第三幕 セフィネス・プルゥド・サブロマリン

 

   

視界の限り続く完璧に監理された世界。

人類は繰り返された『最後の審判』をくぐり抜け、宇宙に住む星人の一員として生きていた。しかし、愚かにも繰り返される人類同士の飽く無き戦争は人類という種そのものを疲弊させ、その結果として大地である地球を自らの手で破壊し、確実に宇宙全体を汚染していった。その蛮行を見かねたリガルード『人』は、ついに人類という種族そのものをその監理下に置くことを決定した。

超未来と呼ばれるこの世界。

種族としてより良い存在に改善されるまでとはいえ、人類はリガルード『人』と『Lalka』と呼ばれる擬似生命体たちによって生かされているに過ぎなかった。

 

――いったい、誰がこんな結末を望んだというのだろうか?

ようやく出会えた『素因』とマリアの果てがこの世界なのだろうか?

クレア姉さんの求めてやまなかった幸せとはこんなものなのだろうか?

フォル姉様はこんなことのために自分の身体を犠牲にすることを願ったのだろうか?

いいえ、マリアやフォル姉様の願い、信じた者たちは誰もこんなことはしたくは無かったはずだ。クレア姉さんはより良い未来を求め続けていた。それでも、人類そのものは変わりようが無いのかも知れない。人類の果て、その願いから出現したにも関わらず、人類そのものを監理する側に回ったリガルード『人』。強欲、憎悪、暴力、懐疑、これらをなにひとつとて超越することのできなかった人類。もとを辿れば同じ者である、枝分かれしてしまった兄弟のような彼らはいったいどこが違うというのだろうか?

あの時生じたかすかな――ほんのかすかな疑問。

人類の改善されるべき要因。それは確かに忌むべきモノ、繰り返されてきた愚かな行為かもしれない。それでも、そういったモノを全て含めて人類なのだと、それも人類という種族を構成する要因なのだと、

そう、これも人類の姿なのだと悟るのにこれほどまでの時間がかかってしまった。

「忘れないで、ラム。あなたたちがこうしていられるのは、全てフォル姉様のおかげなのですよ」

数百年を経てもなお、変わらない美しさを持つ姿で街並を眺めながら彼女は言った。

「フォル……姉様? お婆さまがいつも話してくださる方ですか?」

「そうよ、ラム。

あの時、フォル姉様は『お役目』でもって地球を破壊しなければならなかったのよ。それは、もうフォル姉様ご自身でも止められない、どうしようもないことだったの。だから、フォル姉様は願ったのよ、人類にもう一度、良い機会が与えられることを、ご自身が新生される地球の基になることを」

そして、人類は誕生した。

それでも、人類は変わらなかった。変わりようが無かったのかもしれない。第三天使フォルシーニアが原始スープとなって誕生したというのに、ついにこんな結末を迎えてしまった。

しかし、フォルシーニア自身はそんな人類全てを愛していた。それだけは認めなければならない。

「お婆さま、それでその人はどうなったのですか?」

「幸せでしたよ」

彼方を、世界を見続けながら彼女は言った。

「とても、お幸せでした。

人類全ての母になり、

運命の相手と出逢い、互いに愛し、愛され、

――そう、とてもお幸せでした」

彼方を見やる視線をラムへと移し、

「ラム、この犠牲をごらん」

また、街並みに視線を戻し、それとも、見つめるのは世界そのものだろうか?

彼女は言葉を続ける。

ラムリュアはそれを、フォルシーニアのことだと思った。自身を犠牲にして地球の新生を願い、今ある地球とそこに住む人類全ての母となったフォルシーニア。今の全てが彼女の犠牲によるものだと、幼い彼女はそう受け止めていた。

だが、それは半分でしかなかった。

この世界の全てが、自分自身よりも、誰かを、何かを優先させてできあがった世界なのだ。フォルシーニアが自身を犠牲にして人類の良い機会を願ったように、リガルード『人』もまた、宇宙全体――人類の未来を憂いていたある方の願いにより、人類を末永く存続させる為に、その手段として人類の監理を選択し、さらにより良い未来を求め、『最後の審判』というチャンスを用意した。それはただ一人の人間だとしても同じなのだ。みな、自分の身を犠牲にしてもよいと、そう思えることがあるのだ。

しかし、ラムリュアがそれを知るのはさらに後のこととなる。その前に彼女のお婆さま――第一天使エインデベル・デネボーラ・レグルスは見せしめのように(少なくともラムリュアはそう考えた)リガルード『人』により生き終わらされてしまい、ラムリュアはその復讐を誓い、リガルード『人』と戦いを繰り広げているのだ。

超未来から未来へ、未来から現在へ、リガルード『人』の根源的な消滅を求めて戦っているのだ。

そして、今ここで『素因』と出会い――

行くべき道を、為すべきことを失いつつあった。

 

「どうかしたのですか? ラム」

ここは、英荘の一号室。ラムとセフィの相部屋。

クレアリデルが言い出した温泉旅行からの帰り道に、一時的に部屋を割り当てた結果である。

住人に対して部屋数が少なかった結果である。

ちなみに他の部屋割りは、

二号室、フォル。

三号室、貴也。

四号室、ベルとリア。

五号室、メルとミリ。

六号室、クレア。

となっている。言い出しておいて一人部屋を確保するあたりクレアはさすがである。

で、その一号室。ファッション雑誌やお菓子を抱えて部屋に戻ってきたセフィは、何をするでもなく、ただ、座っているだけのラムに声をかけた。

そのセフィの声で現実に引き戻されたラムは、すでに何も映さない瞳を彼女の方に向け、気抜けた――ように聞こえるであろうPsiで創った声で返した。

『あ……セフィか……なんでも無いよ。ただ、ぼーっとしてただけだから』

「そうなんですか? どこか具合でも悪いんですか?」

『そんなことは無いよ、大丈夫だから』

苦笑しながらそう返すラムに、もう一度、「そうなんですか?」と繰り返す彼女をつとめて見ないようにしながら、ラムはぽつりと言った。

『…………未来(むかし)のことを、思い出していたんだよ』

ここへと来てからラムはそう口にするたびに奇妙な違和感に捕われる。だが、それは当然のことなのだ。ラムにとってのすでに過ごしてきた過去が()()では、これからやって来る未来であり、それに関わるラムリュアは、まだ生まれてもいなければ、その予定も無いのだ。

しかし、セフィはそれをあっさりと聞き流した。同じベスティアリーダーであるミリや天使たちはあんなにも未来のことを気にかけていたというのに、彼女はラムが拍子抜けするくらいに無反応だった。

同じ部屋で暮らすようになってから、まだ、数日しか経っていないけれど、ラムはセフィの、喋り方をはじめ基本的にボケキャラな見かけによらない、洞察力や勘の良さに意外な思いを抱いていた。だから、セフィはラム自身が抱える様々な葛藤や悩みに、うすうす勘付いるのではないかと、そんな風に思っていた。

セフィはいつもの如く、定位置と決めている和室には似合わないクッションに腰を下ろし、持ってきた雑誌とお菓子を広げる。

しばらく雑誌を見ていたかと思うと、おもむろにセフィは言った。

「ラムは、怖いんですか?」

はじかれたようにラムはセフィを見つめ返した。そこにはいつもと変わらぬ、にこにことお菓子を頬張る彼女がいた。何故か、その姿にラムは戦慄した。いちばん最初に創られた堕天使、ベスティアリーダーとしては最弱の能力しか持たないはずの彼女が、ラムはとてつもなく怖かった。

――あるいは本心を言い当てられたからかもしれない。

『…………Psiを、使ったの……?』

セフィは左右に首を振る。

『それじゃ、どうして……?』

「ラムはアタシと同じですもの。

これからのことが怖くて怖くてしかたがない。

――そんな、同じ思いを持っていますから」

つらさの片鱗も見せずに、めったに見せることの無い、困ったように苦笑した表情でセフィは言った。

『そう……かな?』

反射的に疑問形で否定するが、ラムはそれ以上答えない。いや、答えられない。ラム自身も肯定せざるをえない材料を抱えているのだから。

セフィが言うように、たしかに怖かった。だが、それ以上に不安だったのだ。

それ以上セフィは何かを重ねようとはしない。ラムもまた、さらに言葉を紡ごうとはしない。セフィが黙れば部屋には沈黙だけが残る。痛いくらいの静寂の音が何も聞くことができないはずのラムの耳を打つ。それに堪りかねたようにラムはぽつりぽつりと話し出した。

セフィに聞かせる。というよりは自分自身にこそ言い聞かせるように。

『そうかもしれないね……。

ボクは、リガルード『人』を消滅させなきゃならないんだ。キミたちが神とあがめるリガルード『神』なんかじゃなくて、本当のリガルード『人』を。それがボクからお婆さまを奪った復讐なんだ。それがボク自身がしなきゃならないことなんだ……』

ラムはいったんそこで言葉を切るとセフィに目をやった。そこには何を考えているのかよく分からない、相変わらずのにこにこ顔があった。

――ボクはどうしてこんなことを話しているんだろう?

そうは思っても、ラム自身ではもう止まらなかった。貴也の時がそうだったように何もかも話してしまいたくなっていた。

『でもね……ボクの力ではリガルード『人』を消去することはできなかったんだ。だから未来世界へゆき、そこでリガルード『人』が発生する要因になった銀河連邦の国家元首を消すつもりだったんだ。でも、あの娘に阻まれてそれさえもできなかったんだ。

だからボクは、神機が耐えられないのを分かっていて、それでも、もう一度時空ジャンプをして()()へ来たんだ。

――根源的にリガルード『人』の存在そのものを消滅させる方法――つまり……『素因』を消去するために……』

『素因』の消去。

その結果、何が起こるのかラムには想像もつかない。タイムパラドックスぐらいは覚悟しているが、現象としてそれが起こればどうなるのか予想さえもできない。

それでもラムはそれをしなければならない。

運命や未来といったものを変えてしまう行いだとしても、そうしなければならないはずだった。

しかし、

『でも……でもね、ボクは貴也に出会ってしまったんだ……貴也を、消さなきゃならない『素因』の貴也を好きになってしまったんだ……。

おかしいよね……殺さなきゃならない相手を好きになるなんて……、でも……どうしたらいいのか分からないんだよ……』

あの温泉旅行で、貴也と一緒に眠った時にさえ告げずにいた想いを、なぜ、今ここでセフィに話しているのかラムには分からなかった。ひょっとしたら心のどこかで『セフィなら』とすがっていた気持ちがあったのかもしれない。そして、彼女の持つどこか無関心であることの優しさに。

そのセフィは、ラムの言葉にほんの少しだけ頬を緩ませた。

『……やっぱり、おかしいよね……』

ラムの言い様は自虐的でさえある。

「そうじゃないんです。アタシ、安心したんです。

超未来からやって来て、これからのことを何でも知っているはずのラムも、アタシたちとおんなじように悩んだりしているんですから」

微笑みながらセフィは言った。

「そうなんでしょう?」

小首をかしげる仕草は可愛らしい。

しかし、それは確実にラムの心の一点を突いていた。

ラムはうなだれるように頷いた。

『……『素因』を殺さなきゃ……超未来は救われないんだ……他に、もうどうしようもないのに、ボクにはそれができない……。

――ボク……、アタシ、本当にどうすれば、どうしたら……』

「いいんじゃないんですか」

ゆっくりとラムは顔を上げた。

英荘の一号室。和室には似合わないクッションに腰を下ろした、深窓の令嬢のようなセフィ。超感覚ですら捉えられない、雰囲気そのものが変質しているような感覚にラムは捕われた。

「そうやって、悩んだり、考えたり、時には立ち止まったりして、それでもゆくことのできる未来があるのでしょう? アタシにはそれが羨ましいです。

アタシたちには選べる未来がありませんから、アタシたちの――アタシの行くところはもう決まっていますから」

そう、一番目の堕天使である彼女は最弱の力しか持っていない。もし、『最後の審判』が行われれば、おそらく生き残ることはできない。セフィ自身もそのことがよく分かっているのだ。ラムのように悩んだり、考えたりできる未来がすでに自分には無いことに。

『……だったら、セフィはどうしたらいいと思う……? アタシは、これからどうしたらいいと思うの?』

「さあ? アタシには分かりませんけど、ラムがしたいようにするのがいいんじゃないですか? だって、ラムの未来なんでしょう」

微妙に言葉足らずのようだけれど、その言葉でラムは救われたような気がした。

人を殺してきたことも、

何人もの『Lalka』を消滅させたことも、

復讐に生きてきたことも、

そして、貴也を殺そうとしたことも……、

今までしてきた、正しかったこと、間違っていたこと、その全てに意味があったのだと自分自身でも認められた気がした。

だから、いつもの苦笑を浮かべてラムは言った。

『セフィって随分だよね。そんなに綺麗で、ポーっとしてるのに』

「アタシ……そんなにひどい顔してますかぁ……」

世にも情けない声でセフィは口走る。

彼女にはどれほど感謝しても足りないくらいだ。未来を、それを運命と呼ぶならばそう呼べる未来を、自分で選べるのだということを思い出させてくれたのだから。『素因』英貴也を消去できないのなら別の手段を選べばいい。かつて、過去へと行くことを決断したように、ただ、そうすれば良いだけのことなのだから。

まだ希望を捨てなくてもいいのだから。

そのことを気付かせてくれた彼女は、最初の印象通りにボケボケしている。

『逆だよ、セフィは綺麗で賢いねって言ったんだよ』

「はい!」

そう言う返事はあまりに元気がいい。

 

 

しあわせのかけら

 

 

――そして、あるいは行われる『最後の審判』。

その日、その場所――ハルマゲドンの丘に第一天使は降臨した。

人類を裁くために、

その姿を、本質を見極めるために、

ベスティアリーダーたちが、人類の本当の姿を露にしてゆく。

第一天使としての『お役目』を執行する。

最初の『鐘』はすでにあの時鳴らしてしまっている。だから、向かってくる――なぜか順番を無視した獣機をレオニスは二つ目の『鐘』で迎え撃つ。多少順番が前後しても、第一天使の前に立ってしまえば、末路は変わらないのだ。数体の獣機をそれぞれ一撃で屠りさると、そこには見覚えのある獣機が立ち塞がっていた。

一番目の堕天使が駆る獣機『アンティータァ』。最弱の能力しか持たないそれはレオニスとは、天と地どころかそれ以上の力の開きがある。結果は最初から分かっている。それでも、『お役目』のために彼女はここにいる。

レオニスが重力崩壊場をブレード状にして発生させる。

そのだらりとさげただけの右腕にある、光さえも逃れられない闇の色をしたブラックホールの刃。それが自分の死の姿なのだとセフィは何となく思った。

何の前触れも無くレオニスが動いた。

打ちこみ。

それはセフィの反応速度を遥かに凌駕していた。

気が付けば、レオニスのブレードがアンティータァを貫いていた。

致命打である。

今から機体を捨てて脱出しても間に合わない。自分でも驚くほどに冷静な部分の思考が瞬時にそう判断を下す。

でも、セフィ自身はそれを認めない。

否。

認められない。

「イヤです! アタシ、死にたくありません!」

認められるはずが無かった。

英荘での暮らしは彼女たちにとっては、まさに『聖地』での暮らしそのものなのだ。それを知ってしまったのに、その全てを失うことになど耐えられるはずも無かった。自分が一番目の堕天使で、『お役目』を果たさなければならないことは分かっていても、それでも『聖地』を失うことには耐えられなかった。

この時、心の底から死に恐怖した。

消えてしまうことに、

失ってしまうことに、

「アタシ、まだ何もしていないんですもの! 

みなさんともっと暮らしていたいんですものっ、

楽しいこと、もっと欲しいです。おいしい物だって、もっと食べたいんです。

……イヤです……。

アタシだって誰か一人から愛されたいんです。誰か一人だけを愛したいんです。

アタシ……アタシ、もっと英荘で幸せに暮らしたいんです……あそこはアタシたちの『聖地』なんです……、

だから……」

セフィの意識はそこで永遠に消えた。

 

 

そこでセフィは目覚めた。

服は汗でびっしょりと濡れている。深くため息をつくと、濡れた衣服を手早く取り替え、今更ながら部屋を見回し自分一人であることを確認すると、

――一人、泣いた。

 

 


 

 

「次回、デジタルアンジュ、螺旋の限り、『素因』。どうかご期待下さい」

 

 


 

 

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