第二幕 この道は続く

 

 

「……もう、どうして英荘はこんな山の上にあるのよっ」

かなり傾いてはいても、まだ、強い日差しを浴び、学校指定のセーラー服を汗に濡らしながら、ミリネールは英荘へと続く坂道を登っている。

「やっぱり、貴也なんて大っ嫌い! 貴也が余計なことをするから、こんな……」

温泉旅行から帰った後、みんなから――主に、フォルとリアに説得されてミリも中学校に通うようになっている。手続きはすでに貴也が済ませていたので、学校の方へ差し支えがないように事情を話し、遅ればせの転校を取りつけてある。

ベルが言うには、『フォル姉様がそうゆう風に操作をしたから』だそうだ。

で、そうは言ってもミリ自身、学校は嫌いじゃなかった。

最初は遅れてきた転校生をめずらしがって話し掛けてくる者が大半だったけれど、今ではみんな彼女の大切な友達なのだ。だが、ミリにとってこれは当たり前のことなのだ。ずっと、そうやって人類を――人を守りたかったのだ。人たちを滅びへと向かわせたくなかったのだ。

そんな学校生活は、遅れてしまったことをミリが後悔するほどに楽しかったのだ。

――もっとも、学校の授業は好きじゃなかったけれど、それに通学路が毎日ハイキングなのもミリを不機嫌にさせていた。

というわけで、ここにいない貴也に文句を言いながら、今日も今日とて英荘に向かってハイキングをしていた。と、足元から、かすかに動物の鳴き声がしたような気がして辺りを見回す。

「えっ、なに?」

気のせいかと思い、耳を澄ませる。

本当はPsiを使えば簡単に見つけられるのだけれど、クレアの言いつけで人と同じように振る舞うこと、無闇にPsiを使わないようにと言われているのだ。ミリはそんなこと聞く気はなかったが、フォルもリアも、メルキュールもがそうしているのだと言うし、何より彼女らにそうお願いされたらミリには断れるはずもなかった。

だから、人がするように耳を澄ませる。

――たしかに聞こえる。

声のする方へと茂みをかきわけ、そこで見つけたのは……、

仔猫。

「うわ〜、これ、この子が『仔猫』って言うのよね……」

資料室で読んだ本の知識としては知っていたが、当然、実物を目にするのは始めてである。記憶と目の前にいるそれが一致するとふつふつと好奇心が沸いてきた。

「見たのって初めて〜、かわいい〜、

――ねえ、おいで、おいでおいで」

しゃがみ込んで手招きする。最初は警戒していたその子も好奇心に勝てずミリのそばへと寄ってくる。差し出されたままの指先に頬ずりし喉を乗せごろごろと鳴らす。

「ねえ、おまえ、アタシと一緒に来る?」

ミリを見上げ、まるで言葉が通じたかのように甘えた声で返事をする。それを抱き上げて、

「じゃあ、一緒に行こ!」

照りつける日差しの暑さも忘れて、仔猫を胸に抱いて駆け出した。

 

「ダメよ、ミリ」

正面からミリネールを見据えて、メルキュールはきっぱりと言いきった。

そのメルキュールを前にしてミリは言葉を失い立ちつくしている。まさか断られるなど思ってもいなかった彼女は、見ていて気の毒に思うくらいに表情を失い呆然としている。

リビングを重苦しい沈黙が支配している。

数分前にはこの空気を予想すらしなかった。

意気込んでミリは帰ってきたのである。

「ただいまー!」

いつものようにそう声をかけて、玄関にメルキュール愛用の靴があることを確認し、僅かに逡巡すると、ばたばたと足音もやかましく共同リビングに駆け込んだ。予想通り彼女はそこにいた。

「ねえ、メル姉ちゃん! 英荘でこの仔猫()を飼ってもいいでしょう!」

息を弾ませ、汗も拭わずにいきなり、さっき拾った仔猫をメルの目の前に突き出す。

共同リビングでちょっと遅い午後のお茶を囲んでいた三人――クレア、メル、フォルは互いの顔を見合わせ、再び、ミリと仔猫に視線を移す。そのミリは満面に笑みをたたえ期待に満ちた眼差しをメルに向けている。

メルは音も無く立ちあがり、一同を代表するかのようにきっぱりと言ったのである。

「メル姉ちゃん……どうして……?」

差し出されたままの仔猫が一声鳴いた。

メルの後ろでクレアとフォルは顔を見合わせ、しかし、しかたがないという風にクレアは首を振るだけだった。

見かねたフォルが助け舟を出そうとするが、

「でも、あの、メルさん……」

「フォルは黙ってて」

一切の反論を許さない強い口調で、言い終わる前に封じられ、それっきり言葉を発しない。その口調のあまりの強さにミリは思わず仔猫を抱きしめていた。

「ねえ、クレア……」

困り果ててすがるようにクレアを見るが、メルに視線を走らせたかと思うと、躊躇いがちに視線を外されてしまった。

ミリの腕の中で仔猫が一声鳴いた。

「もういいわよ! イジワル!」

言うなり、追いすがろうとするフォルを振りきって、それでも、仔猫だけはしっかり抱いて共同リビングから駆け出し、玄関でちょうど帰ってきたベルとリアにぶつかりそうになってしまった。

「きゃ……! ミリちゃん……!」

「いったいどうしたの、ミリ?」

よろけた体を二人に支えられながらミリは言った。

「ねえ、英荘でこの子を飼ってもいいでしょう……」

仔猫を見せ、泣きそうな顔で懇願した。

二人は一瞬困った顔を見合わせ、しかし、きっぱりとベルは言った。

「やめた方がいいわよ」

メルキュールと同じような目で言った。

リアでさえも、ミリを見ようとはせずに黙ってうつむいていた。

その二人の姿に涙をこらえ走り去ってしまった。

「待ちなさいっ、ミリ!」

追いかけてきたメルの制止の声も振りきって、英荘へと続く山道を駆けながら虚空に叫んだ。

「ウェイクアップ! エルメスフェネック! 来おい!!

少し前に修理の終わった獣機を呼び出したちょうどその時、フォルたちも玄関へ追いついて来た。そして彼女たちが見る前でエルメスフェネック飛び去ってしまった。

「わたし、追います」

そう言った時には、すでにフォルの姿は消えていた。

「レヴィテイションしたんだわ」

「でも、『あの』フォルって、Psiを自由に使えないんじゃなかった?」

フォルシーニアの――サダルスードのPsi能力はいまだに安定していない。今のように思うように使えることはめずらしい。ただ、貴也がそばにいる時は自由に使えるようだが。

「そうね、でも、あの娘にとってはいい傾向だわ」

エルメスフェネックが飛び去った方向を見つめながらクレアは言った。

ベルとリアも同じように見つめ、

「フォル姉様、大丈夫かしら……?」

「フォルなら大丈夫よ。だからベル、アナタ、今日はフォルの代わりに夕食の仕度をなさい」

「え、あたしがするの……?」

言いかけてベルは気付いた。リアは料理ができないと言うか修行中、若干技能のある貴也はまだ帰ってきていない。ラムとセフィは料理そのものができない。メルはと言えばお菓子担当で、普通の料理はあまりやらない。クレアはそもそも家事をしない。この状況でなら、確実に自分がしなければならないことに。

――もっとも、クレア曰く、ベルはお茶くみ失格なのだが、修行するにはいい機会ということで。

「まあまあ、ベルちゃん、後であたしも手伝うから」

メルがそう言ってベルを慰め、

「だから、先にキッチンで下ごしらえとかしといてくれる?」

ベルもそれならばと、「は〜い」といい返事をして、リアと一緒にキッチンへと向かって行った。

残った二人――クレアとメルはミリが飛び去った方向を見ている。

「まったく、こんなことで獣機を呼び出すなんて……」

双子たちの姿が消えたことを確認してから、ため息まじりにクレアは呟いた。やはりミリのことを心配しているのだ。

「ねえ、クレアさん……やっぱり、フォルのことが心配?」

「ん……そうね……」

確かに心配はしている。不安もある。

わずかに首を傾げるようにメルに視線を移し、

「いえ、フォルなら大丈夫だもの」

だが、クレアの言うそれは、クレア自身が嫌になるくらいに打算に裏打ちされた言い様だった。仮に二人の身に何かがあったとしても、サダルメルクがいればどんなことをしても守り通すだろう。そしてサダクビアがいればその万が一の間違いすらも無い。

その答えに小さく肩をすくめるメルに背を向け、先に英荘に入ろうとした足を不意に止め、思いついたように言った。

「アナタこそ、どうなのよ?」

予想もしていなかった言葉に、メルは思わずクレアを振り返った。背を向ける彼女の表情は窺い知れない。

理由は違えども、妹を心配する姉という立場は同じなのだ。

ひょいと肩をすくめ、

「そうね、大丈夫だって信じてはいても、やっぱり心配だわ。

それにね、勝手な言い種でしかないけど、あの娘にはあたしたちみたいなつらい思いをしてほしくないもの。

――たとえ仔猫からでも、ね」

赤く焼けた太陽が、二人分の影を長く引き伸ばしながら、大地に引き寄せられている。

「中へ入りましょう。きっとベルが待ちくたびれてるわ」

エルメスフェネックの飛び去った方向を見つめ続けるメルに、頬を膨らませているであろうベルを想像し、さも可笑しそうにしながらクレアは言った。

「そうね、それであの娘たちが帰ってくるのを待ちましょう」

クレアの言い様につられて笑みをこぼし、促す彼女に続いて足を踏み入れ、はからずも二人同時に振り返った。

――早く帰ってきなさい、と。

 

 

あいしてる

 

 

「ミリ、この電子キツネさんでどちらまでお出かけをするつもりですか?」

高速で移動するエルメスフェネックのコクピットに、直接レヴィ・アウトするという離れ技を苦も無くやってのけるなりフォルは言った。

「フォル姉ちゃん……どうしてエルメスフェネックのコクピットに……?」

以前にも触れたように神機や獣機が常に張り巡らせているシールドは、非常に堅固なもので通常のPsi能力では突破できないほどなのだ。

「あ……そっか、フォル姉ちゃんのPsiは、神機や獣機のシールドよりも強いんだっけ……」

フォルの唐突な出現に驚きはしたものの、以前、ベルが言っていた通りに並外れたそのPsi能力を目の当たりにして、そのことを再確認するようにミリは言った。

それで会話は途切れた。

エルメスフェネックだけが、沈黙の中、忠実に飛行を続けている。

モニターに映る、エルメスフェネックの眼下に見える山がちな景色に次第に海が混じり始める。どうやら、海岸線に沿って飛んでいるらしい。が、ミリには何か当てがあって飛んでいるわけではない。ただ、闇雲に移動しているだけなのだ。

「わあ、夕焼けがとてもキレイですよ」

モニターの一つにその光景を映し、さらに眼下の地形を表示させると、

「ねえ、ミリ、あそこに岬があります。降りてみませんか?」

ミリは何も答えなかった。しかし、エルメスフェネックは、徐々にその岬にある公園に向かって高度を下げていった。

 

「……ねえ、ミリネール、きっと、つらくなりますよ……」

長い、長い沈黙の末、フォルは言った。

夕暮れ時、公園に人影はまばらだ。といっても全くの無人ではなく、恋人同士らしいアベックや姉妹らしい二人連れなどがちらほらといる。フォルとミリは岬に備え付けられた鐘の近くにあるベンチに座っている。

「どうしてよ、フォル姉ちゃん」

「わたしたちは愛することはできても、愛されることを許されていませんもの。

それを――愛されることを許されているのは、リア――マリアだけなんですもの」

一瞬、心の中を誰かの影がよぎった。

これは自分自身にも言わなければならないこと。

ミリネールだけではなく、それを言うフォルシーニア自身が自らによく言い聞かせなければならない。

膝の上でこぶしをきゅっと握り締め、足先を見つめたまま続けた。

「メルさんやベルは、あなたに愛されることを覚えさせたくなかったんです。

……それがたとえ仔猫からでも。

知ってしまうと、つらくなりますもの……繋がっている想いを断ち切らなくてはなりませんもの……」

「フォル姉ちゃん……」

くすりとミリは笑った。

可笑しくて、では無い。

ただ、少しだけ悲しそうに。

「フォル姉ちゃんたちは、なんにも知らないんだ」

微風に揺られ、岬の小さな鐘が寂しげに鳴いた。

「アタシ、もう知ってるもん。クレア、メル姉ちゃん、セフィ、あのラムや、ベル姉ちゃん、リア姉ちゃん、もちろんフォル姉ちゃんも、みんなから愛されてるって、もう知ってるもん……」

ミリネールはみんなから愛され、大切にされていることをすでに知っている。想いはミリネールに届き、彼女はそれに応えているのだ。

それなのに、二年後に行われる『最後に審判』により、その全てが断ち切られるつらさを味わうことをも知っているのだ。

「……だから、もう、そんなこと、心配してくれなくたってかまわないのに……」

二人の足元で仔猫が鳴いた。

ミリの瞳は涙に濡れていた。それをフォルはそっと拭い、ミリを抱き寄せ囁いた。

「一緒に、英荘へ帰りましょう」

もう一度、仔猫は鳴いた。

「……この仔猫も一緒でいいでしょう……?」

「でもね、ミリ――」

体を離すと、ミリの顔を見つめ、いたずらっぽい表情で言った。

「その仔猫を英荘で飼うつもりなら、あなたの口から、ちゃあんと、貴也さんに言わなければだめですよ。

――あなたの苦手な、貴也さんに――」

「やっぱり、そうか……、

アタシ、貴也にお願いしてみる。

――ねえ、貴也はいいって言ってくれるよね?」

「貴也さんは『素因』ですもの」

微笑みを返しつつ、うっとりとフォルは言った。

ミリにはそれで充分だった。

 

「おかえり、ミリ」

「ただいま、メル姉ちゃん。

――ねえ、貴也は帰ってる?」

不安はある。が、迷いは無い。

「まだよ、でも、『もうすぐ帰る』ってさっき電話が……」

あったわよ。と言いきるのを待たずに玄関から「ただいま」と声がした。

「帰って来たみたいね。

行きなさいミリ。貴也に『お願い』があるんでしょう」

いつもの表情。

大好きな姉は大好きな姉として、そこにあった。

「うん! ありがとう、メル姉ちゃん!」

それだけ言うと、慌ただしく駆け出して行った。

駆けて行くミリの背中を見送り、フォルの耳元に、

「ありがとう、フォル――」

そっと、囁いた。

「――いいえ、わたしがミリにお礼を言いたいです。わたしのことを思い出させてくれましたから……」

「フォル……?」

「叶えたい想いでも、届かないこともあるのですから」

「フォル、やっぱり貴也のことを……」

「だめですよ、メルさん。その先は。

――貴也さん、帰ってきてらっしゃるのでしょう。お夕飯の準備わたしもお手伝いしますね」

いつものように微笑み彼女は駆けて行く。

「……あなたは……」

残されたメルキュールは、ただ、立ち尽くした。

 

「お帰りなさい、貴也!」

胸に仔猫を抱いたまま、ひたと貴也を見つめ、

「ねえ、この仔猫を英荘で飼ってもいいでしょう?」

ミリを見つめ、仔猫に視線を移し、再びミリに視線を戻した。

この時、

いや、ミリと仔猫を見たその瞬間に貴也の答えは決まっていた。

この英荘には、ペット持ち込み禁止という決まりは無い。

今日から英荘の住人が、九人と一匹になった。

 

 


 

 

セフィ「終わってしまった歴史、

無くした時間、

消えていった人々。

世界を満たしていたたくさんのものはもうありません。

……それは、アタシも同じ。

選べない未来がアタシを縛り付けています。

だから、せめて、みなさんには自分の選んだ未来を……。

 

どうか、この世界に終わりがありますように……」

 

 


 

 

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