幕間劇

 

   第一幕 幸福の住処

 

 

クレアリデルの思いつきから始まった、一泊二日の温泉旅行。

それも終わり、今は帰りの電車の中――

終わってしまった祭りを懐かしむような、どこかもの哀しいため息をメルキュールは漏らした。そのままシートに身を預ける。

ゴツン!

意外に景気のいい音がした。したたかに打ちつけた後頭部をさする。

「まあ、メルさん、大丈夫でしたか?」

「…………ちょっと、痛かったわ」

「あぁ、みせてください」

「へーきへーき。それより……ね、フォル」

辺りをはばかるように声を落としフォルの耳元に顔を寄せる。二人の間で静かな寝息をたてるミリがかすかに身じろぎをする。二人してそちらに視線を落とす。目を覚ます様子は無い。安らかな寝顔。いつまでも見つめていたい。いつまでもこんな顔でいてほしい。そう思わずにはいられない寝顔。

「フォルって、誰かを好きになりたいとか思わない?」

「……? わたし、みんなのことが好きですよ」

じれったそうにメルはため息をつき、

「そうじゃなくて、フォルって、男性に興味とかないの?」

「わたしの『お役目』は、『聖母』になることではありませんもの」

困ったように、フォルは笑って言った。

「別に『聖母』になんかならなくたって、特定の誰かに愛されたいとは思わない? 特定の誰か一人だけを愛したいって」

フォルに迫って、力説する。

メルキュールもまた、フォルシーニアを元の姿へと戻すことを考えているのだが、その手段がまったくと言っていいほど分かっていない。クレアリデルには言えないがそもそも元に戻るかどうかさえも分からないのだ。だから、せめてフォルには幸せになってほしかった。このままではクレアもフォルもいつまでも悲しみを背負い続けなければならない。それではあまりにつらすぎる。

「ね、恋の始まりに理由なんか無いのよ。その人を好きだと思うこと、それが愛しているということなのよ」

少しだけフォルシーニアの心が揺らいだ。何かが見えた気がした。

が、向かい合わせの四人掛けの座席にいるはずのクレアリデルが声だけで割って入る。

「メル、警告」

「……ちっ、クレアさんに聞かれていたか」

「聞こえなかったとでも思ったの」

そして、クレアリデルはこれ以上フォルを悲しませたくなかった。メルキュールの思惑通り、そこには確かな幸せもある。が、それでも幾度も裏切られるだろう、幾度も見限らなければならないだろう、幾度も傷つくだろう、だからクレアリデルは誰ともフォルを触れ合わさないように最後の審判の日まで――いや、『お役目』を遂行するその瞬間まで彼女を目覚めさせないつもりだったのだ。

「わたしは、不器用ですから……そうなってしまうのが怖いんです」

今はまだ、ただ一人を愛することはできない、でも、もし叶うのなら、そうしたいと願っていた。

――いずれ、フォルシーニアのその想いは果たされることになる。運命の相手とはもう出逢っているのだから。

二人の間でミリが身じろぎし、フォルの肩にもたれかかった。

あいかわらず眠っている。小さな寝息を立てる寝顔が可愛い。

「ミリったら……重いでしょうフォル。ミリをこっちに――」

「いいえ、暖かいですよ」

メルの言葉を遮って、ミリを起こさないように囁き返した。

「ね……フォルは、ミリのこと嫌いじゃない?」

ミリを起こさないよう、可愛らしく首を傾げる。

「この娘って、ちょっと使命感が強すぎるけれど――」

「メルさん、わたし、ミリのことを嫌ってなんかいませんよ」

――嫌うどころか、大好きです」

メルの予想通り、フォルは否定した。

それが杞憂でしかないことも、今のミリを見れば分かる。すっかり、フォルに心を許し安心しきっている。ミリネールが本当のフォルシーニアを知る日が来るかどうかは分からない。おそらくは知らない方が良いのだろうけれど、今のミリネールなら全てを知っても、フォルシーニアを好きでいられる。

「ミリは、お姉さん想いの、とてもいい娘ですもの」

それで充分だった。

『寝顔はこうなのにね、可愛い堕天使……ボクたちは、また、未来で出会うことになるのかな……』

そう言うラムにつられて、フォルもミリの顔を覗き込む。安心しきった安らかな寝顔。

「可愛いミリネール――

きっと、これからは――わたしたち、仲良しになれますよね?」

 

その日から、英荘は彼女たちの聖地になった。

 

「ところでラム、昨夜はどちらに行ってらしたんですか? 今朝わたしが起きたときにはもうおりませんでしたし、お布団も使った様子がありませんでしたし」

『ああ、うん、ちょっとね』

「ちょっと?」

不思議そうに首を傾げるフォルに、ラムは澄まして答える。だが、それを聞きつけた貴也は慌ててフォルを手招きする。

「フォル、ちょっと来てくれないかな」

横ではクレアまで一緒になって手招きしている。頷きつつ、フォルは同じような動作の二人の元へと席を立つ。

「昨夜のこと、内緒にするのもいいけれど」

メルは何とも言えず声をかけた。

『知ってたんだ?』

 ラムは肩をすくめ、さっきまでフォルが座っていた場所に腰をおろす。

「そりゃ、あれだけ強く意識したらね」

『あ、Psiを使ったんだ。じゃあ、フォルにも分かっちゃったね』

「フォルのPsiは閉じてるから平気でしょ。それにあたしのPsi特別だもの。だから、昨夜は貴也と寝たなんて誰も気付いてないわよ」

『文字通り寝てただけだけどね。――貴也がもう少し、積極的なら違ってたかもしれないけどね』

「どうしてそうしなかったのよ?」

思ったよりも真剣なメルの言い様に、思わずラムは彼女を見返した。メルの視線はラムを捉えて離してはいなかった。おそらく、ずっと彼女を見ていたのだろう。だが、その視線はラムを非難するものでは無く、むしろ真摯なものだった。

『どうしてって……、だって他の人を好きな人を……』

その真剣さにラムは、うつむきぼそぼそ答える。

「好きになるのはフォルたちにいけないの? いつか貴也を殺してしまうかもしれないから好きになってはいけない?」

『そう、だけど……、メルはフォルの味方だと思っていたけど?』

「クレアさんの味方よ。フォルはクレアさんの妹だもの」

予想通りの答えである。

『ああ、やっぱりね。そうだと思ったよ。だったらどうしてそんなこと言うんだよ?』

その予想通りさに、ラムは少しだけヤケになってしまった。

「さっきフォルに言ったとおりよ。好きだと思うことが好きってこと」

結局、メルキュールは、恋するすベての味方なのかもしれない。

 

「貴也さん、クレア姉様、なんでしょうか?」

「ああ……、そのね、英荘のことなんだけれど、部屋は六つしかないのに、今は住人が九人もいるんだよ。

それでどうしようかと思って……」

「誰かが相部屋になるしかないでしょう。……ねえ、管理人室とかは無いの?」

「オレの部屋が管理人室だから」

「……無いのね」

貴也とクレアが頭を捻る横で、フォルは静かに微笑んでいる。

「公平にじゃんけんとかくじ引きでもする?」

クレアがポケットを漁りながら提案する。

『あ、ボクは、別に共同リビングでも……』

「ダメよ!」

『早いね、ベル』

「一緒に暮らすつもりなら、同じ立場だもの」

『はい』

そんな二人のやり取りをセフィは、にこにこしながら眺めている。

「お二人は仲がいいのですね」

『そう? ありがとう、セフィ』

微笑み、頷くように首を傾げるセフィ。

「あ、でしたら、わたし、貴也さんと同じ部屋がいいです」

「フォ、フォル!?

「あ、あの、フォル姉さん、それはダメ……」

『あ、だったらボクも貴也と同じ部屋がいいな』

「ラ、ラム、ちょ、ちょっと、本気なの!」

みんなの視線を一身に受けて、ラムは言った。

『もちろん、ボクは冗談だよ』

「…………あ、わたしも、ですよ」

開け放した窓からの風に髪を揺らしながらフォルは言ったが、その笑顔は儚く今にも消えてしまいそうだ。

「ですよね、貴也さん」

「え、う、うん、そうだね」

「貴也、あなた今、残念とか思ったでしょう」

「あ、少し……」

うろたえまくる貴也に、クレアがびしりと図星を指す。

「はい! はいはいはいは〜い! あたし、クレアさんと同じ部屋がいい!!

 そのクレアは、ちらりとメルを一瞥し、

「まったく、いいわね、貴也は。

――いいわ、英荘はあとで増改築するとして、それまでの部屋はワタシが決めるわよ」

「うわっ、スルーされた!」

「増改築?」

「貴也まで!?

貴也が怪訝そうに訊き返す。それはそうだ、クレアの口調は明日の予定か夕食でも告げるように、さりげなく自然なものだったのだから。

「うるさいわよメル。――それくらいのお金ならあるでしょう?」

「ええ、まあ……」

「じゃあ、決定ね」

すとんと、貴也の向かい、リアの隣へ移動して来て座る。

「残念。だったかしら、リア? 貴也と同じ部屋になれなくて」

「残念って……うん、少しだけ」

今度はリアが貴也の隣に座る。

「まあ、いいか。これからいろいろ忙しくなるね」

 

 

やさしい場所

 

 

「やっと着いたわね」

しみじみとメルは言った。

「ほーんと、なんだかずいぶん長い間、一週間か一月ぐらい帰ってこなかった気がするわ」

それを受けてクレアが言った。

「なぜかしら、問題発言のような気がするわ。それ」

「…………そうかしら?」

「間があったわよ」

メルキュールが曖昧に笑う。

そんなことを話しながら、二人は落ち着いた様子で英荘を見上げている。平和な日常の一コマ。

――ではない。

「……もう、クレアさんも、メルさんも、着いたんなら自分の荷物を持ってくださいよ……」

彼女らから少し遅れて、山ほどの荷物を抱えた貴也が姿を現した。

「あ、ごめんね――」

笑いながらメルが自分とクレアのバッグを受け取り、その一方をクレアへと渡した。ようやく開放されて貴也は軽く息をつく。振り返れば、フォルたちもちょうど来たところだった。クレアもメルも振り返りフォルたちを見つめている。

「さあ、入りましょうか」

クレアが一同を代表するように言った。玄関のカギを貴也が開け、クレア、メルと続き、貴也も家の中へと足を踏み入れる。と、いきなりフォルが声を上げた。

みんなは一斉にフォルを振り返った。

「どうしたの、フォル姉様」

ベルがそう訊ねると、申し訳なさそうにフォルは言った。

「あの、貴也さんも、クレア姉様もメルさんも、家の中へ入るのは少し待っていただけませんか?」

先に足を踏み入れた三人はもの問いたげな視線でフォルを見つめ、それから互いに顔を見合わせ頷くと、

「分かった。――外に出ればいいのかな?」

代表して貴也が言った。

「はい。お願いします」

貴也、メル、クレアと続いて外へ出ると、それと入れ替わりフォルが玄関へと足を踏み入れる。

「わたしがドアを閉めてから、五つ数えてから開けてくださいね」

三人は再び顔を見合わせた。視線を戻せば、ちょうど、ドアが閉じられたところだった。

今度は全員が顔を見合わせた。フォルシーニアが何をしようとしているのか計りかねているのだ。そして頷きあった。

彼女がすることに、何を言うべきことがあるのか。

貴也はドアへ向き直ると、五つ数え始めた。

「ひとーつ」

中のフォルへと聞こえるように。

「ふたーつ」

いつものドア、いつもの英荘。何も変わってはいない。

「みーっつ」

ふと、このドアの向こうにフォルシーニアが待っているのだと貴也は思った。

「よーっつ」

貴也はフォルが何をしようとしているのか分かった気がした。

『いつつ!』

最後のカウントはドアの中と外から同時に数えた。貴也は厳かにドアを開けた。そこには想像した通りのフォルシーニアがいた。

そして、貴也の想像通りの言葉を言った。

「おかえりなさい――」

苦笑しているクレア。

それを見て、ほっと胸を撫で下ろしているメル。

とろけたようになっているベル。

にこにこ顔のリア。

甘えた笑みを見せるミリ。

曖昧な微笑みを見せるラム。

無意味に嬉しそうなセフィ。

――そして、貴也。

『――ただいま』

 

 


 

 

ミリ「アタシは、みんなから愛されてる。

アタシは、それを知っている。

アタシは、アタシを好きな人たちに、同じだけの想いを返したい。

アタシを好きな人たちのために。

 

次はアタシのお話、『この道は続く』よ」

 

 


 

 

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