしエインデベルが来なければ、本当にこの街を消滅させてでも、ラムリュアから『素因』を守っただろう。
『素因』を守る。
それはエインデベルの望みでもあった。
だから、それを言う『フォルシーニア』を消極的にしか否定できなかった。
「でも、強くなりましたね、エインデベル」
「えっ……そんなこと……でも、まだまだです。この前は、ミリちゃんにも不覚を取っちゃたし……あたしは、まだフォル姉様のようには……」
「エインデベルが……『わたし』のようになる必要はありません。
――可哀想な娘は一人で十分……」
「フォル姉様? ご自身のことでしょう?」
訝しげに問うベルをやんわりと受け流す。
「……そうでしたね」
『ボクの、帰る場所……待っている人、か――』
――どっちもボクにはもう無い……。血塗られたボクには本当は生きる価値も無いのかもしれないけど……。
ようやく、開放されたラムリュアが、嬉しさとも、哀しさとも、喜びとも、怒りとも、憎悪ともつかない、複雑な表情でエインデベルを見つめる。
「あなた……?」
『そんなふうに言ってくれるなら、ボクは、もう少し生きてみるよ』
――これが運命なら、皮肉と悪意に満ちているけどね……。
バイザーを上げたその素顔は、どこかベルに似ていた。
さんさんと、陽光降り注ぐ午後の陽射しの下、中庭のテラスへと場所を移し、貴也たちはお弁当を広げていた。
「それでは、みんなでお昼をいただきましょう」
「『みんな』って――いったい、誰と誰と誰と誰と誰のことよ!」
「……アタシとベルも、入っているわよね?」
「う、うん……」
自信なさげにベルが頷く。
『お嬢ちゃん――ボクの分の『誰』が足りないよ』
「何でアンタが『みんな』に入るのよ! だいたい、アタシのことを気安くお嬢ちゃんなんて呼ばないで!」
「よかった。アタシたちは入ってるみたいね」
「わたしもです。『みんな』の分も、ちゃあんとありますもの――『みんな』でいただきましょうね」
例によって、マイペースに微笑んでいるフォルシーニア。
「あの……このままここで……?」
だが、貴也はもう少し現実的だ。
そうなのだ、すっかりピクニックの準備が整っているが、周囲はさっきの戦闘でかなり悲惨な状況になっている。エルメスフェネックの爆発した跡には、すり鉢状のクレーターができあがっているし、その中には擱坐したままのエルメスフェネックもいる。さらにそこかしこにレオニスの砲撃による弾痕が残ってもいるのだ。
さすがに、破壊の跡も生々しい、周囲の様子を気にする貴也にフォルも気付き、
「あとでクレア姉様にお願いして辺りを再生してもらえば大丈夫ですよ」
「ついでに、情報操作とか記憶操作もクレアにさせた方がいいんじゃない? ぜったい、あとで騒ぎになるわよ」
『お嬢ちゃん、もう、なってるんじゃないかな?』
「お嬢ちゃんて呼ぶなって言ったでしょうが! だいたいなにもかもアンタのせいでしょうが!」
「では、それもクレア姉様にお願いすることにいたしますね」
具体的には先日フォルが行った状況の操作と同じである。それでこの事件は無かったことになる。
そのまま、なしくずし的に、ラムリュアもまじえたピクニックへと突入する。
「ところでフォル。どうしてこんなにたくさんのお弁当を作ってきたんだい? 三人分にしても多過ぎると思うんだけど」
食べる手を止めずに貴也が、当然の疑問を口にする。
「そうよね……アタシたちが来たからちょうどいいけど、ちょっと……」
「あ! フォル姉様、あたしたちも呼ぶおつもリだったんでしょう?」
ぽんと手を打ち、大量の重箱を示すベルに、フォルはかすかに首を傾げ考え込むと、おもむろにベルがしたように手を打ち、
「そうですね。それは名案です」
「フォルシーニア?」
一同は形容しがたい反応で固まった。
当のフォルは微笑みをたやさぬまま、ゆっくりと語り出した。
「実は、作りすぎてしまったんです。――その、お米をたくさん研ぎ過ぎて、おむすびにしたんですけれど、そうするとおかずの種類もそれにあわせて増やさなくちゃいけませんし、ミリも誘うつもりでしから、サンドウィッチも詰めたほうがいいですし……、
そうしたら、いつのまにか……」
結果、この量となった訳である。
「あ、だったらクレアさんたちに残してくればよかったんじゃないの?」
「置いて来たわよ」
『え?』
ようやく落ち着き、こちらも食べる手を止めないミリの声に、貴也、ベル、リア、三人の反応が見事にハモった。
「メル姉ちゃんとクレアのお昼に残してきてこれなの」
「たくさん、食べてくださいね」
みんなは――ラムリュアまでもが、顔を見合わせため息をついた。
『あの……あのさ、さっきは止めさせてくれて、ありがとう』
そのラムリュアが、いきなり貴也の側に来てお礼を言う。
『おかげでボクは、生き終わらずにすんだよ。
――あんな時の……、あんな風なお姉――、ベルを止められるのは、たぶん、フォルだけだからね』
「まるで……知っているみたいな言い方だね?」
『そう……かな? そう思う?』
そう言って、貴也の顔をじっと覗き込む。
熱い視線で貴也を見つめていたかと思うと、今度はいたずらっぽく微笑み、すっと身を離し、
『あっ、そうだ! ボクのことは、これから『ラム』って呼んでよ』
「これから?」
訝しげに問い返す貴也に、当然のことのように答える。
『そうだよ。『これから』よろしくねっ』
「だから何でアンタまで当たり前のようにいるのよ!」
「えっと……『これからよろしく』っていうのは、行くところが無いから世話して欲しいって意味なのかな?」
『そっ、よろしくね』
そう言って、貴也にウィンク。
「アタシを無視するんじゃないわよ!」
「ミリ、そんなに大声を出して、それにお食事を途中で、お行儀が悪いですよ」
とりあえず、ラムを含めて全員が頷く。それがまた、ミリを激昂させた。特にラムがすでにとけ込んでいるあたりが。
「第三天使! それにリア姉ちゃん! 二人もなんとか言ったらどうなのよ。こいつは貴也を殺しに来たのよ!」
フォルとリアは顔を見合わせ、それからラムへと視線を移した。
「んー、でも、フォル姉さんが『もういい』って言ったから」
「第三天使!」
「彼女はそんな人ではありませんよ。それに、何かあればきっとわたしが貴也さんを守りますから」
ミリは、ヒステリックになにやら早口でまくし立て、凄い勢いでその場に腰を下ろした。
「まったく……、なんだってそんな簡単に信じられるのよ」
またしても、ミリを除く全員が顔を見合わせた。
『えっと……、お嬢ちゃんには、ボクは信用無い?』
「そうよ。それにお嬢ちゃんでもないわ」
「即答なんだ」
かすかにラムの表情が強ばった。その意味することろはミリにとっても明白である。だが、だからといって、ついさっきまで命のやり取りをしていた相手をそう簡単に信じられない。
「でもミリ。信じられると感じた人を信じる。きっと、それだけのことなんだとオレは思うよ」
「アンタ……、恥ずかしげもなくよく言うわね……。ま、だから、『素因』なんだろうけど……」
「ねえ、ミリちゃん、でも、一番人を信じたかったのはあなたじゃなかったの?」
「それは、そうだけど……、でも……」
確信を突いたベルの言葉にミリは、貴也と、次いでラムへと複雑な表情のまま視線を送る。今まで自分が信じていたものと、目の前の現実が心の中で揺れ動く。
『お嬢ちゃんも『素因』が心配なんだね。好きとか?』
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!」
ミリネールの声無き叫び。
「アンタ! 今すぐさっきの決着つけるわよ!!」
『でも、今はまだ、ボクの方が強いから』
その一言でミリネールは我を失った。そして、二人は武器を手に対峙していた。
「お二人ともー、お食事の途中ですから、早めに切り上げるのですよー」
「いや、フォル、止めた方がいいと思うんだけど」
「大丈夫ですよ、貴也さん。二人とも本気ではありませんもの」
「そうかな〜?」
リアは首を捻りつつ、二人へと視線を移した。
レヴィテイションと高速移動で幻惑するミリネール。
重力崩壊器を手にしたラムリュア。
周囲にささやかながら破壊を撒き散らしつつ、どちらも持てるPsiを全開で戦っていた。
ちなみに、さっきの戦いでPsiも体力もかなり使っていた為、二人ともすぐに力尽きてしまった。
そんなうやむやの内に、英荘の住人が、また一人増えた。
クレア「いつの頃からか、何かが狂いはじめていた。
いつの頃からか、ワタシたちは未来を信じられなくなっていた。
いつの頃からか……、
ワタシたちの使命は、ワタシの願いへと変化していた」
メル 「そしてクレアリデルの心に安らぎを……。
次回、『始まりの朝』見てください」