運命を繋ぐ糸

 

 

「……ねえ、お兄ちゃん、どうしてベルさんを追い返したりしたの……?」

ジゼルの口調は責めるでもなく、咎める風でもない。

それでもラオールは答えない。いや、答えられない。ベルが彼に何かをしたわけではない。エインデベルの存在が、彼女がジゼルを裏切るのではないかと思うと、誰も近づけたくなかったのだ。だからと言って、それをジゼルに言うことなどできはしない。

「ベルさん、なにかお兄ちゃんの気に障ることをしたの? もしかして、ベルさんが嫌いなタイプだったの?

――それとも……」

その先を言うべきかジゼルは迷っていた。

言えばラオールの弱さを指摘することになり、言わなければラオールは何も変わることなく、これからも他人との関わりを持たずに終わってしまうだろう。しかし、だからこそ言わなければならないのだと彼女は思った。時には傷つけ傷つけられることを恐れずに為さなければならない時がある。

それが今なのだと。

視線が絡まり合う。

いや、ジゼルには見ることはできないのだけれど、ラオールがそう思えるほどに真っ直ぐに見つめる。

迷いは断たれた。

「それとも、ベルさんに裏切られるのが怖いの?」

言ってしまった。

こんな時は目が見えなくて幸いだと思ってしまう。相手がどんな顔をしているのか想像することはできても、それもとてもつらいのだけれども、実際にその顔を見なくてもすむのだから。

だが、ラオールはそれではすまない。

守るべきジゼルから、心の弱さ、臆病さを指摘されたのだ。が、それは言われても仕方がないことなのだ。ジゼルの知り合いだと言う彼女を理由も告げずに追い出してしまったのは誰でもない彼自身なのだ。そう言われるだけのことをしてしまったのだ。

だが、自らの心と向かい合ってみれば、本当に恐ろしかったのだ。

ジゼルが裏切られ、傷つくことが。

そのために自分自身も絶望を味わわなければならないことが。

ただ、そのことが本当に恐ろしかった。

しかし、そのことを――裏切られるかもしれないという思いを除けば、今日、会ったばかりだが、初対面の相手にあれほどまでにはっきりとした行動に出られることや、ジゼル自身があんなにも親しくしているエインデベルのことを、決して嫌いではなかった。いや、それどころか、エインデベルが相手ならばずっと側にいたいとさえ感じる。

「そうだな……」

ぽつりとラオールは言った。

「オレは怖かったんだ……、また裏切られるかもしれないって考えると、またジゼルが傷つくことを考えると、たとえ誰でも近づけたくなかったんだ。

だが、違うんだ……どんなに理由をつけても、本当はオレ自身が裏切られることが怖かったんだ……」

ゆったりとジゼルは微笑んだ。

「じゃあ、お兄ちゃん、ベルさんにちゃんと謝ってね。あたしの大切なお友達だから」

「ああ、そうだな……」

言われるまでも無かった。ラオールの心にはすでにエインデベルが住んでいた。

 

「ベル、どうしたの?」

「えっ、なにが?」

鏡を覗いた時のように同じ顔が目の前にある。しかし、鏡ではありえない、服装も髪形も、何より雰囲気が違う。

――リアだ。

「さっきからため息が多いよ」

ここは、英荘五号室。ベルとリアの部屋だ。

ジゼルたちの所から帰ってから、何をするでも無く、ぼうっとしている。

「ねえ、そのジゼルっていう人、『素因』じゃなかったの?」

「ううん、そんなことは無いよ、ジゼルはきっと『素因』になるわ」

ジゼルは『素因』になる。今のままならそれは間違い無い。

今、ベルを悩ませるのはラオールのこと。

このままではベスティアになってしまうかもしれない――いいえ、きっとベスティアになってしまう彼のこと。たった一度会っただけのラオールが心に焼き付いてはなれない。

「……はふっ」

また、ため息。

同時に浮かぶのはラオールの姿。

ラオールのことを考えれば考えるほど鬱々としてしまう。

――どうして?

芽生えはじめたその心を、ベルはまだ知らない。

 

人たちの思惑など関係無く時間はただ過ぎてゆく。

答えが出ないまま、約束の日が来た。

ベルの迷いはまだ晴れない。

英荘からジゼルたちの部屋まで、その道すがらそのことばかりが頭の中を渦巻いていた。ビルの合間には見事な夕陽がある。何となくそれを見つめながら、黄昏時の物悲しさが理解できてしまった。

その物悲しさに、鬱々とため息を吐き出す。

――ジゼルと、ラオールの部屋……。

工事現場の近くで二人が借りている部屋。

ノックしようとした手を止め、胸に引き寄せる。

――この扉の向こうにラオールがいる。

そう思うと、自然に顔が熱くなり高鳴る胸を止めることができなかった。胸元で手を抱き寄せたまま深呼吸をする。

――どんな顔すればいいのかな?

――もし、いなかったらどうしよう。

――ひっぱたいちゃったこと、怒ってるかな……? ――怒ってたらどうしよう……、もう口もきいてくれないかも……。

ぐるぐると後ろ向きな考えが頭の中を渦巻く。

――いつまでも迷ってはいられない。

よし! と自分に気合を入れ、思いきってノックする。気合を入れすぎてずいぶんと強く叩いてしまった。

「こんにちは、約束通りお迎えに来たわよ」

返事を確認してから、ドアを開け、なるべく平静な声で言った。

部屋の中では、すっかり準備を整えたジゼルが待っていた。

もちろん、ラオールもいた。

その姿に胸のどきどきが跳ねあがった。心地良くて死んでしまいそうなほどに、瞬間的に頭が真っ白になってしまうほどに。

「エインデベル……」

ラオールの、自分の名を呼ぶ声に、一瞬で我にかえった。それだけでがちがちに緊張してしまう。

だが、それはラオールも変わらない。ジゼルに促されてベルの側へとやって来るその動きは、ギクシャクと錆びた人形のように不自然だ。鏡合わせのようにお互いにきまり悪そうに落ち着かなく、視線も合いそうになるとほとんど反射的に逸らし合っている。

「その……この間はすまなかったな……」

照れくさそうに切り出すラオールに、ベルは少し落ち着いた。そして謝罪の言葉など無くても、ベルは彼を許していた。

「あ、あの、あたしの方こそひっぱたいちゃったりしてごめんなさい。

――……痛かったでしょう……?」

ラオールは、つい正直に頷いてしまう。同時に、ベルは自分の心に芽生え始めた気持ちがなんなのか悟っていた。

――ラオールに恋している。

そう自覚すると、なんとなく、ラオールをまともに見られない自分をごまかすようにジゼルを促した。

「さ、さあ、ジゼル、行きましょう」

そう言って彼女の手を取る。ふとラオールと視線が合う。はからずも見つめあい、二人同時に視線をそらした。なんだかそうするだけでも照れくさい。

「ラオールさん、あなたも来てくださいね」

ふと気がつけば、ベルはそう口走っていた。

「え、どうして、オレまで!?

心底意外そうにラオールはベルに視線を返した。

「あ、あの、えーと……その……」

しどろもどろなベルが可笑しくて、二人がお互いをどう思っているのか、それがあまりに微笑ましくて、つい、ジゼルは助け舟を出した。

「あら、お兄ちゃんは女の子に暗い夜道を歩かせるつもりなの? それに、ベルさんに『この間はすまなかった』って思うんだったら一緒に行きましょう」

「そ、そうですよ。だから、一緒に来てくださいね」

すかさずジゼルの提案に飛びついた、ベルの言い様と笑みに屈託は無い。

「ねえ、お兄ちゃんはイヤなの?」

ジゼルの言う通り、そう言われたのではイヤも無い。

「わかった」

ため息まじりに承知すると、出かける準備をしてジゼルの手を取ると、ベルの後に続いた。

赤みがかった、夕陽と同じ色のウェーブした長い髪が揺れている。

その後ろ姿に思った。

彼女が好きなのだと。

 

「みんな、お客様をお連れしたわよ」

「あっ、ラオール君も来てくれたんだ」

「ジゼルとエインデベルに無理矢理……、それに、ジゼルが帰る時困るからな」

言い訳がましく聞こえる言い様に、ラオールはあらためて自分の気持ちを悟った。

――つくづく、エインデベルが好きなのだと――

そんな二人の想いなど知らずに、ベルが連れてきたお客様を目にした瞬間、ラムは正気を失った。女の子の手を引く男性をラムは知っている。

ベルがみんなを紹介しているのも、互いに挨拶をかわしているのも、それら全てをラムは認識していない。こみ上げてくる涙を堪えるだけで精一杯だ。それでも、想いの全てを覆い隠せるはずも無く、表情に表れたそれをベルに見られてしまった。

それが限界だった。

理性がどれほど押し止めても、体は言うことを聞きはしない。

『おじいさま!』

気がつけば、ラオールに抱きついていた。

ラオールは困惑しきっていた。

当然である。

突然、女性に抱きつかれ、それも胸で泣かれては。どうしたらいいのかも分からず、そっと、肩に手をかけることしかできなかった。

時が止まったように凍りつくが、それも一瞬のこと。真っ先に我に帰ったベルが抱き合う(ような形になっている)二人を引き剥がす。ベルはラオールの前に立ち塞がり、嫉妬の炎で揺らめく瞳でラムを見据える。

「ラム、いったいどうゆうこと」

たぶん、無意識な部分でだろうが、昏い情念をまとわり付かせたベルの声は、ラムを完全に正気へと戻した。

「『おじいさま』って……お兄ちゃんのこと?」

「ラム」

静かに名を呼ぶベルの声に、ラムは本能的に恐怖を覚えた。

『あ、あの……、ごめん、ベル。その……すごく、よく似ていたから……』

自分でも間の抜けた言い訳だと思うが、とっさにそんなことを口走ってしまうほどに動転していた。

「オレ、まだ二十一歳なんだぜ?」

『うん、ごめんね……。

――みんなは先に行ってて。ボクはちょっと頭を冷やしてから行くよ』

涙を見せないようにうつむいたまま、みんなから離れた。

「どういうこと……?」

「そういうことなんじゃない」

誰にとも無く訊いたリアに、ため息まじりに答えたクレアの口ぶりは、まるで全て知っているかのようであった。

「あの……いつまでもお玄関で、どうぞ、中へお入りくださいな」

正体不明の気まずさを取りつくろうフォルに促されて、一同は共同リビングへと向かった。

みんなが共同リビングへ向かった後、暗い面持ちのままラムはひとり涙を拭った。のろのろとその後を追い、リビングに足を踏み入れる頃には、涙の痕跡はどこにも無かった。代わりにあるのは、仮面のような薄い作った笑み――

 

テーブルの上には、フォルとメルが腕によりをかけて、午後いっぱい時間をかけて用意した料理が所狭しと並べられていた。それでも、二人がそのレパートリーを使い尽くすにはまだまだ足りないくらいだ。

「アタシも手伝ったのよ」

リアが貴也に胸を張ってみせる。

「そうなんだ。あ、マリアの作った料理ってどれ?」

そう訊かれると、途端に彼女はしどろもどろになった。

互いに自己紹介をしたり、雑談に花を咲かせたりするうちに、ラオールはさっきから気になっていた疑問を貴也にぶつけてみた。

「なあ、貴也、この人たちはみんなここで暮らしているのか?」

「そうだよ」

「そうだよって……」

あっさりと言う貴也を思わず見つめ返してしまった。

大学で園田や馨子、建設現場でも貴也似ついて色々と聞かされ、それなりに分かっていたつもりだったが、改めて驚いた。この下宿館には貴也以外は女性しかいないのだ。よく理性を保っていられるなと感心してしまう。

「前にも言っただろ、この英荘は下宿館なんだよ。――と言っても、今まで家賃なんて一度ももらったことが無いけどね」

貴也の返事は微妙に論点がずれている。

「なぜ?」

お金が無ければ維持することもできないはずなのに。

「『家族』、だからね」

貴也の言葉にラオールは、リビングを見回す。

「親戚とか、みんな血が繋がってるわけじゃないんだろ?」

「うふ。血縁(そんなもの)なんて無くったって、あたしとクレアさんはいずれ結ばれる……」

「すかぽんたん!」

クレアのツッコミが、しゃしゃり出たメルの後頭部に炸裂した。

「ちょっとお、痛いじゃないのよ、クレアさん……」

「やってみたかったのよ」

文句ある? そう、メルを見下ろしてから、改めてラオールに向き直った。

「別に家族とか親戚とか恋人とか兄弟姉妹とか、それだけが一緒に暮らす理由じゃないでしょう」

『恋人』の部分で何人かが、微妙に反応した。

貴也が、クレアの言葉を継ぐ。

「ここにいるみんなには事情があるし、心に何かを持っている。でもそんなものとは関係無くて、それも受け入れてみんなが一緒に暮らしている。

――だから、それって『家族』じゃないかな」

かつて、ラオールは同じ言葉を聞いた。

外国からやって来た医療ボランティアの先生が同じことを言っていた。その人たちは行き場を失っていたラオールとジゼルを引き取り、ジゼルの目を治療するために日本で手術が受けられるように取り計らい、そのためのお金までも用意してくれた。どれだけ感謝しても感謝し足りないくらいの恩人。

その人たちと同じことを言う貴也。

ふと、ある可能性が閃いた。それを確かめたい衝動にかられたが、

――やめた。

どうであれ、貴也は貴也なのだ。

「増築が終わってからになるけど、ラオール君たちもここへ来ないかい?」

あの人たちと同じ笑顔で言う貴也に、反射的に頷きそうになるのを堪え、

「……そうだな、工事が終わって、もし、部屋が空いていたらな」

――それもいいな。

ラオールはそう考えていた。女性が多いというだけではなく、ここの空気はどこか穏やかだ。自分自身の頑なさがとけていくように、英荘の空気は優しい。彼女たちがここを去らないのもそんな理由なのだと、わけも無くラオールは理解した。

「な、それまでに、こうしてまた、ジゼルと二人してメシでも食わしてもらいに来るから。

――かまわないだろ?」

「あの、さ……フォル」

「はい、いつでも歓迎いたします」

「おい、どうしてあの娘に訊くんだよ?」

貴也がここの大家のはずなのにと、怪訝そうにラオールは訊いた。

「ここでは、フォルが食事の仕度とかをしてくれているからね」

それはそれで理由としては充分な気はするが、今一つ、納得しきれず首を傾げる。ラオールが完全に納得するのは、彼らが英荘に住むようになってからのことだった。

――まあ、いいか。

と、何か視線を感じて首を巡らせば、視線をそらしそこなったラムと目があった。

微妙に固まったラムと見つめ合う形になったまま、ラオールから口を開いた。

「なあ、オレの顔、何か付いてるか?」

『え! なななななな何も付いてないよ!』

自分の顔を撫で回すラオールに、ラムは音速で首を振った。

「……いや、そういう否定のされ方すると、気になるんだが……」

『あう……』

珍しく、言葉に詰まって呻いている。

「ラム、さっきからいったいどうしたの」

全員の視線がベルに集中した。

平静を装ってはいるものの、彼女の声の奥底には嫉妬の昏い情念の炎がちろちろと燻っていた。本人はそれを隠しているつもりなのだろうけれど、それはまだ数回しか会ったことのないラオールたちにも分かるほどだった。

『ベル……?』

だから、答えたのはラムだったが、誰もがそれを不審に感じた。

視線の集中に、ベルはようやく自分の感情を自覚した。

――嫉妬している……。

ラムはラオールを見ていただけなのに、それだけなのに、心が制御できなくなりそうだった。もし、みんながいなければ、昏い情念をラムにぶつけていたかもしれない。そんな自分が恐ろしかった。

「あ、あの……ごめんなさい、ラム、あたし、どうかしてた……」

『ベルのせいじゃないよ、気にしないで。――ええと、ボク、ちょっと……』

このあたりが限界だった。これ以上ベルもラオールも見てはいられなかった。言葉を濁しながら、共同リビングから足早に出て行く。ベルが後を追おうとするが、残るのはすでに駆けて行く足音のみ。

「ベル、わたしが行きますから、あなたは待ってなさい。――申し訳ありませんが、貴也さん、クレア姉様、あとはよろしくお願いしますね」

彼女を座らせ、フォルはみんなに言うと、決意の光を瞳にたたえてラムの後を追った。

 

 

まっすぐに生きていくということ

 

 

ラムは英荘から街へと続く道を全力で駆けていた。それでも酷使されることに慣れた身体は、息一つ乱させはしない。立ち止まり何も映しはしない瞳で苛立たしげに虚空を睨み叫んだ。

『レオニス!』

木霊さえも返さないPsiで造られた叫びが叫びであるのならば。

『レオニス!』

虚空の彼方、英荘の直上に固定した地球静止軌道ステーションのレオニスは答えない。

『レオニ――――ス!!

血を吐く叫びは、絶望的な静寂でもって返された。

『どうして? どうして来てくれないの……?

お婆さまのレオニス、ここに来る前に生き終わってしまったけれど……、

――ベルのレオニスはまだここにいるじゃない!

…………どうして……』

泣いた。

抗し難い絶望の前に、ラムリュアはすすり泣いた。

『素因』も、天使も、フリーランサーの長も、ここには全てがあると言うのに、何一つとて成し遂げられないのだ。それではあまりに残酷だ。

涙にくれる姿は無惨でさえあるが、それでもその泣き顔は美しい。

笑顔には較べるべくもないが。

「どうしたのですか? ラムリュア」

空気の振動さえも無くレヴィ・アウトして来た者。

『……フォルシーニアか……』

ぽそりと呟くそこに普段の生彩は微塵も無い。

『彼、ラオールはね……、間違い無くボクの祖先なんだよ。ボクの名前――ミドルネームは彼の、おじいさまの名前からいただいているんだもの』

フォルは息を呑んだ。

超未来で生を受けたラムが過去で――()()でその祖先と出会う、偶然と言うにはあまりに作為的な何かに。しかし、それは超未来において彼女をはじめ『Lalka』を創り出した絶対者であるリガルード『神』に対する疑いに他ならない。

だが、フォルにとってリガルード『神』は絶対である。だからそのことを言いはしない。いや、口にできない。

それでもフォルは問わずにはいられない。

「うれしくはないのですか?」

言った。

『うれしいよ。

――そして悲しくて悔しいよっ。おじいさまの妹も貴也と同じ『素因』なんだからね!』

今更ながら、フォルはラムの目的を思い出した。

『素因』の消去。

ラムリュアが一時として忘れることの無い、かつて繰り広げられた光景。

超未来。

そこで人類はリガルード『人』をはじめ、幾多の『Lalka』によって監理され弾劾を受けている。

人類の解放。その為の戦い。

リガルード『人』がそうしてしまうこともラムリュアにも分からなくもなかった。だからといってその行いが許せるものでもなかった。

無責任に信じている訳でもない。レジスタンスの主要メンバーたちの言うような確固たる信念がある訳でもない。それでも人類という種族の可能性をもう少し買い被っていてもいい。そう信じて戦ってきた。

そして、ついにその日はやって来た。

エインデベルがリガルード『人』の手にかかる。

戦いの理由はいつしか変わっていた。

ただ、エインデベルを奪い去ったことが許せなかった。

死を前にして彼女は言った。

――『Ember』のために戦いを続けなさい、と。

彼女の遺言のままにラムは戦いを続けた。レジスタンスの戦士として、リガルード『人』と果てしない戦いを繰り広げた。その戦いのためにエインデベルから受け継いだ『レオニス』と『重力崩壊場安定器』。だが、絶大な戦闘能力を有するこの二つをもってしてもリガルード『人』には及ばなかったのだ。結局、過去へと遡りリガルード『人』が発生する要因を取り除き、その存在そのものを無効にすると、そんな世界法則の破壊に等しい術しか彼女には残されていなかったのだ。

『ボクは『素因』を消去するためにやって来た。超未来でリガルード『人』の存在を無効にするために……お婆さまをボクから奪った復讐をするために!』

ラムの声は憎悪と悲しみで混沌としている。

『……でも、結局ボクは何もできなかった、何も成し遂げられなかったんだ……。

――貴也も、ジゼルも、この世界の『素因』をボクには手にかけることはできない。ここへ辿り着けたのも本当に奇蹟みたいなもので、ここで終わりになんてできないのに、まだ何一つ成し遂げていないのに、

……もう、どうしていいのかわからないよ……』

もはや行くべき先も無く、手段も潰え去った。

クレアリデルの言葉が正しいのなら、『素因』を殺しても無意味な殺戮でしかない。ここではまだリガルード『人』は、『あるいは未来に発生するかもしれない可能性』に過ぎないのだ。

セフィから貰って、せっかく捨てずに取っておいた希望だというのに、流れ着いた場所は絶望でしかなかった。

いっそ、破滅の底へ落ちてゆけば楽になれるのではないかとも思えた。

フォルシーニアはラムを見つめる。その瞳は慈愛とも悲しみともつかぬ色をたたえて揺るがない。

ゆっくりと、手を差しのべる。

くず折れるラムに、フォルはきっぱりと言った。

「いっしょに、生きてゆきましょう」

耳慣れない言葉に顔を上げた。

たぶん、まだ誰も見たことの無い最高の笑顔。

「さっき、貴也さんとクレア姉様が言っていましたよね。わたしたちは、あそこにいるみんなは『家族』だって。わたしたちはわたしたちの抱えている様々なことを受け入れて、それで一緒にいるから『家族』なんだって、

ね、ラム……、

わたしたちと生きてゆきましょう。

わたしたちの『聖地』――英荘で」

ラムの人生は修羅の道である。

進むべきは茨の道である。

その苦難は果てしない。

見上げれば、そんなラムにもフォルは微笑んでいた。

神々しい――天使。

『うん』

ラムに差しのべられる救いの手。

考えたことも無かった。

――生きる。

深く、そのことを考えてみた。

復讐者であり、殺戮者であり、歴史を変えようとする破壊者でもある自分には、生きる価値も資格も無いのだと、ずっとそう思ってきた。大切なものを一つずつ失い魂の抜け殻にすら等しい自分が、今生きているのは目的を果たしていないからだと、その為の存在でしかないのだと。

だが、そんなラムにも英荘の住人は優しかった。当たり前のようにそこにいることを受け入れ、認めてくれた。以前に直感したようにここが本当に『聖地』となるのなら、より良い未来を選べるのかもしれない。そうすれば、誰も傷つけず、誰も傷つかずに穏やかな未来を手に入れられるかもしれない。

暖かい、慈愛もて差しのべられる救いの手。

フォルシーニアが差し出す、その手を取った。

ラムリュアがどんなに望んでも、手にすることのできなかった、この絶望の淵から自らを救い出す手を、自らの意志で手に取る。

――もう、これで、ボクは誰も殺さない。誰も殺さずにすむ……。

『帰ろう。ボクたちの英荘へ』

 

 

「それじゃあ、貴也、それにベル、フォルさんやみんな、今日は世話になったな」

と、ラオールは頭をさげた。

「みなさん、今日は本当にごちそうさまでした」

同じようにジゼルも頭をさげた。

「えぇ〜〜、もう帰っちゃうの〜〜?」

ベルは素直な不満を口にした。

「ああ、もう遅いしな」

「そうですねえ」

「うぅ、確かに……、じゃあ。あたし、途中まで送って行っていい?」

名残惜しそうにベルはラオールに詰め寄った。彼女の意図は明白だ。だが、ラオールにも、他のみんなもそれが知れても本当に夜はもう遅いのだ。認めるには抵抗がありすぎる。

「いや、オレもいるから大丈夫さ。申し出はありがたいけどな」

ベルは真摯な瞳でラオールに詰め寄る。

場に何ともいえない緊張感が漂った。

あまりの緊張感に、クレアはため息をつきつつ言った。

「いいわ、ベル、行ってらっしゃい」

何人かがあげる声をクレアは片手で制し、

「その代わり、帰りはズルをしてもいいから、早く帰るのよ」

『ねえ、ボクも一緒に行ってもいいかな?』

名乗りをあげたラムに視線が集まった。さっきのこともあり、ピンと張り詰めた緊張感が漂った。

『大丈夫だよ。二回も同じことはしないから』

「いいわ。二人とも行ってらっしゃい。

――ベル?」

「はい。クレア姉さん」

そうして四人で連れだってラオールたちの部屋まで歩いた。

ラムは、それだけで満たされていた。

ベルへの誤解はまだあるが、ラムが望んでいた幸せがここにある。

 

帰り道、ベルとラムはレヴィテイション(ズル)せずに、来た時のように歩いていた。

「何か話したいことがあったんでしょう」

前置きも無く、ベルは切り出した。

『うん……』

ラムは躊躇い、なかなか口を開こうとはしない。曲り角を二つ過ぎてからラムはぽつりと言った。

『さっきはごめん……。その、ラオール……さんのこと』

「いいのよ、もう。フォル姉様たちにも叱られちゃったし。

それよりも、ラオールのこと、『おじいさま』って言ってたわよね。それって、もしかして……」

『うん……、ボクのずっと祖先なんだ』

思わずベルはその場に凍りついてしまった。気付かず数メートル行き過ぎ、ラムは彼女を振り返った。

「そっか。あたし、ふられちゃったんだ」

『ベル?』

泣き笑いのように彼女は立ちつくす。

「あたしだって愛されたいって、そう思ったのに……それなのに……」

くず折れそうになるベルを、ラムは優しく抱きとめた。その胸ですすり泣く彼女にラムはそっと語りかけた。

『本当は、これは言っちゃいけないことなんだと思うけど、それでいろんなことが変わってしまうかもしれないし、ボクの存在もどうなるか分からないし、

――でも、呼ばせて欲しい。

おばあさま……』

「ラム……?」

長身のラムを見上げる。銀の髪。薄いブルーの瞳。白い肌。全体的に色素の薄い、しかし、病的なイメージはまるで無いラムリュア。

「それって、もしかして……」

『そういうことだよ。だからベルが気にすることは何も無いんだよ。――というか、むしろ気にして。もしも、ボクが産まれてこなくなっちゃったらその方が大変だし』

冗談めかして笑うラムに、さらに冗談のようにベルは返した。

「いやね。それじゃあ、あたし孫よりも年下のおばあちゃんなのね」

『そうだよ。ボクのおばあさまなんだから、おじいさまと仲良くしてよ、ね』

時を越えて、ようやくラムリュアは救われた。

セフィネスから希望を。

フォルシーニアから共に生きる未来を。

英荘では一人ぼっちではない生き方を。

貴也から当たり前を。

遠い祖先であるラオールとベルにも会えた。復讐はもはや果たすべき目的ではなくなっていた。超未来を救えないことが心残りではあったが、時を渡る術を失った彼女は()()の時間軸に組み込まれたも同然である。過去を変える存在ではなく、未来を紡ぐ一人として時が過ぎるままに過ごすことを決めていた。

こうして、ラムリュア・ナイアデス・レグルスは、彼女を縛るくびきから解放されたのである。

 

「楽しかったよね。お兄ちゃん」

見えない目でラオールを振り返り、ジゼルは微笑んだ。

「お前、何かはしゃぎすぎてないか?」

「だって、こんなに楽しかったのって、本当に久しぶりなんだもの」

「ああ、本当にそうだな」

英荘を思い出す。まさに夢見るような時間だった。楽しすぎて、終わってしまうのがもったいないような怖いような、そんな時間だった。かつては二人にもそれがあった。当たり前にそんな日々を過ごせるのだと、何の疑いも無く信じていた。日本へ来てそれを一度は失ってしまったけれど、英荘ではそれを取り戻せるのだと信じられた。

「ジゼル、先に風呂に入ってこいよ」

「はい。――あっ、お兄ちゃん、一緒に入ってくれないかな?」

「――っ! 入れるわけないだろ!」

「だって、あたしまだひとりで上手に洗えないもの……」

懇願するように見えないはずの目でじっと見つめる。ラオールはその目をされると弱い。まだ甘いのだなと自分にため息をつき、しぶしぶ頷いた。

ジゼルの手を引き、脱衣所で手早く服を脱がせる。いいかげん見慣れてしまったが、その度に彼女の身体は女性としての丸みを帯びてくる。

風呂場で座らせたジゼルの背中をこしこしと洗う。

「ねえ、お兄ちゃん」

「なんだ?」

「みんな、いい人たちだったよね」

「ああ、そうだな」

華奢な肩から肉付きの薄い腕にかけて洗う。腋の下に手を差し入れると、くすぐったそうに見をよじるのも変わらない。続いて脇腹に移動するスポンジから逃れようとじたばたするのを押さえ付け、洗い終わるとスポンジをジゼルに渡す。

「前は自分で洗えよ」

受け取ったそれで肌を這うように、頼り無く洗う。

「ねえ、お兄ちゃん、ベルさんのこと好き? 愛してる?」

ジゼルのその言葉にラオールは、手にしていたシャンプーのボトルをお約束のように足の上に落とし、面白いように取り乱している。

「いきなり何言い出すんだよ!」

「ねえ、答えてよぉ……、わっ、やん!」

かなり乱暴な手付きで、ジゼルの頭にシャンプーをなじませる。

しばらくはわしゃわしゃと髪をかき混ぜる音だけが、静かな風呂場に響く。結局、先に折れたのはラオールだった。ため息まじりに口を開く。

「ああ、たぶんな……」

「たぶん?」

興味津々な言い様にラオールは、声にならない叫びを上げた。

「お、お兄ちゃん、い、いたい……あたま、あたま……!」

ぱしぱしと腕を叩くジゼルに、ラオールは我にかえった。知らぬ間に彼女の頭を両手で締め付けていたらしい。

「ああ、すまん……」

「もう……、お兄ちゃんたら、あたま割れるかと思っちゃったよ……。――でも、そんな風なお兄ちゃん見るのって久しぶり。最近はずっと思いつめたみたいにしてたから」

「そうか? そうだな」

二人して思い当たることは両手で抱えきれないほどある。それをいちいち数え上げていても切りが無いし、暗い気持ちになるだけである。だから、二人ともいまさらそんなことを蒸し返したりはしない。

だからといって、忘れるべきことでもないのだ。

唐突にラオールは言った。

「エインデベルのことは好きだとはっきり言える」

「え? あ、うん。よかった」

ざーっと、頭の天辺からジゼルの身体中の泡を洗い流す。薄い小麦色の肌はどんなに手入れをしても、ベルたちに比べればそれなりに荒れている。ラオールは妹に不憫な思いをさせているのだと気に病むが、彼女はそれを仕方の無いことでもあるし、自慢にも思っている。ラオールの力になり役に立った証なのだと。

「あたしたち、もう一度幸せになれるよね? 先生たちといた時みたいに、そうなれるよね?」

 ラオールは力強く頷いた。

 

 


 

 

リア「アタシは、貴也が好き。

アタシは、貴也といたい。

アタシは、泣きたくない。

アタシは、笑いたい。

アタシは……、

アタシが貴也をどう思っているのか知りたい。

貴也がアタシをどう思っているのか知りたい。

……でも、本当はそれを知りたくないのかもしれない……。

 

次回、『オペラ座の怪人(ファントム・オブ・ジ・オペラ)』です。見てください」

 

 


 

 

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